蜘蛛の糸

「やりぃ!俺の勝ちだ。今日もお前のおごりだ」

 ピーターが歓喜の声を上げた。

 クロードは視界いっぱいに広がるゲーム画面をかき消すとカウンターを乱暴に叩いた。アンドロイドバーテンのアリスが剣のある目を向けて来た。

 ここはゴミ処理島のドリームシティ。彼らはゴミを元素に分解する仕事をしているが、取引先のMシティが唐突に契約解除を申し入れて来たため仕事がなくなり、もっぱら暇な日々が続いていた。

 それにどういったことか島の人間の多くが完全意識に融合してしまい、残った人間は僅かだ。顔役のオーキーとゲン爺は事業を立て直すと言っているが、それも怪しいものだ。

 そういった訳で島ではクロードとピーターのような意識転送したアンドロイドと、純粋なアンドロイドが暇を持て余しているといった有様だった。

 やる事のないクロードとピーターは暇潰しだと言って、バーで電子ウィスキーを飲みながらゲームの点を競い合っていた。目下の戦績はクロード51勝に対してピーター97勝と圧倒的な差をつけられていた。それもこれもピーターが見つけてくるゲームをやるからだとクロードは考えていた。

「なあ、お前がいつも勝ってるのは都合のいいゲームを見つけてくるからじゃないのか」

「おいおい。負けた途端にそれかよ。ゲームはどこにでも転がってるやつだ。俺に有利なんてことがあるわけないだろ。それにお前が拾って来たゲームでも俺が勝ってる。純粋に俺が強いんだよ」

「怪しいもんだな。今度は俺が見つけたゲームをやる。それでいいな」

「いいとも」

 ピーターはまるでゲーム王のような尊大な態度だ。不愉快になったクロードは電子ウィスキーを喉に流し込むと、お前を負かせるゲームを見つけるまで戻ってこないと言い残して出ていってしまった。

 クロードがピーターを再びアリスの店に呼び出したのはそれから一週間後だった。ピーターのいつにない不敵な笑みに僅かに不安を感じた。

「まあ、なんだっていいさ。それより今度のはどんなゲームなんだい」

「一部のマニアで話題になってる『リンクジャンプ』って知ってるか?」

 知らない筈もない。手を出してはいけない危険なゲームにリストアップされている。そんな物を仕入れてくるとはクロードのやつの気が知れない

『リンクジャンプ』はネット上に張り巡らされたリンクを次々にジャンプするだけなのだが、一部のリンクのバグにより無限ループが出来上がっているサイトエリアがある。そのエリアに飛び込んで戻ってくるといういわばチキンレース的なゲームだ。度胸試し以外の何物でもない。

「そんな無意味なゲームできるか」

 酔っていたこともあり、ピーターの言葉に対してクロードがつぶやいた「チキンめ」の言葉が理性の糸を断ち切った。『リンクジャンプ』のことなら少しは知っている。無限ループはブラックホールのような深い穴につながっている。

 その先は、誰も知らない。

 ただひとつ問題は、このゲームをやるには命綱が必要ってことだった。それがないと戻ってくることはできない。

「おい、クロード。命綱の作り方は知ってるのか」

「当たり前だろ。そこまで調べないとでも思ったのか。こいつを使うんだよ」

 クロードが二人の視界に見慣れぬアイコン表示をした。『ブロッカー』とだけ書かれている。ピーターがそれについて尋ねると、意識融合の制限を解除するアプリだそうだ。

 人間の意識をアンドロイドに転送する場合、本人の意識があまり深く機械と融合してしまわないように境界線でガードをかける。『ブロッカー』はこれを解除してどこまでも機械と融合可能にしてしまう。

 なに、危険はないさ。俺なら大丈夫。ピーターはなるべくそれについて考えないようにした。

「いいだろう」

 ピーターはクロードの返事を待たずに『ブロッカー』で意識ガードを解除した。これでピーターの意識と意識転送アンドロイドのコアとがより強く繋がり、無限ループから戻る時の目標、つまり命綱になる。

「競うのはループ回数だな。負けた方がいつものように奢る。そうだな、今日のウィスキーは……これにしよう。名前がいい」

 ピーターが指し示したのは『リンクウッド12年』。スペイサイドのシングルモルト電子ウィスキーである。

 ゲーム画面を視界いっぱいに広げると、リンクボタンが星座のように広がった。これらをどんどんジャンプしていくが、どこかに無限ループの落とし穴がある。

「よしいくぞ」

 ピーターが飛び込む。リンクから次のサイトへとどんどんジャンプしていく。グルメサイトに旅行サイト。次々に商品や風景が流れ飛んでいく。行政サイトは面白くもなんともないが、カラフルなサイトの中ではかえって異色だ。有名人のゴシップサイトにスポーツサイト。そして見つけた地下バトルサイト。その先で見つけた。意味不明な商品販売サイト。半ば壊れかかっていて表示されるキャラクターが点滅している。そのキャラクターに触れると暗い空間に飛ばされた。あらゆるセンサーから異常信号が上がって来る。暗がりと漆黒が入れ替わりながら周りを巡り、視界端のループカウンターだけがすごい勢いでカウントアップしていた。遠くに真っ暗な穴が見えた。あれに落ちたらもう戻れない。それを思うと意識がねじ上げられるようで気分が悪くなった。もう戻ろうと思ったが戻り方がわからず一種パニックになった。だが、すぐに命綱をつけて来たことを思い出した。それを引けばコアがその結びつきを強めて引っ張り上げてくれるはずだ。ピーターは命綱を引いた。

「どうだった?」

 ピーターはくらくらしていたが平静を装った。

「余裕さ。ループ回数は885回。まあこんなもんだろう」

「次は俺だな。最低ラインは900か。なら1000回を越してやる」

 クロードがゲームを開始した。するとクロードのボディがいきなり電源を切られたかのように力が抜け椅子に沈み込んだ。時間にして1分もかからずにクロードは戻って来た。それが長いのか短いのかピーターにも判断できない。

「何回回った?」

 テーブルに臥しながらクロードが視界を指さす。1515回と出ている。ピーターにもクロードが相当な目眩を感じているだろうと想像できた。だがここで負けるわけにはいかない。

 ピーターが再びゲームに飛び込んだ。2分ほど経って戻ってくると、ピーターはそのまま床に倒れ込んだ。

「ちょっと。大丈夫?」

 アリスが声をかけて来たが手を振って制した。ほぼ酩酊状態に近い。それでも意識ははっきりしている。ループで目を回さないコツを掴んだ気がした。ループカウントは12215回を示していた。

「俺の勝ちだろ。まだやるかい?」

「当たり前だ。賭け金を上げよう」

 クロードが指し示したのは『リンクウッド12年』のボトルをまるまる一本だ。

「おい、本気か」

「お前に勝って祝杯を上げる。やるのかやらないのか」

 チキンの言葉がピーターの脳裏をよぎる。

「やるさ」

 クロードはにやりと笑うとゲームに飛び込んだ。

「ねえ、さっきからあんたたち何を競っているの?」

 様子のおかしな二人にアリスは尋ねた。側から見るといかにも怪しいドラッグでもやっているように見えるのだ。店で妙な真似されては敵わない。

「いや、ちょっとしたゲームをしてるだけさ」

「床にぶっ倒れたりするゲームって何? 教えて」

 アリスの強い態度にピーターはついついゲームの名前を明かしてしまった。

「ちょっと。それって危険ゲームじゃない。戻ってこられなくなるわよ」

「大丈夫。ほら俺だってこうして戻って来た。それに」

 ピーターがクロードのループカウンターを指し示した。そこには9907回と示されていて数字はそこで停止していた。

 すぐにクロードが戻って来て床に倒れ込んだ。目が遠くを見ていてピクリとも動かない。

「大丈夫?」

 アリスが抱え起す。目の焦点あが合わず表情が完全に消えている。

「もう一度だ」

 アリスの腕の中でクロードの体から力が抜けた。クロードは再びループに飛び込んでいた。

「あんたたち機械になりたいの?」

「なんだって? どういうこと」

「命綱はコアとの融合が強まる時に強い引力が生じるから戻れるのよ」

「でも、俺は俺だ。別におかしなところはない」

「指先の感覚や視界の見え方が最初と違ってるんじゃない」

  ピーターは黙り込んだ。コツを掴んだあたりから、運転をしている感覚から一体化した感覚に変わっていた。

「クロードを戻してくれ。あいつ俺に勝つまで止めないつもりだ」

 クロードのループカウンターは100000回をゆうに超えていた。

 アリスはピーターの手を取った。

「これから助けに行く。あなたが私の命綱になって。もしこの手を離したら戻ってこれなくなる。しっかり握っていて」

 ピーターが黙って頷く。

 アリスは『リンクジャンプ』に飛び込んでいった。

 リンクの海を目まぐるしくジャンプしながらアリスはクロードを探した。怪しいサイトにもいくつか飛び込んで見たが、クロードが回っているループを見つけられなかった。時間がどんどん過ぎ去っていく。クロードのループカウンターは50万回を超えた。もし100万回まで行ったらもう彼は人間に戻れないだろう。急がねばならない。

 その頃ピーターはループカウンターを見て愕然としていた。もはや戻ってこられる数字じゃない。二人とも無限ループに落ち込んで永遠に回転し続けるのだと思うと怖くなった。ピーターはアリスの手を離すと店から逃げるように出ていった。

 ピーターの助言に従いクロードが好きな怪奇サイトを中心に探す。そして『エム』というサイトの奥に無限ループを見つけた。迷わず飛び込む。ループの中央が漏斗状に落ち込んでいてその中腹にクロードがいた。

 アリスは一気にそこまで降下するとクロードをしっかりと掴んだ。クロードは意識が拡散してほぼ自我を失っていた。何かに取り憑かれた目をし、どこか恍惚とした表情を浮かべている。だがまだ間に合う。戻ろうと思って上を見るが命綱がなくなっていた。ピーターが手を離したのだ。

 漏斗状のループは径が狭くなり急速に落下が始まった。その細くなった下部の先に何かが見えた無数の細長い物が蠢いている。下部に落下していくにつれてそれが何だかはっきりと見えて来た。それはいままでこのループに落ち込んだ意識たちの腕だった。行き着く先には亡者の群のようにひしめき合い苦悶の表情でアリスたちを見上げる顔があった。両腕を伸ばし無限地獄から逃れようと藻がいている。

 なすすべもなく落下を続ける二人。幾重にも重なり蠢く亡者の群。両腕を伸ばしてまるでおいでおいでをしているよう。

 ところがすんでのところで落下が止まった。上空に張り詰めた蜘蛛の糸ほどの線が伸びていた。その糸はクロードの襟首に繋がっている。彼の命綱がまだ残っていたのだ。

 助かったと思ったのも束の間、一本の腕がクロードを掴んでぐいと引いた。いつの間にか真下に亡者の山が出来上がっていて、一番上の亡者の手がクロードを捕らえていた。

 まずい。

 今のところ命綱は持ち堪えている。アリスは命綱にしがみついて思い切り引いた。

 上に向かう強い力に引かれ二人が持ち上がっていく。

 それに釣られてクロードの足を掴む腕も一緒に持ち上がる。その腕にまた別の腕がからみつき、さらにまた別の腕が続く。絡み合った藻のように無数の亡者が山となって付いて来た。

 糸は?

 蜘蛛の糸ほどの細い命綱だ。いつ切れても不思議ではない。捕まる腕の数はどんどんと増えていった。その重みにクロードの体が引き伸ばされていった。

 やがて重みに耐えられなくなり、根本から命綱が切れた。

「クロード!」

 クロードは無数の腕の海に飲まれてすぐに見えなくなった。アリスは遠ざかっていく亡者の山を黙って見下ろしていた。やがてそれも見えなくなり、クロードがたどったリンクを逆戻りして店に辿り着いた。アリスが自分のボディに戻った時、クロードの腕がアリスに触れているのが見えた。この手が一本の命綱になりアリスを助けた。にもかかわらずクロードを助けることはできなかった。主人を失ったクロードのボディはもはやただの物でしかない。それはアンドロイドより一層人間から遠い存在に見えた。

 後日、ピーターが店を訪れた。途中でアリスたちを見捨てて逃げ出したくせに、よくも顔を出せたものだ。アリスは文句を言うために口を開きかけたが、文句が発せられることはなかった。ピーターの顔を見てそんな気がなくなったのだ。彼は意識転送型アンドロイドなので、生身の肉体に意識を戻すことができる。だが、あのゲームのせいでピーターの意識はボディのコアに半分融合していた。もう彼は自分の肉体に戻る事はできない。それがプログラミングされた表情から察せられた。

「ご注文は何にする?」

 ピーターは『リンクウッド12年』の電子ウィスキーを注文した。

「どうやら俺も無限地獄に落ちたみたいだ。この先死ぬまでこいつから逃れられない」

 どこまでも機械じみた動作のピーターだったが、帰りしなの背中に滲む哀愁が僅かに人間臭さを感じさせた。

         終

『リンクウッド12年」はスペイサイドのシングルモルト・スコッチウィスキーです。リンクウッド蒸溜所で作られる原酒は『ジョニーウォーカー』や『ホワイトホース』などに提供されていますが『リンクウッド12年』というボトルでも販売されています。豊潤で柔らかい口当たりですがあまり知名度は高くないようです。

 リンクウッド蒸溜所は第二次世界大戦で一時的に閉鎖状態となります。その後蒸溜所を復活させたのがロデリック・マッケンジー氏です。彼は非常に風味の変化にシビアで頑固なウィスキー作りをしたそうです。その頑固さは蒸溜所につくられた蜘蛛の巣を払う事も許さず、新設するポットスチルは凹凸まで正確に再現させたという逸話があるくらいです。その頑固さがこだわりの味を作るのでしょうね。

 さて、今回のお話は芥川龍之介の『蜘蛛の糸』をモチーフに作りました。リンクウッド蒸溜所の蜘蛛の巣の逸話も前々から気になっていたため、物語のネタにならないかと考えていたのですが『リンクウッド』という名前からピンとくるものがあり話が組み上がっていきました。将来のゲームがどういったものになるのかわかりませんが、行ったっきり戻ってこれなくならないとよいですね。

 

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