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蝉が鳴くころに 第七話|小説



〈あらすじ〉母が亡くなった。私は母の結婚相手のみっさんと葬儀を終えてふたり暮らしをはじめる。それから30歳までみっさんとその暮らしを続けている私はある日、彼氏のタカくんに、大事な話があると誘われて海岸沿いをドライブする。そのときにプロポーズされてから、タカくんの提案でみっさんに会うことになった。そしてみっさんとタカくんと三人でビールを飲んでいると、タカくんが「三人で家族になりませんか?」と私たちへ問いかけた。私たちは悩むことなくその提案を受け入れて、一緒に住むことが決まった。それから三人の生活は穏やかに過ぎていくと思っていたのに、みっさんは認知症になり施設へ入所した。



私はみっさんが居なくなって心にできた穴を埋めるように、仕事や家事に勤しんだ。普段はしない残業もして、日常を乗りこなす私を見てタカくんは、

「明日の休日にみっさんの施設へ行っておいでよ。」

と、心配そうに呟いた。

「…私が行くと、みっさん迷惑とちゃうかな?」

と、私が言うと、

「みっさん喜ぶと思うで。ボクは仕事やから一緒に行けんけど、かよちゃんはゆっくりしておいで。」

と、タカくんは凝り固まった私の心を優しく包むように呟いた。私は小さく返事をして、少し温くなった缶ビールを飲み干した。

そして、翌日みっさんの施設へ行く道中に、「何を話したらいいんやろ。」とか余計な事ばかりが頭の中を駆け巡る。一緒に住んでいた時は、そんなことで悩むことなどなかったのに。そして施設の前に到着すると、大きく深呼吸してから、正面玄関へ向かった。すると、みっさんは広いロビーで、他の入居者のひとたちと楽しそうに談笑していた。私はそれをこっそり聞いていると、どうやら私のことを話しているらしい。

「うちのかよちゃんが世界一や。」と言うみっさんに、施設や周囲の人たちは、「そんなことがあるかー。」とか、「親バカやなあ。」と茶化しているから、私は話しかけずらくなった。すると、みっさんが後ろを振り向いて、「あ!かよちゃんや。」と言うから、その話をしていた人たちは私をジロジロと見ている。「まあ、綺麗なお嬢さんやね。」とか、お世辞を言ってくれた。私を見たみっさんはいつもと変わらず人気者のようだった。そしてみっさんは席を立ってこちらへやってきたので、人気のないソファへ移動して話をした。

「えらい楽しゅうにやってはるやん。」

と、少し嫌味に言うと、みっさんは「ボチボチやな。」と首を摩りながら、窓の外を眺めていた。

「勝手にいろんなこと決めてごめんな。認知症のこと調べたら急に怖くなってん。みちこのことも、かよちゃんのことまで忘れてしまうなんて、耐えられんかってん。それに、徐々に忘れていくところを、かよちゃんに見られたくないねん。」

そうみっさんはそう言って、手に持っていたBOSSのブラックコーヒーを飲んだ。

「時々会いにきてもいい?」

そう聞くと、みっさんはいつもの笑顔で頷いた。

私はそれから休みの日はみっさんの所へ遊びに行くようになったのは、単純に暇だからと嘘をついた。ほんとうはみっさんに会いたかったからだ。みっさんは、毎週やってくる私に「何が辛くておっさんに会いにくんねん。」と呆れていたが、そんなこと私は知ったこっちゃないのだ。会いたいから会うのだ、とみっさんに言うと、「ほんまに変わってる子やわ。」といつものBOSSのブラックコーヒーを飲みながら、首の後ろをポリポリ掻いている。

みっさんは施設で楽しくやっているようだが、時々、施設の人のことを「お母ちゃん。」と言ったり、記憶が曖昧になっている様子だった。それでも私のことは、忘れるはずはないと思っていた。「20年も一緒に居たんやで、大丈夫。」と思っていたのに、みっさんはそのうちに私のことが誰なのか認知できなくなった。時々施設に現れる私やタカくんを施設の職員や清掃員に間違えたりするようになってしまった。





第八話へつづく






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