見出し画像

YMOのデビュー作『YELLOW MAGIC ORCHESTRA』

第3回目は、1979年に発表された、
ご存じYMOのデビュー作『YELLOW MAGIC ORCHESTRA』です。
先日訃報が伝えられましたが、前回ご紹介したサディスティック・ミカ・バンドのドラマー高橋幸宏が、ベースの細野晴臣、キーボードの坂本龍一と結成したバンドです。

当時としては最先端のシンセサイザーを駆使したテクノサウンドは、日本に一大ブームを巻き起こしました。当時中学生の筆者はブリティッシュ・ロックばかり聞いていて、日本のロックにほとんど興味がありませんでしたが、このアルバムがレコード店で流れているのを耳にして、衝撃を受けたことを鮮明に覚えています。

一時鳴りを潜めたテクノサウンドですが、Perfume、きゃりーぱみゅぱみゅのプロデュースでおなじみの中田ヤスタカによって再ブームがもたらされ、現在もJ-POPにおいて確固たる一分野を築いています。中田が生まれたのがYMOのデビュー後の1980年なので、YMOの影響力の大きさに驚かされます。

YMOのメンバーは全員東京出身ですが、加藤和彦がその結成に大きく関わっています。YMO結成の前年に発表された高橋幸弘のファースト・ソロ・アルバム『Saravah!』は、加藤、高中正義といったサディスティック・ミカ・バンドの面々が参加する一方で、YMOの細野晴臣、坂本龍一も参加し、編曲は高橋と坂本が手掛けているので、YMOのプレデビューアルバムとでも言うべき作品です。

加藤は演奏のみならず曲も提供しており、加藤がいなければこの作品は生まれず、YMOの誕生も無かったかもしれません。YMOが生まれなければ中田ヤスタカはテクノとは異なるジャンルに進んでいたかもしれず、言うまでもなくPerfume、きゃりーぱみゅぱみゅは中田の存在が無ければアーティストとして世に出ることはなかったでしょう。そう考えると、加藤がJ-POP地図の形成に大きく携わったと言っても過言ではないと思います。

高橋幸宏も加藤和彦も、もっと長生きしていただいて、日本の音楽シーンに貢献して欲しかったと残念でなりません。ご冥福をお祈りします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?