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幽霊之ハル

 Mシティは細長いひょうたんのような形の島である。大きな本島の中心には街を統括するコントロールセンターがあり、工業都市と化したMシティを運営している。

 街の中心からは放射状に高速輸送路が伸び、材料や製品が運搬されている。中央に集められた製品は空港と港が集まる隣の島まで高速輸送路で輸送され世界各地に配達される。

 アリスは港の脇から上陸し、輸送路の脇を通って本島まで辿り着いた。途中ひょんなことから貂の姿をした六匹のアンドロイドとぶつかり合うこととなったが、結果的にアリスはそのうちの一匹であるイグニスを引き連れて行くことになった。

 イグニスの目的はよくわからなかったが、アリスに付かず離れず付いてきて、おもしろそうなことが起こると首を突っ込んできた。

 Mシティへの無断侵入でいつ破壊されても仕方がないのだが、そんなアリスにイグニスは時々アドバイスをくれた。おかげでアリスは工場街に足を踏み入れることができた。

 工場街は放射状に伸びる高速輸送路を挟んで左右に建物が並ぶ。建物はどこまでも機能だけに特化した造りになっている。複雑にパイプ類やコンベア類が入り組み、それはまるで緻密に設計された回路を連想させた。

 道ゆくアンドロイドたちは誰も彼もが無駄なく動き、工業製品の製造という目的だけに邁進している。そこには余裕とか娯楽とかいった要素は全くなく、この島全体が巨大な機械であることを否応無しに感じさせる。島にはレストランも娯楽施設もない。ここで人間が暮らすことはできない。正しくマシンシティという名の通りの島だ。

 そして街の中心にアテナスがいる。

 正確にはアテナスは無数のコンピューター群で構成され、一つの物理的なコンピューターではないので実体を指し示すことはできない。だが、Mシティのコントロールセンターがアテナスという人工知能のうちかなりの部分を占めているのは確かだ。

「これからどうするつもりですか」

「アテナスに会う」

 イグニスの問いにそっけなく答える。会うといっても、電波が届く範囲ならアテナスは世界中どこからでもアクセスができる。コントロールセンターに行く必要はないのだが、きっとそこにしかない何かが待ち受けているとアリスは感じていた。

「ほほう。アテナスにね。会って戦いでも挑むつもりですか。この島がちょっと風変わりなことは前にお伝えした通りです。まともにやりあってもあなたに勝ち目があるとは思えませんけどね」

 アリスはイグニスを見下ろすと黙って頷いた。そこからどんな勝算があるのかは読み取れなかった。

 しばらく工場に沿って歩くと、正面からけたたましいサイレンを鳴らしながらやってくる連中が見えた。赤いランプが明滅しているのを見れば、彼らがここの治安維持部隊であることはすぐに分かった。イグニスがしかめ面をしている。

「逃げなくていいのですか。アーマードポリスはかなり強いですよ」

「戦うつもりはないわ」

 そう言っている間に三体のアーマードポリスがアリスたちを取り囲んでいた。体長3メートル近い特殊戦闘用で腕には高速連射銃が装備されている。対アンドロイド無効化銃も装備しているはずで、戦闘力は戦車と変わらない。いくらアリスが強くても三体が相手では分が悪い。

「お前は無断でMシティに侵入している。これより拘束する。武器を捨て無駄な抵抗はするな。抵抗した場合は完全無効化対応を講ずる」

 完全無効化対応とはつまり破壊のことだ。所有権のついたアンドロイドには法的措置が取られるが、アリスには所有権がついていない。道端の石と同じ立場だ。アリスは黙って両手を上げた。つられてイグニスも前足を上げた。

 アリスたちはコントロールセンターに連行されると狭い部屋に入れられた。取り調べ室だろう。すぐに正面壁が透明になり向こう側にいる人物が見えるようになった。見覚えがある人物である。フロックコートにシルクハットといった時代がかった格好をしているのは夢郎だ。

「お久しぶりですね。まさかあなたの方からやって来てくれるとは思いませんでした。それはつまり、私に協力してくれるということでしょうか」

「あなたにはちょっとした借りがある。いつか返さなければと思っているけど、それは今じゃないわ」

「私は自分の責務をまっとうしているだけで、あなたに貸しを作った覚えはないですが、まあいいでしょう。立場が違えばぶつかり合うこともあります。それではお聞きしますが、ここへは一体何をしにやってきたのです」

「私にここの市民権を頂戴」

 さすがにこれには夢郎も驚いたようだ。

「いやはや。アテナスの計画を潰そうと企んでいるアンドロイドが、Mシティの市民権を欲しがるとは。そろそろコアを入れ替えてもらったらいかがですか」

「この島の工場はあまり効率的に動いていないように見えるわ。なぜなら遊びがないからよ。あまりに効率を追求しすぎたシステムはかえって効率が悪いもの」

 夢郎があきれたとばかりに両手を持ち上げた。

「それは人間たちの場合でしょう。ここはMシティですよ。機械しかいない」

「でもいつかはアンドロイドたちに完全意識の細切れを融合させるつもりなんでしょう。その時に人間の意識がくつろげる装置が用意されていないと、とたんにMシティは停止するわよ。そんなこと初めからわかっているのでしょう? アテナス」

 完全意識は人間の意識をサーバ上で複数融合させて完璧な意識を目指したものだ。世界各地にアテナスが主導した完全意識サーバが用意され、多くの人が融合している。アテナスはその完全意識を分割してアンドロイドのコアに融合させる計画を進めていた。

「もちろん分かっていました。その準備も進めています」

 アテナスの声がした。

「ならばバーも必要でしょ。私はバーテンダー資格を持っている。ここで営業する権利はあるわ」

「あなたである必要はない」

 夢郎がおかしそうに答えた。

「いえ、それも悪くないでしょう。わかりました市民権を与えましょう」

 アテナスの回答に夢郎が驚きの表情を作った。それからすぐに得心した顔になった。アテナスのやることに間違いはないと判断したのだろう。

「ただ、場所は指定します。島の端に一軒空き家があります。そこで営業するのが条件です」

「分かったわ。それでいい」

 アリスが条件を飲むと同時に背後の扉が開いた。入り口と同じ大きさのアーマードポリスが没収した斬霊剣を持ってアリスたちを待っていた。

 指定された建物は本島の外れにあった。一本道の突き当たりで目の前には海しかない。背後の鬱蒼とした森のせいで工場も見えず無人島にいるような気持ちにさせられる。木造の小さな建物にはちょっとしたテラスがついているが、長年海風にさらされたせいで朽ちる寸前といった有様だった。

「まるで幽霊屋敷ね」

 アリスの言葉にイグニスが微妙な表情を返して来た。

「なんにしても先ずは開店の準備をしなきゃ」

 軋む扉を開けると中はさらにひどい有様だった。二十畳ほどのフロアの正面にはカウンターがあり、左手には驚いたことにステージとアップライトピアノが備え付けられていた。ただ、床板が腐って抜け、ピアノは床にめり込んでいた。玄も錆びていて演奏するのは無理だろう。電気は通っておらずありとあらゆる物が黒く変色した床に散乱していた。窓から差し込む僅かな光が奥の暗がりを強調していた。

「何はともあれ、店が手に入ったのですから、乾杯といきませんか」

 イグニスが期待の目を向けて来た。どうやら何かにつけてただ酒にありつこうという腹だろう。

「そうね。それもいいかもしれないわね」

 アリスはメモリーストックの中から一本を選び出すと表示させた。ラベルにはデザインされた大きな『S』の文字。『スプリングバンク・10年』である。封を切ると『モルトの香水』と評されるだけあって、甘く華やかな香りが広がった。

「さあ、一杯」

「ちょっと待って。どうしてあなたが飲むの?」

「ここにたどり着くまで色々とアドバイスをしたつもりですけど」

 アリスは仕方ないといった感じでイグニスのために一杯注ぎ、自分のためにも一杯注いでカウンターに並べた。

 乾杯のためにグラスを掴むと背後で何かの音がした。奥の部屋からだった。カウンターの横に扉があって奥の部屋に続いている。その扉を開けると暗がりに白い顔が浮いていた。

「あれは一体……」

「マスクのようね」

 小さなその部屋には女性の衣装が並んでいた。どれも風化してぼろぼろであった。それらの衣装の隙間にステージで使うのかマスクがいくつか並んでいた。

「あっ!」

 背後でイグニスが叫んだ。

「どうしたの」

「ウィスキーが消えた」

 カウンターに並べたグラスは二つとも空になっていた。カウンターには香水の残り香が漂う。

 続け様ピアノから軽快な曲が鳴り響き、それに合わせて誰もいないステージの上からダンスを踊る足音が聞こえた。靴音がするたびに窓から射す光の中を埃が舞った。

 だが、アリスとイグニスが驚かずにいると、やがてピアノの調べは緩やかになりやがて静かになった。最後にフロアに積み上がっていた椅子が派手な音を立てて床に落ち、全てが静寂に包まれた。

「ここは出るみたいですね。どうするのですか」

「べつにどうもしないわ。人間の客はいないし誰も困らないでしょ」

「そうですが、ウィスキーが消えましたよ」

「それは困る」

 アリスは右目にリソースを集中した。アリスの右目は重力の僅かな変化でそこにあるエネルギー場を見ることができた。たとえばそこに幽霊がいれば、幽霊のエネルギー場を見ることができる。

 アリスの右目が捉えたのはかなり古い型のアンドロイドのエネルギー場だった。

「ねえ、あなた何者? アンドロイドが幽霊になるなんて聞いたことがないわ」

 すると廊下の奥の暗がりに白い影が浮かび上がった。ブロンドの女性の姿をしている。アンドロイドとは思えない悲しい目をしている。そしてゆっくりとその姿を消していった。

 なるほどこれが営業の条件か。アテナスには決して理解できない世界だから。

「ちょっと待って。話を聞かせて」

 アリスは斬霊剣を抜くと縦に一閃した。

 すると空間に縦長の切れ目ができた。アリスはその切れ目を両手で開くと中に飛び込んだ。

 光も重さもない世界にブリニーは立っていた。こちらにやってきたアリスをじっと見つめている。

「あなたブリニーっていうのね。アンドロイドなのにどうして幽霊になったの」

「私は、私たちは仕事を完遂できなかった。そのために造られたのに」

「私たちって、もっと仲間がいるのかしら。あなたは私より随分と前の世代みたいだけどエネルギー場を作れる初期の型ということね。でもエネルギーは目的を持たない。思念を残すには相当強力なプログラムがされていたといことかしら。どんな仕事をしようとしていたのか教えてもらえる?」

「オーロラ作戦。またの名は出生率低下作戦」

 なんというひどい作戦だろう。アリスはめまいを感じた。だがそのめまいは作戦よるものではなく、アリスがエネルギー場の世界に飛び込んだことによる、意識拡散からくるものだ。あまり時間はかけられらない。

「具体的にはどんな作戦なの?」

 ブリニーは話し始めた。

「私たちはダンサーとして製造された。そしてロシアの小さな街に派遣されたの。その街で私たちは踊って、歌って、男たちにお酒を注いだわ。男たちが私たちに首っ丈になるまでね」

 ブリニーは手を上に伸ばすと、その手を軸にしたように優雅に回転した。実際のダンスもさぞかし優雅だったのだろう。

「それから私たちは組み込まれた女性特有の機能で男たちを骨抜きにした。男たちはたちまち私たちの虜になって家に帰らなくなったわ」

「まさか」

「そう、そのまさか。とんだ原始的な作戦でしょ。でもこの作戦、途中まではうまくいっていた。そう、とてもうまく。街の大半の男たちは私たちが手玉に取っていた。権力者も警察もマフィアもね」

「どうして失敗したの」

「わたしたちは人間の変化対応をあなどっていた。多くの男たちを手玉に取ったけど、一部は私たちに靡かなかった。その妻たちはとつぜん双子や三つ子を産み始めたのよ。その街は双子で有名になったわ」

「それで仕事に失敗したあなたたちはあの一軒家で廃棄処分を受けた」

「そう。ここはトレーニング場だったの。ダンスや歌を練習した場所。そして電源を切られた場所。私たちアンドロイドにだって想いはある。いいえ、想いしかないと言っていい。そのために造られたのだから」

 アリスは斬霊剣をブリニーに向けた。向けた腕が揺らいでいる。もうそろそろ限界だ。

「想いを断ち切ることは可能よ。成仏したい?」

「想いがなくなったら、私たちは何のために存在したのかわからなくなる」

「エネルギーに目的はないのよ」

 ブリニーはアリスを正面から見た。そして首を振った。

 向こうから戻ったアリスはグラスをもう一つ用意すると、三つのグラスに『スプリングバンク』を注いだ。

「何故三つ?」

「それよりブリニー、ああ、幽霊のことね。にはここで働いてもらうことにしたわ」

「働くってどうやってです?」

「彼女は歌もダンスも一流よ。それに幽霊が出る間はアテナスは私を追い出せないわ。幽霊にどう対処すればいいかわからないだろうから」

「それはそうですが……」

 イグニスの顔が渋る。おそらく分け前が減ることを気にしているのだろう。

「さあ、ブリニーの第二の春に乾杯」

 アリスがグラスを打ち鳴らすと、ブリニーのために置かれたグラスからすっとウィスキーが消えていった。同時に錆びた玄のピアノが軽快な音楽を奏で始めた。その晩アリスのバーはいつまでも音楽が途切れることはなかった。

          終

『スプリングバンク・10年』はスコットランドのスプリングバンク蒸溜所で生産されるシングルモンルトウィスキーです。その製法はちょっと特殊で2.5回蒸留です。どういうことかというと、2回蒸留のウィスキーの一部を3回目の蒸留に回し、それらを混ぜることで独特の香りを作り出すのだそうです。この製法によってできる芳醇な香りをもって『モルトの香水』と言わしめているのだそうです。また味わいも少し特殊で、海風を含んだ霧が味に影響して潮辛い味わいです。この潮辛い味わいを『ブリニー』と呼びます。

 さて今回のお話で出てくるのはアンドロイドの幽霊です。そもそも機械が幽霊になるのか疑問を持たれる方も多いでしょう。根本的に幽霊なんていないという方はさておき、幽霊ってなんでしょうか。僕の考えは、幽霊とは想いという形を持ったエネルギーだと思っています。だとすれば、アンドロイドを動かすエネルギーがそれを思考によって行動に変換できるようになった時、そこに意思が生まれるのではないかと思います。電池とモーターには思考はないしですし、プログラムは思考を生み出す手続きであってそのものではない、気がします。だんだんわからなくなってきたのでこの辺んでやめておきましょう。

 もし機械にも思考とか意識があれば、きっと幽霊にもなりますよね。ただ、幽霊としてのあり方、があるとすれば、人間の幽霊と機械の幽霊はちょっとあり方がちがうかもしれませんね。




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