『emme』という色とりどりのやわらかい音に魅せられて。
その声は、花が咲くときのやわらかい音色。
その歌詞は、心からこぼれ落ちた濃やかで純なひと粒。
その音は、木漏れ日のような淡いの中で出逢う奇跡。
カナコspeenaさん。
カナコspeenaさんの美しい指から紡がれる詩と色とりどりのやわらかい音は、繊細で、大胆で、切なくて、温かくて、かわいくて、かっこよくて、人肌の温度を感じる。
決して熱くなく冷たくない、ちょうど居心地のよい温度。
その歌をずっと聴いていたくなる意志のある魔法の声は、聴く人の乾いた心を潤してくれる。
そして、音の模様が頭の中で踊り出すと、淡く燃えるいのちの色彩に魅了される。
縦の糸が音で、横の糸がカナコspeenaさん歌。
それらを紡ぐと、美しい楽曲が完成した。
そして、きっちりと定規で引いた線ではなくて、自然が織りなすあたたかい線で書かれている楽曲は、聴く人と、共振し、共鳴する。
カナコspeenaさんのプロフィールは、ホームページから引用いたします。
そして、今回は、カナコspeenaさんの傑作のアルバム『emme』をご紹介したいと思います。
①Re:
この曲は、大きなブレスからはじまる。
それは、曲全体に息吹を与える、たおやかなイメージがあらわれた。
力強く根を張り、伸びやかに手を広げるように、メロディーの上を踊り歌うカナコspeenaさん。
その才能を余すことなく引き出す佐藤信二さんの作詞作曲は、歌詞にあるように
と、変幻自在に羽化していく。
最高のコラボレーションは、高度な場所で融けて境目なく混ざり合う。
ラテン語の『Re:』は、「繰り返し」「再び」「後ろ」「反対」という意味がある。
このアルバムの一曲目にふさわしい。
カナコspeenaさんの新しい一面を感じることができた。
②bulle(emme mix)
聴く人の琴線に触れるイントロは、木漏れ日のように淡くせつない。
カナコspeenaさんのすごいところは、感情を音へ昇華しているところだと思う。
人は、自身の感情を言語化して相手へ伝えることができるけれど、それを音へ置き換えていることに驚いた。
フランス語で「泡」という意味のbulleは、シャボン玉のように空へ浮かんでは、パチンと消えていくその軌跡を追うと、恋につきまとう孤独が垣間見れた。
結局、人はひとりなのだ。
音は、恋の儚さと伴奏しながらしっかりと支えてくれる。
ハジけるような、圧巻の一曲。
③lotus bloom
スイレンの花言葉は「信頼」「信仰」「優しさ」「清純な心」「甘美」。
どれも純粋なイメージが浮かぶ。そう、この曲は、歌詞にもあるように
と、純白で甘美なイメージがあった。
ピュアなきもちがトクトクと溢れてくるようなサビが印象的だった。
そして
なんて素晴らしい歌詞。
「しくじったジャム」というお言葉から、かわいさと無邪気さが滲み出ている。
きちんと血の通った言葉で聴く人を導いてくれる一曲。
④heartbeat
ドキドキするイントロから、高鳴る鼓動のようにアップテンポな曲は、聴く人を一瞬でカナコspeenaさんの色に染めていく。
それは、heartbeat.
ドクンと脈打つ音のように、甘くたゆたう。
そして、夜に関連するワードがたくさん出てくる。
黒猫、三日月など、共に透き通る夜へと導かれる。
歌詞にある
カナコspeenaさんの魔法は、聴く人の手を取り離すことなく、やさしい夜へ連れて行ってくれた。
⑤stripe
爽やかな風が吹き抜ける。
音色はカラッとしていて、どこか遠くへ連れて行ってくれる予感を与えてくれた。
小さなビートが美しくつながり、果てのない歌の水面に接続されていくと、歌が、音が、絡み合うように融け合い、水面の色を変えていく。
この曲を聴くと、体が浮遊感に満ちた。
耳から体へ入った楽曲は、重力に従い体の下へと沈んで血肉になる。
そして、お腹が満たされたときのような、多幸感に包まれる一曲。
⑥kotoba
ことばがピアノの音色の上で踊っている。
その手足の動きはとても神聖で、巫女が神様へ奉納する踊りにも似たそれは、聴く人の心へしんしんと降り積もる。
その声音とピアノの旋律は、どこまでもやさしい。
それは、ときどき吹くあたたかい風のように、するりと体を包まれたときのような清涼感に似ている。
無形なことばだからこそ、変幻自在に聴く人へ届けることができる、そう思えた。
⑦dress
鼓動のような遮断機の警告音のような、正確に刻む音色。
とろりと甘い雫のように落下してくるカナコspeenaさんの歌声。
それは、やさしく細胞の隙間へと染み渡る。
歌詞にあるように、この世は不条理なことばかりだから、「私」はただ、一人で軽やかに踊る。
誰の目も気にすることなく、私は私の道を行くのよ、という意志を覗いたような気がした。
天文薄明の頃合いに撮影されたであろうMVからは、天使のようなカナコspeenaさんが淡い空をバックに歌う。
それは、そのまま美しい空へと飛んで行ってしまいそうな儚さを携えていた。
曲の最後のため息のようなブレスは、この曲を象徴している。
歌も、音も、映像も、美しい恍惚。
珠玉の一曲。
⑧hurt mint(emme mix)
POPに跳ねるような曲。
ホップ、ステップ、ジャンプみたいな軽やかさを身にまとえば、どこまでも飛んでいける。
それは、ねこのように軽やかだ。
曲の最後にある歌詞には
という、意思表示をするところが、いとおしく光る。
⑨avide
土の上へ着実に足を踏みしめながら歩き確かさを感じると、心にできた防護壁が、薄くなっていくような気がした。
外壁には、恐怖があったはずなのに、それが消えて、その代わりに慈愛があった。
最後の歌詞にある
は、これからも生きていくよ、と美しい内なる音楽の魂を聴かせてくれた。
𓃠𓃠𓃠
「ことば」も「音」も無形である。
たとえようのない自分の中に芽生えたきもちを、相手へ伝えることのできる「ことば」は、無形だからこそ曖昧なのだ。
それに「音」をつけることで、曖昧だったもののテクスチャーがはっきりとしてくる。
「音」により、楽しそう、嬉しいそう、悲しそう、辛そうなど、感情をイメージしやすくなる。
だから、人は感情のディテールを伝えるために歌うのかもしれない。
その声は、花が咲くときのやわらかい音色。
その歌詞は、心からこぼれ落ちた濃やかで純なひと粒。
その音は、木漏れ日のような淡いの中で出逢う奇跡。
カナコspeenaさんの音楽は、この世界へ色をつけて、やさしく降り積もり続ける。
私はこれからも、そのチャーミングな足跡を追い続けたいと思う。
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