見出し画像

長い長いトンネルの先。


県境の長いトンネルを抜けると豪雨であった。

川端康成氏の『雪国』の冒頭をもじった文章が頭の中で浮かんだ。車外では稲妻が走り曇天の水平線へゴロゴロゴロどっしゃあああん!と落ちた。そして、そのできた閃光の道をかき消すように雨の束が降っていた。少し坂道を走ると、その喫茶店は地域にしんしんと根を張り建っていた。

私と母は、久しぶりに県を跨いでその喫茶店のピラフを食べに行くことになったのだ。しかし、途中から遠雷が聴こえて「これ、雨降るで。」とか言いながら車を走らせたら、案の定、長いトンネルを抜けると豪雨で「あ!豪雨!」と言ってワイパーを操作した。ワイパーは必死で雨を拭うけれど、それが追いつかないくらいの水責め状態。私は、ゆっくりと車の速度を落として走るとその喫茶店は雨に濡れて建っていた。

「少し雨が空いたら行こうか。」

駐車場へ車を停めてエンジンを切ると車へ墜落する雨音が車内に響いた。少し経つと雨が小降りになったので、私たちは「せーの。」と合図して小走りで喫茶店へ入った。


⚡︎⚡︎⚡︎


この喫茶店は、数年前に母と来たことがあった。当時、私たちは大切な人を亡くして心が空っぽになっていた。特に母は、痺れるような哀しみに身を削がれてみるみるうちに痩せてしまった。

「わたし、なんで生きるんやろ?」

母は、いつしか活力のない目で私に問いかけてきた。私は「このままでは、母がまいってしまう。」と思い、気分転換になればと半ば強引に母を誘い、ドライブついでにその喫茶店へ向かった。道中は、会話もなくとても静かだった。

喫茶店へ到着してピラフを注文して来る間は、何を話したかは憶えていないけれど、『autumn leaves』が流れていたことは肌感覚で憶えている。その優しい旋律を聴いていたら、湯気の立ったピラフがやって来た。

大きなお皿に米、烏賊、海老、わかめ、玉葱、人参がにぎやかに舞っているような、おしくらまんじゅうしているような、そんな彩り豊かなピラフだった。香ばしい湯気が立つピラフを木のスプーンで掬い口へ運ぶと、食材の旨味と香りで満ちていき、欠けた部分が補われるような気がした。それを味わいながら食べ終わる頃には、ふくふくとした満月になって私たちは「うふふ。」と笑顔になった。いつぶりだろうか、母の笑顔を見たのは。私の胸の奥では、じーんと熱い塊が動くような気がした。その時に、母は大丈夫だ、と思えた。

私たちは「おいしいね。」と言い合いながらお皿いっぱいのピラフを食べ終えた。そして、母は

「生きるのが辛いなって、しんどいなって、思ってだけど、なんか元気出た。連れて来てくれてありがとう。」

と、言いながら素直に泣いた。少し小さくなった母の手は皺が深く刻まれていて、とても働き者の手をしていた。その手を見ながら私は

「うん、こちらこそありがとう。」

と、生まれて初めて母に感謝の言葉を伝えた。お互いに恥ずかしくなったところで「じゃあ、行こか?」と店を後にした。その道中の車内は来た時よりも軽やかになっていた。


⚡︎⚡︎⚡︎


私たちは時々、そのピラフを味わいに県を跨いで喫茶店へ向かう。長い長いトンネルを抜けた先にあるものは、私たちに生きる活力をくれるものだから。




生きるのが辛いとか言う前にいまテーブルにあるピラフの湯気よ

短歌







この記事が参加している募集

イチオシのおいしい一品

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?