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鼻とか国士無双とか餃子とか。


ほげ〜っとした小春日和の日曜日の昼。母と私は、住んでいるところから離れた大きな商店街にある大衆居酒屋へランチを食べに車で向かった。車を駐車をして商店街を歩くと人で賑わっていた。少し歩いて大衆居酒屋へ到着すると店内は人でいっぱいで、私たちは店の外で「どうする?他に行く?」と話していたら店員さんがやって来て「相席になりますが、すぐに座れますよ。今日は美味しい魚も刺身にできますし、ぜひ!」と、勢いよく伝えてくれた。私たちの脳みそは刺身でいっぱいになって「では、お願いします。」と店員さんに告げると、20代くらいの女性3人が座るテーブルへ案内された。私たちはその人たちと軽く会釈して席へ座り料理を注文した。すると居酒屋だけに、すぐに飲み物のウーロン茶がふたつ来て母と乾杯したら、私の横のひとりが「ちょっと、さっきからおかんから着信あるから電話してくるね。」と、席を後にした。すると、残った2人は笑顔で見送っていたと思ったら、そのうちの1人が

「アイツ、鼻整形してから調子ノってるな。なんか腹立つわ。ボケが。」

と、言った後にビールをグイッと飲んだ。私たちは、パンチのあるその言葉に驚いてその人をチラッと見てしまうと、もう1人と目が合い軽く気まずい会釈をした。

聴きたくないのに聴こえてしまう。やだあ。

そう思いながら、美味しそうな料理がテーブルへ並ぶと気分転換して母とふたりで、いただきます、をして刺身やら餃子やらをいただいた。するとその2人は、私たちに聴こえても何とも思わない様子で話を続けた。その2人の話を要約すると、先ほど席を立った人の悪口を言っているらしい。そして、その人が鼻を整形した途端にモテまくっていることがわかった。

「アイツ、国士無双やん。調子にノってるわ。」

私は椅子からひっくり返りそうになった。きれいな口紅から繰り出される悪口に、聴き始めたことを後悔しながら、味がしなくなった刺身やら餃子やらを食べた。そして、私はある小説が頭にポンッと浮かんだ。



人間の心には互いに矛盾した二つの感情がある。もちろん、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。ところがその人がその不幸を、どうにかして切りぬけることができると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して言えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れてみたいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くようなことになる。

芥川龍之介『鼻』より引用



この物語のあらすじは、禅智内供という僧がいた。内供は特徴のある鼻をしていた。それは鼻が異様に長く顎の下までぶら下がっていた。この鼻に悩まされて自尊心を深く傷付けていたが、それに追い打ちをかけるように、周りのから奇異な目で見られていた。そして、絶えず人の鼻を見たり、仏教の経典を見て自身と同じ鼻はないか探すが一向に見当たらず苦心していた。ある時この鼻を治療してくれる医者が現れ、見事に鼻が短くなる。傷付いた自尊心を回復した内供だった。しかし、それも束の間、前よりも短くなった鼻を見て笑う者が出始めた。日を追うごとに笑う人が増えて、そのうちに鼻が長かった頃よりも馬鹿にされているように感じて、再度自尊心を傷付けられて、きれいに短くなった自分の鼻を恨む様になる。そして、ある夜に内供は鼻が痒くなり翌朝起きてみると元の長い鼻に戻っていた。内供は、これでもう誰も笑う人はいなくなる、と安心したのだ。

この物語は、登場回数の少ない傍観者の利己主義が背景にドカンと幕を張っている。引用文の様に人の不幸は同情し得るが、その人の不幸が消えるとなんとなく物足りなくなり、淡い敵意を抱いてしまう感情が人には備わっている。内供は、その他大勢の利己主義に振り回されてしまった。

隣の人たちの関係性は定かでは無いが、私が想像するに、外へ出た人が鼻を整形するA.C.、B.C.で変わったのだろう。整形前は友達だったものが整形後にそのバランスが崩れた。とどのつまり、妬み、嫉みだ。それが、あとの2人の心を抉り取り穴がぽっかりと開いたその部分に油を注いで点火した。燃える嫉妬に狂う炎。それを消火する材料はなかった。ただ轟々と音を立て拡がるそれは、鼻を整形してモテモテの人との絆すら焼き尽くしてしまったのかもしれない。煤となった焼野原には、ただポツンと利己的な考えが横たわっていた。2人は『鼻』の内供の周りにいる傍観者になって、ある敵意が剥き出しになったのかもしれない。

これは、私の想像だ。実際にその人たちの日常に私は存在しない。それと共に私は、その人たちを非難も出来ない。私も傍観者のうちの1人だ。

しかし、当事者にしたら、たまったものではないだろう。あれ程の悪口を言われていると知れば、悲嘆に暮れる。いや、それ以上かも知れない。

そのことは、誰にでも内供にも傍観者にもなり得る中で、少しでも自分を戒める出来事となった。

私たちは、悪口で味のしなくなった料理を平らげて店を後にした。





人の内
覗いてみては後悔し
食べる餃子が
風味失う

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