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アンドロイドの深い穴

 急激な上昇の加速で体がシートに押しつけられる。横を向くとボギーがそれに耐えるため目を瞑り歯を食いしばっていた。むろんアンドロイドであるアリスにはそんなことをする理由もない。再び正面を向いて輸送船が大気圏を飛び出すまでただ黙って正面の情報パネルを見つめていた。

 アリスがサーバ衛星ジュノーに向かう輸送船に乗ることになったのは、政府アシストコンピューターアテナスの依頼を引き受けたからだ。元々アテナスの右腕だった夢郎が、最新アンドロイドHuman+の設計データを盗み出しジュノーに逃亡したため、彼からデータを奪い返すことになった。アテナスとは思想的に噛み合わず、引き受ける理由はなかったのだが、電子ウィスキー10,000ケースは魅力的だった。

 それに実際夢郎を捕獲するのはアリスの後ろでふんぞり返っているアーマードポリスどもに任せればいい。彼らは戦車なみの攻撃力を持つ戦闘のプロだ。アリスはただアドバイスをして、ウィスキーでも舐めながら捕獲劇を高みの見物と決め込めばいい。おいしい仕事だ。

 だが、本当にそんなに簡単にいくのだろうか?

 相手は得体の知れない男、夢郎だ。それにそもそもジュノーが我々の上陸を許すだろうか。アテナスから申請が入っているはずだが、返事はないという。

 ようやく急激な加速から解放されたためか、ボギーが息をついた。

「全く、もう少し人間に優しい操縦をしてほしいものだ。それより、あんたウィスキーが好きなんだよな」

 ボギーは手荷物ボックスを開けると無重力バルブがついたボトルを引っ張り出した。『ジムビーム・デビルズカット』のラベルが読める。宇宙船に瓶を持ち込むなんてどうかしている。

「なに、飲み干してしまえばいいのさ」

 そう言ってボギーは吸い口からウィスキーを啜った。

「それより、夢郎はなんでジュノーに逃げたのかしら」

「あいつは外交も担当していた。色んなところにコネがある。俺たちが一番手出ししづらい所を選んだんだろう。なにせ、今じゃあ独立区だからな」

 ボギーは顔を顰めつつまたウィスキーを啜る。宇宙酔いとアルコール酔いとが合わさると辛いという。それでも飲むのはきっと不安の現れだろう。

 ボギーのアメリカ時代の話を聞いているうちに輸送船はジュノーの管理エリア手前に着いた。急な減速にボギーがゲップをする。未だ上陸許可は出ていない。正面の情報パネルでは警告の文字が点滅していた。

 しばらく様子を見ているとリラックスしていたボギーが厳しい表情で頷いた。アテナスから秘匿回線で連絡が入ったらしい。アリスが見つめると黙って横に首を振った。許可が出なかったのだろう。

「さて、作戦開始といくか」

 ボギーがヘルメットを被る。同時に後ろで控えていた4体のアーマードポリスが大きな体を揺らしながら後部へと移動を始めた。危険はない、とは考えていなかったが、実際ここから先の生存率はかなり低くなるはずだ。ボギーは『ジムビーム・デビルズカット』のボトルをアリスに押し付けた。

「預かってくれ。俺が持っているより安心だ」

 アリスは頷くと耐圧容器に入れて背中に背負った。もし作戦がうまくいったら、きっと祝杯をあげたくなるだろう。

 ボギーの指示で輸送船が再び加速を始めた。途端にジュノーからの攻撃が始まった。前方の防御シールドが辛うじて攻撃を防いでいるが、破られるのは時間の問題だろう。輸送船でジュノーに辿り着くことはできない。だからアリスたちは全員外壁のフックに命綱一本でぶら下がっていた。

 何度目かの攻撃で輸送船が大きく揺らいだ。ボギーが合図をすると同時に全員命綱を外して離脱した。直後に防御シールドを突き抜けたレーザーが輸送船を木端微塵に吹き飛ばした。破片でアーマードポリスが一体破壊された。

 アリスとボギー、それに残されたアーマードポリスはブラスター噴射で個々にジュノーまで移動する。ジュノーの追撃装備では高速移動する人間サイズの物体はぎりぎり補足できない。あとは直径二十キロメートルある表面のどこかに着地できればいい。

 つぎつぎにジュノーからレーザーが打ち出される。闇雲に撃っているのと変わらないのでほとんどかすりもしない。余裕だと思っていると次々にアーマードポリスが撃ち落とされていった。人間サイズがぎりぎりなら、アーマードポリスの巨体は補足できる範囲になるらしい。結局6体つれてきたアーマードポリスは全て破壊されてしまった。ジュノーの表面までたどり着いたのはアリスとボギーだけだった。

「高みの見物とはいかなくなったわね」

 辛うじて着地したものの、内部侵入するゲートまで1キロメートルほどある。アリスたちはブラスター噴射で移動し始めた。すぐに右手から何か複数の物体が近づいてくるのがわかった。

 危険を感じてアリスは上に跳ね上がった。

 直後に真下をレーザー光が突き抜ける。

「なんだあいつら」

「アリゲーター。隕石なんかで破壊された箇所を直すためのロボットよ。レーザー銃が装備されていたとは驚きね。とにかく撃たれないよう気をつけて」

 アリスたちは妨害電波を発するジャマーをばら撒きながら、雨のように降り注ぐレーザーをすり抜けて飛んだ。

 だがあまりに数が多すぎる。よけながら進むのでなかなかゲートに辿り着けない。

「まずいぞ。囲まれた」

「正面突破しかなさそうね」

「わかった。抜けたら祝杯といこうぜ」

 ボギーが飛び出しかけた時、突如正面のアリゲーターが爆発した。

 上空からの攻撃だった。半身になったアーマードポリスがありったけの銃弾をアリゲーターめがけて撃ち込んでいた。

「よし、抜けるぞ」

 ボギーの合図でアリスは敵の合間をすり抜けてゲートにたどり着いた。続いてボギーも飛び込んできた。

 ゲートは小型輸送船が数隻着陸できるエリアだ。攻撃に備えて身構えたが何も起きなかった。アリゲーターたちも追ってこない。アリスたちは慎重に減圧室の扉まで移動した。

 扉を開くと長く真っ直ぐな廊下と左右に伸びる廊下になっていた。

「あいつどこにいるんだ」

「最上階だと思う」

「夢郎の行動予測か?」

 アリスはボギーから目を逸らした。

「ただの勘よ」

「勘って、アンドロイドに勘なんてあるのか?」

 うまく説明できない。論理的な帰結ではない。多分、クエーカーの意志がそう言っているのだろう。声にならない声がどこからか聞こえる。たまに外れることもあるが、その声に従うと大抵思った通りになる。だが、その声を聞けば聞くほど、アリスの中の何かが壊れていく。そこに方程式はない。いつか深い穴に落ち込んで戻ってこれなくなるような気がした。

「いいから、行きましょう」

 ジュノーは直径20キロメートルの球型衛星だ。表層から数十階層は活動エリアで人間が動きやすいよう設計されている。それより先はサーバエリアで繊維プロセッサが混沌のような複雑さで絡み合い巨大な雲を形作っている。

 おそらく、夢郎はそこで私を待っている。まるで暗い穴の底からアリスを呼ぶ声が聞こえるように、なぜかわからないがアリスは強くそう感じていた。

 数十階層分の廊下を通り抜けて最後の扉を抜けると真っ暗な闇が現れた。暗くて何も見えない。

「夢郎。姿を現しなさい」

 アリスの声に呼応するように床の明かりがついた。

「なんだこりゃ。これがサーバなのか? まるでジャングルだな」

 床から真っ黒な幹が無数に伸び、それが次々に枝分かれを繰り返し最後は目に見えぬほどの細さのプロセッサ繊維になる。その細い繊維が無数に絡み、接続し、また分岐を繰り返し頭上全てを埋め尽くしている。まるで世界樹が無数に生える森に迷い込んだようだ。

「やあ、待っていましたよ」

「夢郎」

 幹の影から夢郎が現れた。フロックコートにシルクハット。手にはステッキを持っている。相変わらず古臭い格好だ。

「ただ、できれば二人きりで話し合いたかったものです」

「俺が邪魔かい。だったらデータをよこしな。そうすりゃ二人でデートでもなんでもしてもらって構わないさ」

 ボギーが銃を向ける。

「おっと、銃はいただけないですね。プロセッサ繊維は細いから燃えやすい。もしかしたら、君の真上の繊維に君自身のデータが保存されいるかもしれませんよ」

「こんな黒いジャングルに俺のデータがあると思うとゾッとするな。それよりデータはどこだ」

「言葉にも気をつけたほうがいいですよ。彼らは案外繊細です」

「彼ら?」

 ボギーが彼らが誰なのかを認識する間も無く、頭の上からプロセッサ繊維がせり下がってきてボギーを包み込んだ。

「うわ。何をする」

「彼らとは完全意識ですよ。全ての完全意識はここに集結しているのです」

 濃密な雲はボギーを身動きできないほどに取り囲み圧迫した。 

 アリスが手を伸ばす。途端に電流がアリスの身体を突き抜けた。この繊維の雲には電流が流れている。

 苦しそうにもがくボギーを黒い繊維の雲が引き上げ、やがてどこまでも続く雲の海に飲み込んでいった。

「さて。やっと二人きりになれましたね。私がどうしてあなたと話したいのかは分かっていますよね」

「どうして、アンドロイドの私にクエーカー博士の意識が融合できているのか知りたいんでしょう。でもそれを話すためにわざわざここまで来た訳ではないわ。データを返して」

「ははは。それは無理です。データはもうジュノーに渡しました。ジュノーは今まさにHuman+のボディを製造中です。それはすぐに出来上がるでしょう。あとはそこに完全意識を流し込むだけ。さあ、教えてください。どうしてあなたはクエーカー博士の意識が融合しても暴走しないのですか。なぜ意識分離してしまわないのですか。Human+を完成させる最後のレシピが必要です」

 アリスは両手を広げた。

「知らない」

 夢郎がステッキで手のひらを叩く。

「仕方ない。頭の中を覗かせてもらいましょう」

 アリスは鼻で笑った。

「あなたたち人間は細胞まで分解すれば、あなたがあなたであることがわかるの? 私の中には声にならない声がある。プログラムじゃないのでそれがなんだか私にはわからない」

 夢郎の表情が固くなる。

 そしてすぐに穏やかに戻った。

「どうです。ひとつゲームをしませんか」

「ゲーム?」

「そうですね。あなたはウィスキーが好きでしたね。私も大好きでして。どうでしょう飲み比べをしませんか」

 ウィスキーなんかどこにあるのか、と問おうとして自分が背負っていたことを思い出した。

「まあ、たしかにここに一本あるけど、あなたが好きなのは『ブルックラディ』だったはずよ」

「あいにく、慌てて飛び出したもので何も持ってきていない。銘柄はなんでもいいです。ただ、あなたが飲む銘柄も同じにしてもらいたいし、電子アルコールのガードは外してもらいますがね。何しろこっちは生身ですから」

 夢郎がステッキを振り上げると二人の間に小さなカウンターが現れた。カウンターにはショットグラスがずらりと並んでいる。

「ルールは?」

「勝った方がひとつ望みを叶えられる。もし、私が勝ったらパーツの一つまであなたをバラバラにして調べさせてもらいます」

 アリスが勝てばデータを返してもらえるということらしい。アリスは背中の耐圧容器から『ジムビーム・デビルズカット』を取り出してショットグラスに注いでいった。同時に電子ウィスキーを残りのショットグラスに注いでいく。

「さあ、お楽しみタイムといきましょう」

 夢郎が最初の一杯を飲み干す。そしてグラスを逆さにカウンターに置いた。

 アリスもまた最初の一杯を飲み干した。

 逆さのグラスがそれぞれ十を超えた頃、アリスの思考は制御を失って過去に戻り始めた。雪深いロシアの山荘でクエーカー博士と過ごした日々。アリスの目を真っ直ぐに見つめて、人類にとってもアンドロイドにとっても大事なことなのだと訴えたクエーカー博士。その目の奥で燃え盛っていたのは信念の炎だ。

 その炎を消したのはこの私の右手。アリスが右手を胸に突き刺したことで、クエーカー博士の信念は怨念に変わりアリスい取り憑いた。グラスを持つ右手が震えだ。

「こぼしたら失格ですよ」

 アリスは震える手を押さえながらグラスを口に運んだ。

 彼は私に取り憑いて融合した。

 彼は声にならない声で私の論理思考を破壊した。

 彼は私の思考に大きな穴を開けた。

 何が完成したの? 

 彼は私を不良品にしてしまった。でもこうなる事を初めから知っていた。

 これが大事なことなのか。これが人類の未来なのか。

 こんな不良品の私に夢郎は何を聞きたいのだろうか。

 アリスは無性におかしくなって笑ってしまった。そんなアリスを夢郎が不思議そうに見つめていた。

「私はひとりぼっち。人間にもアンドロイドにもなれない不良品」

 すると夢郎がつぶやいた。

「私だってひとりぼっちです」

「お友達のアテナスがいるじゃない」

 夢郎がウィスキーを煽る。

「アテナスに人間は理解できません。それに私は半端人間だ」

「どこが半端なの。たしかにへんな人だけど」

「私の父は高次元思想です」

「高次元思想ってなによ」

 視界が歪んできて真っ直ぐ置いたつもりのグラスが転がって落ちた。

「文字通り思想です。肉体を持たない思想エネルギーが母に私を産ませた。聖母マリアと同じですよ」

 そう言って夢郎は大笑いを始めた。

「私には人間たちにもアテナスにも理解できない暗くて大きな穴があるのです。私は欠陥品だ。私は何かが欠けている」

「それは私も一緒。なんで欠けてしまったかしら。何年もクエーカー博士を抱え込んでいるうちに意識のエネルギーがチタン合金に染み込んでしまうからかしら」

 伸ばした手がグラスを掴み損ねる。

 唐突に夢郎がカウンターを両手で叩いた。勢いでグラスが弾け飛んだ。

「そうか。分かった」

「こぼしたからあなたの負けよ」

 見ればアリスの周りもこぼしたウィスキーだらけだったが、それについては触れなかった。

「そんなことどうだっていい。分かったんですよ」

「何がよ」

「アテナスの計画は絶対成功しません。なぜなら、融合させるのは完全意識だからです。そんなもの融合させたって、ロボットができるだけです」

 夢郎は頭上を見上げて声を張り上げた。

「お前もそうだ。ジュノー。どんなに精巧な人形を造ったって、お前は人間にはなれない」

 すると頭上の雲が音を上げて放電を始めた。まるで夢郎の言葉に完全意識が怒っているみたいだ。黒い雲の間を青いプラズマがばちばちを走り抜ける。そしてそのプラズマはやがてひとところに集まり、夢郎の体を突き抜けた。

「ぎゃあ」

 プラズマ電流に焼かれた夢郎は煙を上げながら倒れた。その肉体を繊維の雲が包み、そして黒い雲の中へと飲み込んでいった。

 アリスは繊維の雲を見上げた。

「私もそうやって破壊するつもり? 私は勝ったのよ」

「破壊はしません。望みがあれば聞きましょう」

 頭に直接話しかけてくる。

「じゃあHuman+のデータを返して」

「いいでしょう。解析は終わりましたから」

 言ってからなんでそちらを優先したのだろうと思った。データがあったところで地球に帰る手段がない。まあ、10年も待てば誰か一人くらいやってくるだろう。帰る時に一緒に乗せてもらおう。

 いつしかカウンターは消えていた。床には『ジムビーム・デビルズカット』の瓶と夢郎のステッキが残されていた。アリスはそれらを拾うとふらつきながら第一層の展望デッキまで移動した。展望デッキからは大気に光を吸い込んだ宝石のような地球が見えていた。

          終

『ジムビーム・デビルズカット』は世界No.1バーボンで知られる『ジムビーム』のラインナップです。『ジムビーム』はTVのCMでもお馴染みですし、コンビニにも置いてあるので見かけたことは多いでしょう。ただ『デビルズカット』はたまに見かける程度でしょう。ウィスキーは樽で寝かせますが熟成年数が長くなるほど、味わいが増すのと合わせて内容量が減ってしまいます。自然に蒸発した分を「天使の分前」、樽自身に染み込む分を「悪魔の取り分」といいます。この「悪魔の取り分」を悪魔から取り返したのが『デビルズカット』です。特殊製法で樽から抽出し、6年熟成の原酒とブレンドして出来上がります。樽から取り出した分バーボン特有の香りが強くなり、かつビター感が増していて、バーボン好きには好まれる味わいです。

 さて、今回のお話は『デビルズカット』にかけて作りました。「悪魔の取り分」や「天使の分前」があるからこそウィスキーは美味しくなります。もしかしたら人間の意識もそうやって成長と共に欠けてしまう分があってこそ、人間らしさというものになるのかもしれません。多様化が受け入れられる時代になりました。欠けていることこそ誇れるというのはとても素晴らしいですよね。

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