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【月報2023年4月】元公僕が地域おこし始めてみた件

トップ写真は、三陸鉄道吉里吉里駅の桜の様子です。

4月は、
【震災伝承を津波以外の軸で考え直す】
【わたあめに悪戦苦闘】
【自分にとっての地域おこしとは?】
【桜を身体で感じられる町】
の内容でお送りします。

1.震災伝承そのものについても伝える

大槌町地域おこし協力隊の最終年である3年目になりました。

今年度の震災伝承の業務の計画について考えていました。

来年度以降、大槌の震災伝承にどう関わることになるのかは分かりませんが、「他の人に託す」ということが大切だという点については「震災伝承」と同様に大切だと感じました。

例えば、東日本大震災発災後の災害対応の指揮や調整を担った方々はまだ生きてはいらっしゃるものの、すでに現職を退いている人も多いと思われます。

その一方で、子ども時代に震災を経験し、そこで感じた葛藤や学んだ事を今の立場で活かしている世代も増えつつあります。

例えば教員の立場ならば、自分自身の子供時代の経験を自分自身の仕事として次の世代に繋いでいくことが出来ます。

そういった人と人との対話の中で、津波災害で起こった「現象」だけではなく、そこにいた人、関わった人、影響を受けた人が感じたことや葛藤などが人を経て伝わっていくと考えています。

東日本大震災から年数が経過し、震災を学ぶことは伝承館に行く、語り部の話を聞くと固定化されがちな現状の中で、もっと開かれた教育的な分野の中で震災から様々な事を学び、それを通して、生きる力や過去の出来事が受け継がれていく。こういった方法も中にはありなのではないかと考えています。

今後そういった多様なやり方の可能性が時代の変化と共に広がっていく可能性を信じて、今年度の震災伝承の業務に臨んでいく所存です。

2.震災伝承を広域的に学ぶ

今年度から公益社団法人3.11メモリアルネットワークでの様々な伝承支援事業に関わることになりました。

より広域の震災伝承に関わる一方で、そこで学んだ事を大槌の震災伝承に活かす、または大槌で学んだ事を広域に活かすことに繋がれば幸いです。

それは、震災伝承という分野が持続の危機に瀕しているのは広域的に見ても同様だと感じるからです。

震災伝承という分野は、どちらかと言うとこの地域で起こったことを伝えるという部分が強く、そこからあまり広く出ない他の分野に比べて比較的消極的なイメージを持たれがちな分野だと感じています。

元々防災の啓発を仕事としていた時に、与えられたフィールドが防災のみでした。

一番重要な目的である多くの人の命を守るために必要なことである、一人でも多くの人に関心を持ってもらうということが容易ではない状況だと感じていました。

もともとそういった分野に興味がある人達の為だけの事業となりつつある状況でした。

だからこそ狭義の震災伝承からは外れるイメージがあるかもしれませんが、震災・防災とは別のところで大槌や震災の影響のある分野に関心を持ってもらえるような入り口を他の分野との境を越えて作るという方法もあるのではと思いました。

古くからあるものや新しく生み出される観光資源、震災がきっかけだが震災の枠を越えていく人同士の交流、大槌という地域だからこそ残り続けている当たり前だけど貴重な何か、そういった大槌らしさというか魅力と表裏一体の存在として、今までの歴史や震災の経験があるのではないかと感じました。

簡単に言うと、大槌の魅力の裏には震災や人々がつないできた歴史があり、震災伝承の裏にはその町で暮らしてきた人達や魅力があるからこそ伝わるのではないかというイメージです。

それは教科書や展示を見ながら「へ~そうなんだ~」と感じるのとは全く別の体験だと思います。

自分の例えですが、以前ベトナムのハノイに旅行に行った際に、ブックストリートやトレインストリートなどインスタ映えするような観光地ばかりに行った一方で、ベトナムに住む人の中に潜在するベトナム戦争に関する施設については、気にはなりつつも時間と食あたり(笑)の都合で行くことが出来ませんでした。

今思うのが、自分はハノイの景色を観に行っただけで、ハノイの人のことは何も知らないままだということです。

ベトナム戦争やベトナムの過去を人を通して理解すればもっとその町をいわゆる狭義の観光といった意味ではなく、その町を旅するということに繋がり、それは自分自身の経験となったのではないかと感じました。

少し自分に身近な話で言ってみると、テレビでよく取り上げられてあまり良く言われない京都人の性格についても、それは京都という国内では歴史上でも他にない地域(この辺に性格が出ている(笑))だからこその住民性だと感じています。

京都の良いところも悪いところも、そういった今までの人の営みの積み重ねが今の京都を作っているので、そういった背景を知らずして、悪く言うのはいかがなものかと思います。

地域起こし協力隊として思うのは良く都市と地域という表現がこの地方創生業界で用いられますが、都市の京都であれ、地方の大槌であれ、そこに住む人とその背景を通じてその町の魅力を感じるという点では同じではないかと感じました。

とある修学旅行の大槌での行程を見ていた中で、大槌の自然や人の魅力を感じるタイムと、大槌の震災から学んで自分の将来に活かすタイムが分かれているのを見てそう感じました。

その一方で、個人的には「歴史」という言葉も「伝承」という言葉と同様に、関心を引く層を狭めてしまう言葉だと感じているので、誰でも分かりやすい言葉で、うまく表すことが出来ればと考えています。

そういった活かし方ができるきっかけを広域的な伝承に関わる中で、計画的偶発性理論のようなイメージでヒントをつかむことが出来ればと思います。

こういう一見役に立つかどうか分かりにくく、それを説明しにくいが関わることで、今までとは異なる視点からの道を拓ける可能性があるかもしれないという関わり方が、行政職員ではない今と自分の立場だからからこそできることなのかもしれません。

3.桜とわたあめ

安渡公民館で開催された安渡町内会のお花見会のお手伝いをしました。

風が強くて室内で開催されましたが、天気も良くて桜も絶好のシチュエーションでした。

自分は写真撮影もそこそこに、わたあめをずっと作っていました。

初めての調整でしたが失敗を繰り返すうちに少しずつできるようになりました。

その様子は、かなり人に見せられない姿でした(笑)

わたあめはともかく、用意していただいた大槌の郷土料理のすっぷくは絶品でした。

今回のお花見は大槌高校のはま留学生も参加していたので、様々な人が集まる場となりました。

想像より多くの人が参加されていたので、こういった楽しめる機会がこれからもあればいいと思いました。

大槌の春を肌で感じることのできた1日でした。

4.ちおこの学びなおし

・定期的に学びなおす

地域おこし協力隊を2年間やってきましたが、大きな枠組みは同じながらも時代の変化と共に移り変わりつつあるこの制度について、定期的に振り返る必要があると思い、総務省主催の地域おこし協力隊オンラインイベントの動画を観ました。

後半の各隊員の取組紹介よりも、徳島大学の田口太郎准教授の基調講演が大変参考になったので整理してみました。

その中で印象に残った点が3点ありました。

1つ目は「地域おこしの定義」についてです。

「地域おこし」という言葉がよく使われますが、個人的に、プラスチックワード(意味のあいまいなままに、いかにも新しい内容を伝えているかのように思わせる言葉)だと思っています。

人が増える事だったり、お金が増える事だったり、誇りを持てる事だったり、なんとなく盛り上がっている感があることだったり、人によって「地域おこし」とはどういう状況になることを目標とするのか?という考え方は大きく異なると感じています。

それは我々地域おこし協力隊員に求められるものの違いとして感じる時もあります。

また、場合によっては起こすことよりも安定的な持続を求められていることもあるとのことでした。

そういったところからも、地域の特性や人々の求めているもの、隊員自身の能力や個性、事業の性質などから、隊員自身はどう目指し、地域は隊員の力によってどういう状況になりたいのかも異なると感じました。

自分の仕事の震災伝承を通した「地域おこし」とは「震災を経験した人が話す話さないについて負担にならず、経験した人達の思いや経験を、当事者のみならずより多くの人が幸せに生きられるように活かすことが出来るようにする」ということです。

なので、「震災を経験した人が話す話さないについて負担にならず、経験した人達の思いや経験を、当事者のみならずより多くの人が幸せに生きられるように活かすことが出来るようにする」隊の北浦と思ってください(笑)。

この思い自体は2年前から変わっていないので、こういう思いを持った自分と大槌の町の人々と一緒に出来る事をこれからも考えていきたいです。

2つ目は「活動のスピード感的な話」についてです。

地域起こし協力隊の仕事は仕事としてKPI(重要業世紀評価指標)を求められることがあるが、それは場合によっては地元の人には関係ない場合もあるとのことでした。

そこで、一気に加速することは前につんのめって倒れてしまうので一緒に伴走できる → 前を向く →地域からアイデアが出るといった流れで足し算のサポートから掛け算のサポートにシフトすることが必要とのことでした。

地域おこし協力隊の業務は公益性を持つことが多いので、役所の仕事と同じように数値で見える成果を求められることもあります。

行政職時代の経験から言うと、それは現場感覚のない誰かが作った指標を達成するために住民に負担を強いることになる場合もあると感じていました。

だからこそ自分から地域と歩調を合わせる地域との共感が必要とのことでした。

どんな仕事もそうだと思いますが、地域おこしは決してちおこだけで出来るわけではないのでリハビリをイメージした協力から引き際をデザインすることが大切とのことでした。

こういった考え方は災害の支援や国際協力の分野でよく用いられますが、裏を返すと、協力隊次第では地域は良くもなるし、疲弊し悪くなることもありえると感じました。

言い訳になるかもしれませんが、だからこそ自分は目先の目標より、地域のの共感を高めるために出来る事をやることを大事にしていきたいと思いました。

3つ目は「地域づくりのフェーズの重層化」についてです。

震災復興の過程でもよく見えましたが、新たなまちづくりに対して前向きな人とそうでない人が同時に混在する時期にまちづくりが行われました。

そして、新しい動きに受容的ではない人と受容的な人との間を埋めることが大切で受容的な人だけとばかり付き合うのではなく、もっと多様な人と付き合う大切さに気付く必要があると思いました。

それを知ることが、行政や専門家では見えないその地域に住む地域おこし協力隊員にできることだと思うと同時に、それが出来てやっと地域おこし協力隊員個人とその地域のマッチングが出来たと思いました。

地域の長期的展望の目線を持ったうえで、短期で出来る事を取り組んでいくという点では、地域起こし協力隊制度は、強いリーダーを作る制度ではなく、いちプレイヤーをその地域というチームに馴染めるようにする制度という側面もあると地域づくりのフェーズの話を聞いて感じました。

以上のことを踏まえ、「地域おこし」というふわっとした言葉を、自分の日々の発言、行動として自分に出来る「地域おこし」を体現できればと思います。

・大槌で2年過ごして

大槌に来て2年が経ち、ふと考えることがありました。

そこで、自分は地域おこし協力隊で震災伝承という特殊な立場に身を置いていたと実感しました。

例えば、沿岸で遊びに行く町を調べた時に、まず最初に震災伝承関係の施設が思い浮かぶ。

その町の人と言えば、震災や地域おこしの分野に関係のある限られた人ばかりが思い浮かぶ。

お店を探しても移住者が始めたお洒落なカフェばかり気になる。

冷静にそれらを振り返ってみると自分は偏った部分しか見えていないのではないかと思うようになりました。

本当にその町を見れているのだろうか?と考えた時、大槌に来て2年が経ちましたが、目線は大きく異なると思います。

例えば、ケンミンショーに出てきた『あるある』が一部の地域を除いて『ないない』であるのと同じような気がします。

だから、自分にはまだ大槌の人が見ている大槌は見えていないし、自分の見えていることが全てではないと思います。

そういう目で見ているから、考えてそのものは仮に良かったとしても、その場に合っていないことなど十分あり得ると思いました。

自分の見えていることが全てではない。

だからこそ自分だけでは間違えてしまう可能性があることを心に留めておきたいです。

そして、震災から年数がたったからこそ、今まで見えなかったその町が見えるようになるかもしれないと感じました。

極端なことを言いますと、こんなことを考える自分がそもそも偏っているのかもしれませんが。

5.大槌を歩く

安渡歩こう会に写真撮影として参加して、城山を歩いてきました。

中央公民館から、頂上にある城跡までの行程でした。 

桜の季節はもう終わったと思っていましたが、また別の品種の桜は咲いていたのでよかったです。

よそから来た自分は知らないが、地元の人だから知っていることだったり

地元の人は意外に知らないが、よそから来た自分の方が知ってることもあったり

そう言った話がどちらが上とかじゃなく普通に話せたことがよかったです。

城跡に行くと、参加者の皆さんはわらび獲りに夢中でした。

最近はわらび獲りに山に入った人が熊に襲われるというニュースもよく見かけます。

たしかに自分の周りの人がそんな目に合うのは非常に心配でもあります。

だからといって、一方的にわらび獲りをやめるべきだなどと言うことはできないと感じました。

それだけわらび獲りが夢中になることだと肌で感じたからです。

本当に直接人と関わったり見聞きしないとわからないことがたくさんあると実感しました。

そして、大槌の人達でこういう行事があり、人が集まることができるので、わざわざ自分が外部から来て出来ることはあまりないのではないかと思います。

正直、地元の人達の負担を少しでも減らして続けられるようにすることぐらいしか今の僕にはできません。

過去に東日本大震災の被災地に復興支援の仕事で来ていた時に、直接復興につながるような仕事をやったわけではありません。

地元の人が復興につながる仕事に専念できるように、負担を減らすために、どこにでもある普通の仕事をしていました。

正直、人前でわざわざ話すようなことをしてきた訳ではありませんが、それでも意味のないことをやったとも思っている訳ではありません。

その気持ちは、復興に関わらず地域おこし協力隊として自分が大切に持ち続けていきたいです。


6.今月の大槌

今年の桜は例年よりかなり早く咲いたので、大槌の色々な場所の桜を撮影してきました。

安渡公民館
臼澤鹿子踊伝承館
大槌川桜の回廊
吉里吉里駅
などです。

これらは、目を引く美しさで大槌の桜の名所としても知られている場所でもあります。

ただ、それ以外にも大槌の至るところに桜は咲いています。

赤浜小学校の跡地にある公園には接木や人工培養した桜の木が数本植えられています。

少し前から花の開花の様子を見ていたのですが、少ししか花を咲かせませんでした。

津波で浸水してダメになる桜も多い中、少しでも残って花を咲かせています。

他の桜にビジュアル面では劣るかも知れませんがこの桜にも存在する理由や、今まで歩んできた道のりは同じようにあると思います。

そしてそれは桜に限らず人も同じだと思いました。

桜の花そのものも美しいですが、花を咲かせるその姿こそ美しいと感じました。

これからも誰かのために花を咲かせてくれたらいいなと思いました。

7.おわりに

4月は、温かくなると同時に寂しさを感じる季節です。

やっと大槌の季節のリズムもつかめるようになってきました。

今年度は今まで以上に大槌の震災伝承に深くかかわって行けたらと思います。

大槌町地域おこし協力隊

北浦 知幸(きたうら ともゆき)

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