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完全なる入れ子人形

「山崎はまだ残っていたかのう」

 ゲン爺がわずかな期待を含ませた問を投げかけてくる。

「ありません」

 あっさりと返すアリスに、ゲン爺は懇願の目を向けてくる。いくらそんな目をしたところで無いものは無い。飲み干したのは自分自身なのだから知っているはずだ。いくら電子ウィスキーだからといって河童の徳利じゃないのだから、無限に湧いて出ることなどない。飲んだ分はきっちり減るのである。

 アリスはその高性能電子頭脳を利用して電子ウィスキーデータを大量に買い込み、それを元にしてゴミ処理島のドリームシティでバーを開業した。だが、ゴミ処理の仕事がなくなったことで、暇を持て余したアンドロイドたちがこぞって飲みにくるようになったため、このところ在庫がずいぶんと減っていた。

 そしてこの在庫一掃セールに一役買っているのが島の顔役であるゲン爺だった。開業の世話をしたことで無償提供を約束したこともあり、日々店に入り浸りなのである。そのせいでゲン爺の好きなジャパニーズ・ウィスキーのいいところはほとんど在庫切れになっていた。

 さすがにしょぼくれたゲン爺の顔をみているとかわいそうに思えてきた。

「同じくらい香りが良くて、味わいのあるウィスキーが残っているけど」

 ゲン爺の顔が子供のように輝いた。

「白州か? イチローズモルトか?」

 どちらもゲン爺が飲み干していた。アリスはショットグラスに一杯注いでカウンターに置くと、ボトルイメージを宙に表示させた。ボトルには筆文字で『宮城峡』と記されている。

「美味い」

 ゲン爺はうんうんと二度頷いた。

「しかしウィスキーっていうのは不思議じゃのう。どれも水と麦芽でできているのに、どうしてこう色々な美味さが作り出されるのかのう」

「風土や製法によって味なんて大きく変わってしまうものよ。全く同じ作り方でも年によって出来が違うこともあれば、同じ原酒でもカスク選びや熟成年数でも全く違う味わいになる。それがウィスキーの醍醐味じゃないかしら」

「そりゃそうじゃが。そうたくさん美味いウィスキーを作られたら、飲み尽くすのに百年かかるわい。お前さんは高速処理のオツムで一瞬じゃろうがな」

 ゲン爺がこめかみを突いて見せた。

「飲んだ数が多ければ幸せというものでもないでしょ。全てを味わえる人間なんて一人もいないのだから」

 ゲン爺は鼻をふんと鳴らした。

 来客を知らせるドアベルが鳴った。入り口には二体の少女の姿をしたアンドロイドが立っていた。お揃いの青いワンピースを着ている。どこから見ても少女だがアンドロイドに飲酒制限はない。

「あなたがアリス?」

 二体が同時に声を発した。声の抑揚には警戒心を起こさせるものがある。ウィスキーを飲みに来たのではなさそうだ。

「他のお客さんもいるし、お店で暴れられるのは困るわ。一緒に行くから甲板まで出ましょう」

 ドリームシティは巨大船を並べて作った人工島だ。甲板までは階段をいくつか登ることになる。登りきって甲板に出ると突端の灯台まで見渡せる広い空間である。ゴミ処理の仕事があった頃はこの広い甲板に所狭しとゴミ山が積み上がっていた。綺麗さっぱり消えてしまったゴミ山がこの先の未来を暗示させた。

「それで用事は何?」

「自己破壊するか、私に破壊されるかどちらかを選んで」

「愚問ね」

 二体が一斉に襲いかかってきた。一人が拳を突き出せば、もう一人は足払いをかけてくる。実に息が合った動きだ。一分の隙もない連携プレイ。一人の死角をもう一人が補い、攻撃がかわされた時の二次攻撃をもう一人が補う。次々に繰り出される攻撃にアリスは避けていくのが精一杯だ。

 とはいえ避けられないスピードではない。およその性能は見えた。あとは攻撃パターン予測さえできれば勝てない相手ではなかった。今までの連続攻撃は挨拶みたいなものでこれから本当の攻撃が行われるはずだ。アリスは右目にリソースを集中していく。

 アリスの右目には重力センサーが組み込まれている。重力のわずかな変化によってエネルギー場を読み取ることができる。エネルギー場を読めば相手のどの部位にエネルギー集中が起きているかが分かる。つまり次の攻撃が読めるということだ。

 二体の姉妹はそれぞれ右足と左足にエネルギー集中が見られる。つまり左右に分かれた挟撃が行われるということ。

 二体が左右に飛んだ瞬間にアリスもまた、姉妹の一人と同じ方向に間を詰めて飛んだ。

 相手が驚きの表情を見せる。次の攻撃は左右からの同時キックだったのだろうが、アリスの動きによりワンテンポ遅れた。

 その隙を逃さずにアリスが拳を突き出す。見事にヒット。アリスの拳は相手の胸を貫いた。

 直後に背後からもう一体のキックが襲いかかる。だが距離とタイミングがずれたキックなど何の効果もない。アリスは安易と相手の足首を掴むと力任せに投げた。

 投げ飛ばされたもう一体は遠くの海上に落ちた。水中行動機能を持たないアンドロイドはその自重で沈むしかない。彼女は海の底へと静かに沈んでいった。

 攻撃の理由が分からなかったが、もう一つ気になることがあった。二体のエネルギー場が全く同じだったのだ。いくら二重化構成で同期していても個体差がないなんてありえないことだ。

「結局、何しに来たのかしら」

 数日間何もない日が続いた。その日もゲン爺相手に在庫ウィスキーからの一杯を選んでいるところだった。ドアベルが鳴り入り口で黒服にサングラスの男がこちらを見ていた。

「今度は三つ子?」

 アリスはうんざりした気持ちで三体を甲板に導いた。手合わせを始めてすぐに前回と何も変わらないことに気がついた。三体は一つのエネルギー場によってうごかされている。だからひとつひとつの攻撃はひとつの意思から発せられるものであって三体の動作連携ではない。単純に攻撃スピードが3倍になっただけだ。スピードの話であれば攻撃予測は簡単だ。

 アリスは瞬時に十手先まで攻撃を読むと、途中で攻撃タイミングをずらすことで、同士討ちになるように仕向けた。三体は自分の攻撃が自身の分身に向かうことまで読み切れずに一斉に攻撃を仕掛けてきた。アリスという標的がすっといなくなった直後にそれぞれの拳が相手の胸板を貫いていた。

 どうせまた同じような連中がやってくるのだろうと思っているとその通りだった。数日してやってきたのは十体のアンドロイド集団だった。姿形は前回同様に黒服サングラスだ。前と違うのは十体という数のせいか、エネルギー場の形がやや丸みを帯びていて角がない。あまり戦闘向きの意識形状では無い気がした。

 とはいえさすがに多勢に無勢だ。アリスは斬霊剣を右手に、電子パルス銃を左手に持ち十体の敵の前に立った。

 十体が一斉に飛びかかってきた。

 先ずは電子パルス銃で二体を破壊。続け様一番手前の敵の頭上を斬霊剣で薙ぎ、エネルギー場とボディを切り離す。意識から切り離されて電気的なプログラムでしか動けなくなったボディは、すぐに戦闘における想定外動作に陥って戦線離脱した。

 残り七体が一斉に攻撃を仕掛けてくる。前回と違って作戦も何もなく闇雲に突っ込んでくる。多少の犠牲は覚悟の上の物量による攻撃だ。いくつかの拳をまともに喰らうが、放った電子パルス弾が一体を破壊し、隣の一体に電磁パルスショックをぶつけた。一体の右手を切り落としたが攻撃力はあまり変わらない。左脇装甲破損。強度が50%低下。右足のアクチュエーター能力が35%低下。次に一斉攻撃を受けたら致命的損傷を受ける確率は85%。後がない。

 五体の敵は一旦アリスから遠のき周りを取り囲んだ。5方向からの一斉攻撃を受ければ逃げ道は上しかないが、それも予測されているだろうか。

 すると唐突に敵の攻撃態勢が解除され、五体のアンドロイドは構えを解いた。相手を油断させる作戦だとしても、直立状態では次の攻撃にワンテンポ遅れる。

「彼らの相手はどうでした。楽しかったですか」

 いつ現れたのか背後に男が立ってた。古臭いフロックコートにシルクハット。優雅にステッキを突いている。Mシティの夢郎。次々にドリームシティに対して攻撃的な実験を仕掛けてくる張本人だ。先日からの攻撃理由が分かった。

「これもあなたの仕業だったのね」

「まあ、お決まりの実験というやつですか。お陰様でまたいいデータが取れましたよ」

「私たちを放っておいてはくれないの? 誰にも迷惑はかけていないはずよ」

 夢郎はステッキを手のひらに打ちつけながら笑った。

「これも人類進化のためです。それにあなた方。いや、あなたと言った方がいいでしょう。あなたは選ばれたアンドロイドなのです。私たちはあなたが機械と人間のインターフェースになると信じている。その協力をしていただきたい。それはとても名誉なことなのですよ」

「その名誉なお役目が大勢のアンドロイドに襲われることなのかしら。随分と重要なお手伝いみたいね」

 言いながらアリスは電子パルス銃で夢郎を撃った。放たれたパルス弾は夢郎の胸を撃ち抜いたが、わずかに映像が乱れただけだった。夢郎はホログラムだ。

「無駄なことはやめましょう。彼らにはまた別の実験目的がある。戦ってみて前回の連中と何か違うと感じませんでしたか」

 アリスは攻撃パターンを比較してみた。明らかに今回は物量だけに頼った素人のような動きだ。それにアリスに対する行動予測がお粗末すぎて防御は全くといって行われなかった。戦闘を専門にしたアンドロイドの動きではない。

「彼らを制御しているのは完全意識ですよ。十万人が融合した完全意識をストライプ分割して十体のアンドロイドに転送している」

 アリスの右目が捉えたエネルギー場の形が前回と微妙に違ったのはそのせいだったのだ。逆を言えば前回までのエネルギー場は完全意識のエネルギー場に似せるために二重化、三重化構成に仕上げてあったということだ。

「なぜかと問いたいのでしょう。最初と二度目のアンドロイド構成は今回の攻撃で制御しているのが完全意識と悟らせないためです。そして今回の実験で完全意識があなたと戦えるくらい意識転送ボディに馴染むことを証明できました。サーバを母体として完全意識の一部をボディに転送することで行動体も手に入れる。どうです素晴らしい未来でしょう」

 政府アシストコンピュータのアテナスが夢郎やMシティを使って何をしようとしているのか少しずつ見えてきた。アテナスは人類を進化させようとしている。Mシティとドリームシティはそのための実験場なのだ。

「かれらの攻撃が素人くさいのはボディ本来の意識を封じ込めているからなの?」

「そうです。機械には機械なりの意識がある。今回はそれと完全意識がぶつからないようにしています。そこはまだデータがないのです。そしてそれらの間を取り持つのがアリス。あなたの役目ですよ。機械と人間の両方の意識がどのようなものか知っているのはあなただけなのですから」

 アリスは胸を押さえた。胸の奥深くに宿るのは亡き設計者クエーカーの魂だ。アリスの行動を度々支え、不可能を可能にしてくれた心の声。それはアリスとクエーカーの意識融合であり、アリスがその拳で命を奪ったことで実現した。クエーカーのエネルギー場は殺害という究極の凶事によりアリスに取り憑いた。そしてアリスのエネルギー場とクエーカーのエネルギー場が融合した。機械と人間の融合。

「Mシティにおいでなさい。あなたの力が必要だ」

 夢郎が手を伸ばす。

 アリスは弾倉が空になるまでパルス弾を撃った。だが夢郎を倒すことはできない。夢郎は眉をわずかに持ち上げ「また何れ」と言い残して消えた。同時に五体のアンドロイドは魂を抜かれたようにその場に崩れた。完全意識は夢郎と一緒に引き上げたのだろう。

「私はどうすればいいの」

 その問いに答えたのは階段で様子を見守っていたゲン爺だった。

「同じ原料でも製造の方法でざまざまな味わいになるのがウィスキーの醍醐味なんじゃろ。人間も同じだと思わんか。痛みも苦しみもないのかもしれんが、完全意識なんてろくなもんじゃないじゃろ」

「そうなの? 機械の私にはわからない」

「そんなことないじゃろ。胸に手を当て手見たらいい」

 いまアリスの胸の内でクエーカーは沈黙を守っている。己で考えてみよということなのかもしれない。

「時間はいくらでもある。答えを探すのなら手伝うぞ」

 ゲン爺が杯を傾ける仕草をした。

「そうね。飲みましょうか」

 アリスの頬が自然と緩んだ。

 二人は連れだって階段を降りて行った。誰もいなくなった甲板の上を一羽のカモメが飛んでいた。

          終

『宮城峡』はニッカの宮城峡蒸溜所で蒸留されるシングルモルトウィスキーです。フルーティで華やかな香りと口当たりのよい飲み口が特徴です。ニッカのシングルモルトウィスキーは『余市』も有名ですがピーティーで力強い『余市』とは対照的な味わいになっています。その味の違いは蒸溜所の違いでもありますが、製造方法やポットスチルの形状も大きく関わっています。スチームによる間接蒸留とバルジ型のポットスチル形状がなめらかな飲み口を作り出すのですね。

今回のお話では『山崎』の代わりとして登場しますが、当然二つを比較すれば違った味わいとなるでしょう。それぞれはそれぞれの個性を持っていますので、片方の代用となることはないのですが、口当たりの良さという点では近いものがあるかもしれません。

そしてここで語られる完全意識は人間の意識をたくさんあつめて融合させたものです。個性というのは美点と欠点を持ちますが、多くの美点をあつめれば完全な意識ができ幸せにつながるという構想です。美点だけの意識は果たして完全でしょうか。美味しさだけがあるウィスキーなど存在しないと思います。現実世界でもいつか政府をアシストするような知的なコンピュータが登場するでしょう。そのコンピュータはどのように考えるでしょう。


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