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『早朝の湖上で瞑想をしていて感じたこと』

早朝、日の出を観にSUPで湖上に出て、ほぼ真ん中と思われる場所で止まり、朝日を拝みながら胡座をかいて目を瞑る。

お尻の下の適度な揺れ、風、木々や水がSUPにあたる音、虫の声、自分の呼吸…最初は思考で注意を移動させているうちに、中心が定まってくる…静寂。。。

思考が静かになってはじめて世界を感じる事ができる。

目を開けて景色を感じる。見るのでは無く、その場と一体になる。世界の一部になる感覚。すると景色がありありと感じられる。湖上の小さく絶え間ない波のうねりの質感や、山々の緑、雲の形、一つ一つの光が美しい。Being。

今の社会は子供にdoingばかり求めていないだろうか?beingがあって初めて自らの気持ちで生を生きたいと動き始めるのではないだろうか?子供達には感じる時間が必要だ。

気づくと風に流されて随分端っこに来ていた。

自分では止まっていると思っていても、目を閉じていて気づかない間に、ほんの少しの風でも動いて、自然に流されて動いていっているのだ。

漕いで戻るのも、かなり大変な程の距離を、何もせずとも移動していた。自然(神)が吹かせてくれる風によって動く。流されるままに抵抗せず自然に流される。

どこへ流れ着くのか?どこへ向かって舵を切るのか?逆に流れに逆らって自らの意志と力でそこから漕ぎ出すのか?

その湧いてくる力こそがその子自らの意志なのだろう。

どこへ向かって漕ぐにしても、ワクワクと自らの意志で漕いで行って欲しい…そして、たとえ漕がなかったとしても、きっと神が気づかないくらい静かな風を、優しく吹かせてくれているのだ…今は逆らわず、彼らに吹く風に任せよう…彼らと神が書いたシナリオを私はただ、驚いて感じていればいい…ただ愛でて味わえる幸せを…そう教わった気がした。

#マインドフルペアレンティング

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