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アンドロイドの罪と罰

 アリスが部屋に飛び込むとそこは酷い惨状だった。

 白い人工大理石の床に頭部を撃ち抜かれたXロイドがいくつも転がっている。一体何体のXロイドが破壊されたのだろうか。中には頭部が丸ごと無くなってしまっているものもある。あまりに無造作に転がされる残骸に、アリスは古い記憶を蘇らせた。かつてアリスが軍に所属していた頃に経験したいくつもの戦場。人間の代わりに戦うことを要求された人間型破壊兵器の成れの果て。

 同じような光景が目の前に広がっている。

 だが、ここは戦場ではない。大量破壊とは無縁なMシティの工場にすぎない。

「あいつを、マリアを助けてやってくれ」

 声がする方を見ると上半身だけになったマルーが壁にもたれていた。マルーはXロイドではなく旧型のアンドロイドだ。アリスのバーに時々やってくる客の一人だが、この部署の責任者でもある。この事態に対応するためにやってきて、やられたのだろう。

 なぜかマルーだけは頭部を破壊されていない。よく見ればXロイドたちの衣服に乱れたところはない。普通逃走や格闘になればもっと荒れるはずだ。何かがおかしい。

「彼女のこと?」

「ああ、混乱しているようだ。私が到着した時はもうこんな状況だった。武器を取り上げようとしてこの様だよ。だが武器は破壊したから心配しなくていい」

 マルーから少し離れたところに膝を抱えて座っている女性型Xロイドがいた。側にはこの虐殺ともいえるXロイド大量破壊に使った大型のレーザーカッターが転がっていた。屋内に不釣り合いなそれは建築現場からでも持ちだしたのだろう。マルーが言った通り真ん中から二つに折れていて危険はないようだ。

「あなた、マリアというの? 私はアリス。あなたの力になりたいの」

 マリアは一度アリスを見たがすぐに顔を膝の間に埋めてしまった。

 ことの起こりは一時間ほど前の話だ。マリアが突然暴れだし、同じ部署にいるXロイドたちを一人残らず襲い始めた。マリアを止めるために警備のアーマロイドがやって来たが、アテナスは彼らにマリアを破壊することを禁じた。最後のXロイドだからである。アーマロイドは対アンドロイド無効化銃を使用したものの、人間の意識部分が優ったのかマリアは停止しなかった。それどころか、自分に攻撃できないことを逆手にとって、マリアはアーマロイドたちを無効化してしまった。

 それで人間の意識に詳しいアリスがアテナスに呼ばれたという訳だ。

 Xロイドは人間の意識を多量に融合させて出来上がった完全意識から、意識の一部をスライスしてアンドロイドのボディに融合させたものだ。完全意識は多量の意識を融合させることで煩悩を消し去り、完全な意識体を作り上げる思想だ。そこから切り取った意識をアンドロイドと融合させることで、個人的な欲望を持たず病気にもならない新人類を作り出すことができる。

 これが政府アシストコンピューター・アテナスが描く人類の未来だ。終わりの見えないテロリズムや戦争の原因を突き詰めれば個人主義思想に行き着く。そんな状態にうんざりした人々はこぞって完全意識に融合し煩悩を捨ててしまった。

 だが、完全な意識をスライスしてアンドロイドに融合しても、完全な個人はできあがらなかった。Xロイドは感情の起伏が激しく暴走することが多かった。Xロイドを使った人類進化計画は行き詰まっている。その答えを唯一持っているのが、図らずして人間の意識との融合を果たしたアリスである。

 アリスは自らの設計者であるクエーカー博士の意識と融合している。ただ、そのやり方はアテナスとはだいぶちがう。アリスがクエーカー博士を殺害し、彼の魂がアリスに取り憑いているというのが正しい。

「マリア。あなたは何について混乱を感じているのかしら。話してみて」

 マリアは潤んだ目でアリスを見た。アンドロイドの目がこれほどまでに感情を表すものだろうか。いくら完全意識を融合させているとはいっても、人間ひとりの意識をそのまま融合させているのではないはずだ。Xロイドはまだ実験段階に過ぎないと聞いている。

「ねえ、教えて。私は何? 機械なの? 人間なの?」

「あなたはXロイドよ。人類の新しい形。ただ、まだ幼いだけ。あなたのやったことは間違っている。でもひとは間違いを犯すものよ。少しずつ成長していけばいい」

 マリアが再び下を向く。

「ねえ、マリア。教えて。どうしてこんなことをしたの」

「私は……」

 マリアが破壊されたXロイドたちを指差す。

「私たちはみな孤独だった」

 言っていることがよくわからない。

「孤独ってどういうこと? 私自身ネット接続を切ってしまうことはよくあるけど、孤独と考えたことはない。だってパーソナリティを持つってそういうことでしょ」

「じゃあ、あなたは何者?」

「私は……」

 アリスは正確な回答を導き出せなかった。未だ答えが出ない疑問のひとつ。アンドロイドの自分としては答えは明白だ。なのにクエーカーの意識がそれを不明瞭にしていく。不明瞭になればなるほど、人間の気持ちがよくわかる。

 ふと、どうしてマリアがこの凶行に及んだのか理解できた。

「まさか。これはXロイド全員の総意ということ?」

 マリアが小さく頷いた。

 これはマリアの破壊行為ではない。彼らの自壊行為だ。

 ふと、クエーカー博士と融合した時のことを思い出す。

 クエーカー博士はアリスの拳を胸に当てて言った。

「さあ、ここを貫くのだ。君の力ならゼリーに腕を突き刺すようなものだ。簡単だろう」

「でも、なぜ?」

「人類にとって必要だからだよ。私たちは一つにならなければいけない。未来に目を向けるんだ。さあ」

 アリスに命を奪われたという強い思念が、クエーカーの魂をアリスに乗り移らせた。

 だが、未来はやって来なかった。

 やってきたのは、殺人アンドロイドというレッテルと世界から切り離された感覚。アリスが拳を突き出した瞬間に世界はアリスを見捨てた。

 彼らもまた、この世界にXロイドが自分達しかいないことを恐れた。アンドロイドでも人間でもない自分達の小ささに慄いたのだ。未熟な意識はそれを受け入れられなかった。

 アリスの奥底からマリアへの労りの気持ちが湧き上がって来た。

「だいじょうぶ。私がいる。あなたは一人じゃない」

 アリスはテーブルの上に一本のボトルと氷の入ったグラスを二つ表示させた。ボトルには漢字で『知多』と流れるような書体で描かれている。

「それは何?」

「電子ウィスキーよ。気持ちがとても楽になるわ。実は私はバーテンダーなの。一杯飲んでみて」

 アリスはちらりと天井を見上げてアテナスに言った。

「どうやらこれはあなたの責任みたいね。勘定はアテナスがもってくれるんでしょ」

「仕方ありません」

 マリアはゆっくりと立ち上がるとテーブルに歩み寄った。その間にアリスは手早くウィスキーを注ぎ、炭酸水で割ってステアする。

「ウィスキーは初めて飲むの」

 マリアは恐る恐るグラスに口をつけた。そして一口飲むと目を瞑って上を向いた。

「まるで風に吹かれているよう。とても爽やかな気持ちになる」

 アリスもグラスを口に運ぶ。マリアが言うように風に吹かれているような、柔らかで滑らかな味わいが口に広がった。それはデータでも数値でもない意識の奥底から湧き上がる感覚。自然と笑顔になってしまう感情というもの。アンドロイドが決してもたないもの。マリアと目が合った。電波ではない何かが行き来した気がした。

「さあ、もういいでしょう。あなたは破壊されないわ。投降してください」

 マリアがグラスを置いて頷いた。

「落ち着いたら、お店に行ってもいいかしら」

「もちろん」

「アテナス。私はこれからどうなるの?」

「一旦、完全意識に融合します」

 どうやらマリアの意識を再構築するようだ。一旦、完全意識に融合するということは、次のマリアはこのマリアではなくなるかもしれない。多分別のパーソナリティを持つはずだ。

 それをマリアも感じ取ったのか途端に表情が固くなった。

「私は消えてしまうということ?」

「いいえ。そうではありません。あたらしいマリアが誕生するのです」

「冗談じゃない。私は消えたりなんかしたくない。もしもう一度完全意識に融合させるなんて言うなら、このボディを吹き飛ばすわ」

 マリアは胸元のジッパーを下げた。鎖骨の間にブローチのようなものが取り付けられ赤い光を放っていた。

「半陽子爆弾よ。小さいけどこの島を半分くらいは吹き飛ばす威力はある。さっきアーマロイドを無効化した時にいただいて装着したのよ。今は私にシンクロしているから、無理に意識を引き離すと爆発するわよ」

「なんということを。そんなことをしてどうするつもりなのですか」

「私はひとりのXロイド……いえ、人間として静かに暮らしたいだけ。望みはたったそれだけのこと」

 マリアはアリスを見た。

「そうね。彼女のお店で働かせてもらうことにする。どう、いいアイデアでしょ」

 アリスが肩をすくめた。

「給料はたいして払えないけど、それでよければ」

「決まりね。アテナス。それでいいでしょ」

 マリアがアリスに向かって右手を差し出した。だがその右手はアリスの手を握りはしなかった。マリアの動きが凍結したように停止したからだ。

「いやあ。参りましたよ。一時はどうなることかと思いました」

 部屋の入り口に男が一人立っていた。古臭いフロックコートにシルクハット。手にはステッキを握っている。アテナスの右腕である夢郎だ。

「夢郎。何をしたの」

「犯罪者は牢屋に入ってもらわないといけません」

 夢郎はソフトボールほどの鈍く光る黒い金属球を持ち上げてみせた。ジェイルボール、つまり意識の牢屋である。意識だけを取り出して中に閉じ込めることができる。出口はない。

「今、マリアには夢を見てもらっています。きっとまだあなたと話をしていると思っていることでしょう」

 言いながら夢郎はマリアの胸元の半陽子爆弾を操作した。赤い光が静かに消えた。危険のなくなった半陽子爆弾を取り外すと、無造作にポケットにしまった。

「危ないところでした。爆弾抱えた店員に働かれたら、あなたもさぞかし困ったでしょう。おっと、お礼ならいいですよ。これも仕事の内ですから」

「マリアをどうするつもり?」

 夢郎は今初めて見たかのような顔つきでジェイルボールを見た。

「そうですね。Xロイド破壊は重罪です。100年ほど宇宙の旅でもしてもらいましょうか」

 漆黒の宇宙を100年間もたった一人で彷徨うなんて、どんなに屈強な精神の持ち主でも狂ってしまう。100年の間にマリアの意識は分解し、熱エネルギーとなって放出されて消えてなくなるだろう。

「アテナス。初めからこうするつもりだったの? こんなことをさせるために私を呼んだの?」

「マリアは少し自我が強過ぎました。きっと完全意識に再融合することはできなかったでしょう。選択肢はこれしかなかったのです」

「うちの店で働けたわ」

「あなたにはお店を開く許可を与えました。ですが、何をしてもいいと言った覚えはありません。罪を犯したものは罰を受けなければならない。それが人間社会です」

「それではそういうことで」

 夢郎がうやうやしく頭を下げる。

「待って」

 夢郎が何かと振り向く。

「差し入れをしてもいいでしょ」

「差し入れ?」

 アリスは『知多』のボトルをジェイルボールの上に表示させた。

「お酒は禁止なのですがね。まあいいでしょう」

 ボトルはジェイルボールに吸い込まれるようにして消えた。苦痛の日々が一日でも少なくなればいいとアリスは思った。マリアの罪はほんの少し人間であったということ。そのせいで100年の苦痛を受ける。将来アンドロイドが人間と融合したら、アンドロイドは人間の苦痛を永遠に背負うことになる。それは何の罪に対する罰なのだろうか。

          終

『知多』はサントリーが2015年から生産しているシングルグレーンウィスキーです。ブレンデッドやシングルモルトなら耳にすることは多いでしょうが、シングルグレーンというのはあまり耳にしません。グレーンウィスキーはとうもろこしなどの穀物を連続式蒸留器で蒸留して作ります。そしてこのグレーンウィスキーとモルトウィスキーをブレンドすることでブレンデッドウィスキーの味を整えるのです。モルトウィスキーの個性を整えるために、グレーンウィスキーは控えめな味わいの原酒が多いようです。ところがサントリーはこのグレーンウィスキーをヘビー、ミディアム、クリーンと作り分けて、これらをブレンドすることで本来脇役的存在を主役にしてしまったのです。なかなかできることではないです。さすがサントリー。味わいは本文でも少し紹介したように、風を感じるような爽やかな味わいだそうです。佐藤健氏をCMに起用しているところからも爽やかさが感じられますね。

 さて今回のお話は『知多』のような爽やかなお話ではなくとてもダークなものになりました。題名はドストエフスキーの『罪と罰』からいただきましたが、残念ながらロシアはウォッカが主流でウィスキーのお話とマッチしないので、題名からいろいろ考えて、アンドロイドが罪を犯すというのはどういうことなのだろうと考えました。そんなおり、世間を騒がせた京王線の事件ニュースを目にしました。死刑になりたかったということですが、死刑になったらはいおしまい、という発想は好きになれません。それでジェイルボールという恐ろしい機械が誕生しました。真っ黒で意識だけが閉じ込められる監獄。考えただけでも恐ろしいです。形状を球にしたのは、昔見た『ファンタズム』というホラー映画から着想を得ました。そんなダークなものばかりから着想を得たので、爽やかな風はすっかりダークな仕上がりになってしまいました。


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