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人魚スーツを脱ぐ

水面を破って出たら月曜で人魚スーツを脱ぐ乙女たち

樋口智子『つきさっぷ』(本阿弥書店)

働く女子を詠んだ歌。
憂鬱な月曜日、なのに、すごく自由なエネルギーを感じる歌。

それは「破る」とか「脱ぐ」という女の子たちの主体的な動作だとか、「破って」「出たら」「月曜で」の跳ねるようなリズムが、どこかあっけらかんとした雰囲気を生んでいるからなのかもしれない。
ぽんぽん事が進むところとかも、社会で働くことにあまりウェイトを置いていないというか、またやってくる週末のためにタスクをこなす程度の軽い感覚があって、わたしはすごく好ましく感じる。
大事なのは(海の中の)本当の自分なのだ。

それ以上にわたしが強く感じるのは、彼女たちは「声を失っていない」ということ。
アンデルセンの「人魚姫」は脚を授けてもらうのと引き換えに美しい声を失ってしまうけれど、この歌の女の子たちは魔女の飲み薬なんかは必要とせず、「人魚スーツ」を自分で脱ぎ着して好きなことをして生きている。恋もするし、パフェも食べるし、一人カラオケもするし、ともだちと一晩中おしゃべりしたりもする。
一方、社会ではその声を使って様々な仕事に就いていることだろう。
電話応対や、コールセンターでの顧客対応、販売店などでの接客、上司や営業先との世間話等々、思えば女性が仕事で「しゃべる」ことはかなり重要なスキルと言えるだろう。

歌には詠まれていないけれど、わたしはこの歌の周りに飛び交う彼女たちの賑やかな声が聴こえるような気がするのだ。
「公」の声も「私」の声も失わない。誰にも奪わせない。

人魚スーツを脱いだ彼女たちが、その両脚で走って行くのが見える。
「じゃあまた来週ね~!」なんて互いに手を振りながら。

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