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雨、恍惚として。|掌編小説


大雨が降る。世界をざーっと白く染めながら。私は、朝早く起きて窓からそれを見ていたら、子どもの頃を思い出した。


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大雨が降ると、水着とゴーグルを装着してその只中へ飛び込む。最初は大小の水滴が肌へ落ちて冷たいけれど、それに慣れてくると自分と雨とが一体化していく。

雨は私へ当たって砕けて溶けて、私の腕や足を伝い地面へ流れ落ちると、そのうちに雨を感じなくなり、自分の体内へ雨が降りはじめる。

ざーざーざーざー

このときの感覚が不思議で、自分は「在る」のに雨との境界線があいまいに溶ける。雨は、ざーっと音を立てて私の中へ墜落して、それがとてもきもちがいい。そして、地面へ寝転んでただ白い空を眺める。何時間もこうしていたかった。

このまま自分の体が溶けて地面へ染み込んでしまいたい。そして、私は、土を肥やし、草花を咲かすのだ。

そう思いながらも、もう少ししたら母が帰ってくる。この私の姿を見たらばちばちに怒るだろう、と思うと、母の鬼のような形相を頭へ浮かべた途端に、雨が私から分離していく。あっ、と思ったら自分へ戻った。

そして、私は、冷たい体を起こし裏口から風呂場へ直行して、あっっついシャワーを浴びた。


⚡︎⚡︎⚡︎


夏休み中に雨が降るとそんなことを繰り返していた。けれど、ある日、母が思っているよりも早く帰宅して現場を見つかってしまい、ばちばちに怒られて以来、していない。

しかし、あの感覚はなんだったのだろう、といまでも思うし、なんなら水着とゴーグルを装着していますぐ体感したい。もしそれをしたならば、たぶん母には、ばちばち以上のぼこぼこに怒られるし、近所のひとからは、気が狂ってる、と思われるに違いない。そう思うと、おもしろくて「うふふ。」と笑ってから床へ寝転んだ。

その間もざーざーざーざー、と雨は降り続いて私の記憶を刺激する。記憶はデータじゃなくて溢れてくるフィジカルだから細胞に染み込んでいるはずだ。

私は、じわーっと垂れる記憶に急かされるように起き上がり、お風呂場へ行くと服を脱ぎ、水のままシャワーを浴びた。「冷っ!」と冷たい水に体が縮こまり、一瞬で体中がサブイボになり、そして、悟った。やはりあの感覚は雨の中じゃないと味わえない、と気がついて慌ててシャワーの温度を上げて体を温めた。

雨に取り憑かれた私は、服を着たまま外へ出ようか?それともこのまま──とお風呂のドアを開けると母が洗濯機の前にいて

「おはよ。あんた、お風呂入ったの?」

と、言うから私は「お、おん。」と返事してドアを閉めると、非現実から現実に戻ったような気がした。

やばいやばいやばい。私は、素っ裸で雨の中へ行こうとした!やばいやばいやばい。

体を拭いて身支度を整える頃に窓の外を見ると、雨は止んでいた。なんだか、狐に化かされたような、不思議な気分だった。

私は、たぶん雨に取り憑かれている。








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