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百物語の怪

 人の思い込みというのは時に自分自身に呪いをかけてしまうことがある。アルトマンがそれを見つけた時にはまさかそんなことになるとは思いもしなかった。彼はただ新しい腕が欲しかっただけだ。

 アルトマンは意識転送したアンドロイドで、いつものようにゴミ山で最新の腕を探していた。彼はペットにグレンという名のアカゲザルを飼っていた。新しい腕をみつけたら拾って来るように躾けていたが、グレンが引きずって来た物を見て目を丸くした。グレンは錆び付いてぼろぼろの機械アームを抱えていた。

 その機械アームは人の腕くらいの大きさだが、先端の指は三本しかない。五本以上の制御ができなかった頃のかなり古い部品だ。

「馬鹿か。最新型を拾ってこい」

 捨てようとしたところで閃いた。普段からいたずら好きなアルトマンは錆びた機械アームを見てにやりと笑った。

 ここはゴミ処理島のドリームシティ。島に住む者はほとんどがゴミを分解して元素を作り売ることで生活している。そんな彼らの憩いの場が飲み屋街だ。すり鉢状のドリームシティで、ある坂道だけはバーが集中しているため酒道と呼ばれている。そのうちの一つがアンドロイドのアリスが営むバーだ。カウンター中心の小さな店で数人入ればいっぱいになるが、アリスのメモリーに登録された電子ウィスキーの豊富さによく人が集まった。

 アルトマンも常連の一人だった。彼のお気に入りは『モンキーショルダー』。すっきりとして飲みやすいし、ボトルの肩に三匹の猿がデザインされているところも気に入っている。

「今日はご機嫌みたいね」

 アリスがウィスキーを注ぐと、アルトマンはいかにも上機嫌で答えた。

「ちょっとした物を手に入れてね。それよりあんた怪談は好きかい?」

「私はアンドロイドよ。好きも嫌いもないわ」

「聞き方を間違えた」

 アルトマンはひらひらと手を振る。

「あんたなら怪談をたくさん知っているだろうと思ってさ」

 怪談なんてネットにつなげばいくらだって出てくる。それをわざわざ尋ねる理由が分からない。

「今度ここで百物語の会をやらないかと思ってね」

 百物語というのは百本の蝋燭に火を灯し、怪談を一話話終える毎に蝋燭を一本ずつ消していく。最後の一本を消した時に怪異が起きるという言い伝えである。実際に百本の蝋燭を灯すのは危険なため、十話を一本とするやり方もある。

「あなたそんなに怪談好きだったかしら」

「もちろん。俺は動物も好きだが怪談も大好きでね」

 よろしくと言い残して帰っていくアルトマンの後ろを、外で待っていたグレンが追いかけていった。

 後日、百物語の会は深夜0時に始まった。アリスとアルトマンが声かけをして十名の参加者が集まった。参加者にはウィスキーを四杯とつまみを提供する。狭い店内は人でいっぱいになったが、空調を強めに設定し空気はひんやりとしていた。照明は点けず、カウンターの上に十本の大きな蝋燭を灯した。蝋燭の炎は僅かな空気の流れにも揺れ動き、時々思い出したように爆ぜて人々をぎょっとさせた。

 先ずはアルトマンが挨拶の口上を述べた。その後すぐに怪談を披露するのかと思えば、彼はとっておきの話を百話目に話すからと隅に引っ込んでしまった。その手には布で包んだ長細い何かを大事そうに抱えていた。

 怪談が得意な二、三人の人が知っている話を披露したが、残りのほとんどをアリスが話した。どれもネットから拾った話だが、アリスはわざと声のトーンを低く抑えた。抑揚をつけずに淡々と話したのが逆によかったのか、人々の顔から笑みはすぐに消えていった。

 話が終盤にさしかかり、誰もが息を詰めているところで、何かがカタリと音を立てた。グラスに立てられたマドラーが自然にずれた音だった。誰かがびくりと身を震わせた。アリスは僅かに眉をよせたが話を続けた。

 五十話で休憩を挟んだ。その間トイレに立つ者もいたが多くの人は隣の人と、聞き取れるかどうかの音量でぼそぼそと話をした。意味が掴めない音は不快感を伴い、より一層陰を雰囲気暗く感じさせた。蝋燭が五本消え店内を暗がりが支配し始めていた。時折空気の流れが炎を揺らして人々の影を大きく動かした。自分たちの背後に伸びる黒い影はゆるりゆるりとゆらめきながら、気が滅入る読経のような音を吸い込み、常世から彼らを迎えに来た使者のように見えた。提供したウィスキーを誰もが皆飲み終えていたが、酔った者はひとりもいなかった。

 そんな中、アルトマンはこそこそと棚から勝手に本物のウィスキーを拝借し、暗がりでこぼして服を濡らしてしまった。

 アリスが話を再開した。結末を迎える度に人々の背がぶるりと震えた。蝋燭の本数がどんどんと減ってゆき、闇はあと一歩で彼らを手中に納めようとしていた。かろうじて光を発するのはただ一本の蝋燭だけ。不恰好な筋をつくって流れ落ちた蝋が瘤のように皿に溜まった。

 アリスが九十九話目を話し始めた。顔はかろうじて見える程度。周りの人々の息遣いは湿り気のある闇に吸収され、誰もが自分ひとり取り残されてしまったように感じている。どこから入って来たのか、小さな蛾が光に吸い寄せられ、炎に焼かれてその羽を焦がしながら落ちた。嫌な匂いが広がった。

「……その時、男は我慢仕切れずに振り返ってしまったのです。決して後ろを見てはいけないと分かっていたのに。

 ギャア。

 と男が悲鳴をあげた」

 誰かがびくりと身を震わせた。

「そこには友人が立っていました。滑落したままの姿で。頭はざくろのように割れ、大腿からは折れた骨が突き出していました。

 俺を置いていかないでくれ。

 いやだ。やめろ。

 友人が足を引きずりながら近づいて来ます。男は逃げ出そうとして足を滑らせ、谷に滑落してしまいました。

 友人は言いました。これで寂しくないと」

 アリスが話を終えるとガタンと大きな音が響き、誰もが驚きの声をあげた。アルトマンが立ち上がっていた。相変わらず顔には気味の悪笑みを貼り付けている。

「いい話だった。最後は俺だな。話す前にこいつを見てもらいたい」

 アルトマンは手に持った包みの布を慎重に解いていった。包まれていたのは錆び付いた古い機械アームだった。塗料ははげ、全体が赤黒く変色していた。指が曲がっているが、一本だけ不自然なほど深く曲げられている。訝しげな視線の中、彼は機械アームをカウンターにそっと置いた。

「この機械アームが何だか知っている者はいるか?」

 誰も答えない。

「実はこのアームはいわく付きの品さ。今からその話をする」

 アルトマンは一同を見回し、一つ頷いてから話し始めた。

「今からずっと昔の話だ。まだ人類が月より先に行ったことがなかった頃、アメリカは中国に宇宙開発で追いつかれないよう必死だった。だから船外活動用のポッドをたくさん造って打ち上げた。だがあまりに短期間で打ち上げたものだから質の悪いものも混じっていた。こいつはそのポッドに付いていたアームだ」

 アルトマンはアームを持ち上げた。関節が折れて手首がだらしなく下がった。

「ある時、船外活動をしていた宇宙飛行士が事故で外宇宙に投げ出されてしまった。船外活動ポッドはレベルは低いが人工知能を積んでいたので、自己判断で救出に向かった。誰もが宇宙飛行士は助かったものと思っていたが、かなり時間が経って戻って来た船外活動ポッドが掴んでいたのは、事故にあった宇宙飛行士の腕だけだった。映像はちょうど死角になっていて映っておらず、どうしてそういうことになったのか分からない。人工知能に聞いてもレベルが低くてまともな回答を得られなかった」

 指の曲がったアームをさらに突き出すと、向けられた人が忌まわしい物のように身を捩って避けた。どこかでまた物音がした。蝋燭が明滅を繰り返した。空気は冷えているのにじっとりと汗が滲む。アリスは不快感が支配する場の、そこに原因があるかのように暗がりの一点を睨みつけていた。

「時間が経ち過ぎていて、もう宇宙飛行士を助けることはできなかった。一緒に働いていたクルーたちは亡くなった宇宙飛行士の腕だけを容器に収め遺族に届けることにした。彼の死の原因は船外活動ポッドにあったということになり、ポッドは爆薬で爆破された。

 それから地上に戻ったクルーは容器をもって遺族を訪れた。そして遺体の代わりに腕の入った容器を渡した」

 アルトマンは最後を語る前にひとりひとりの顔を見、そしてアームを向けた。アームを向ける度に力なく手首がゆれた。

「だが、遺族が容器を開くとそこに入っていたのは宇宙飛行士の腕ではなく、船外活動ポッドの機械アームだった。それはまるで自分の無実を訴えるかのように容器に収まっていた」

 アルトマンがどうだとばかりににやつきながらアームを揺らした。

 同時に蝋燭の炎がもないのに大きくゆらめき、グラスがいくつか棚から落ちて割れた。

「うわあ」

 叫んだ誰かがまるで押されたように後ろに倒れた。そのせいで他の何人かも押し倒され、一瞬場は混乱に支配された。

 そして何かが暗がりの中を駆け回った。だが淡い蝋燭の光では決して捉えられない。それは常世の使者なのかあるいは地獄の亡者なのか、狭い洞窟のような息苦しい店内を、怯えた人たちをあざけるように飛び回った。目に見えぬ怨霊の拳が暴れ回り、椅子が倒れ、誰かが恐怖の叫びを上げた。

 アリスは空き瓶を一本手に取ると何も見えない闇に向けて投げつけた。

「ギー」

 耳障りな悲鳴と同時にどすんと何かが落ちる音がした。

 音のしたあたりからアリスが闇を引きずってきた。はっきりと姿が捉えられない、不安と目眩の集積のような視界に捉えることができない何かがそこにあった。アリスが何かの操作をすると、徐々に闇のパズルはそのピースを揃えてゆき、やがて蝋燭の光の中にボディスーツを着たアカゲザルが現れた。

「アルトマン。どういうことだ」

「いや、その」

「映像スーツで透明にみせかけていたずらをさせていたのでしょう」

 グレンが着ているのは映像スーツだ。背景を映す設定にすれば透明に見える。ただ、昼間では映像の歪みから何かがいることはわかってしまう。蝋燭の明かりしかない暗がりだからこそできたいたずらだ。暗がりに溶け込んだグレンが、まるでアルトマンの話で怪異が起きたかのように見せかけていたのだ。

「何だよ。アルトマン。馬鹿馬鹿しいにもほどがあるぞ」

 憤然とする人々を抑えてアリスが言った。

「蝋燭を消して終わりにしましょう」

「わ、悪かった。脅かすつもりはなかったんだ。ほんの冗談のつもりだった」

 アルトマンは慌ててグレンから映像スーツを剥ぎ取ると、それで機械アームを包んで隠そうとした。だが気が急いて手元がおぼつかない。

「ウギー」

 なぜかグレンが暴れ始めた。人々に怒りの匂いを嗅ぎ取ったのだろうか。

「止めろ。グレン。お遊びは終わりだ」

 だがグレンは店内を跳ね逃げ回った。

「何だか怯えているみたい」

 アリスが明かりを点けようとした時だった。グレンに飛びつかれたアルトマンがよろけて手に持った映像スーツが蝋燭を倒した。倒れた蝋燭が消えて一瞬全ての光が失われた。だがすぐに眩い光がアルトマンの顔を照らした。映像スーツに火が点いていた。炎は一瞬で映像スーツ全体に広がった。慌てたアルトマンが火を消そうと手を伸ばすと、炎の舌はご馳走でも見つけたかのように腕に燃え移った。こぼしたウィスキーに引火したのだ。炎はあっという間に腕全体に燃え広がった。アルトマンは樹脂と金属でできた腕が赤い炎で焼かれていく様を不思議そうに眺めていた。

 しばらく経って後、百物語の会の参加者がアルトマンのその後を教えてくれた。

 耐火性ではなかったアルトマンの右腕は完全にダメになってしまった。現時点で適合する部品がなくて、仕方なく別の腕をつけることになったということだった。

「いたずら好きだったからな。いい薬になっただろ。それにしても百物語なんて今時だれも信じないだろうに」

 ドアベルが鳴った。入って来たのはアルトマンだった。騒ぎを起こしたお詫びに来たというアルトマンの右腕には錆び付いた機械アームが取り付けられていた。

          終

おまけのテイスティングノート

『モンキーショルダー』はモルト原酒をヴァッディングしたブレンデッドスコッチウィスキーです。ブレンデッドといってもグレーンウィスキーを使わず、三種類のモルト原酒だけをブレンドしていることが特徴です。ウィリアム・グラント&サンズ社が2005年に製造開始したもので比較的新しい製品です。

『モンキーショルダー』って変わった名前ですよね。ウィスキー製造工程にモルティングという大麦麦芽を発芽させる工程があります。モルトマンと呼ばれる人たちが、床一面に広げられた大麦麦芽を空気に触れさせるためにスコップでかき混ぜるのですが、この作業が非常に重労働でよく肩を痛めたそうです。中には肩の筋肉が非常に発達し猿のように見える人もいたらしく、その姿をしてモンキーショルダーと呼ばれたという説があります。ウィスキーの名前は彼らモルトマンに敬意を評してつけられたそうです。ボトルの肩にデザインされた三匹の猿は、三種のモルトを表しているそうです。

 今回のお話はジェイコブズの『猿の手』に着想を得ています。有名な話なので知っている方も多いと思いますが、たまたま耳にした『モンキーショルダー』という名のウィスキーと何とか組み合わせられないかとお風呂で汗をかきかき考えました。『猿の手』の醍醐味は人の願望が思ってみない方向に転がり実現されるところだと思います。今回のお話でもアルトマンの願望が思ってもみない方向に結びついてしまいます。そういった願望が真っ直ぐならば思わぬ方向に転がることはないのかもしれませんね。

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