〈映画研究ユーザーズガイド〉     第7回 ホラー映画

マレイ・リーダー『ホラー映画 評論入門(Horror Film A Critical Introduction)』(Bloomsbury, 2018)

 カラーのあとにホラーをとりあげるというのは下手な語呂合わせのようでしかないが、これまでの話に鑑みると、それほどおかしいわけでもないだろう。
 補助線を引いておけば、ハンセンが「グローバル・ヴァナキュラー」というフレーズをもとに注意を寄せているのはハリウッド映画における感覚に訴える力であることはすでにみたとおりだが、じつのところ、その力を「グローバル」な拡がりで放っていたのはジャンル映画であるとしているのだ。
 ジャンル映画というのは、それ自体の面白みもさることながら、それはなぜ国境を軽々と越えるのかという映画界全体の問いとして興味をそそる領域なのだ。

 じっさい、近年、映画ジャンル論は盛り上がっている。なかでも、筆者の体感では、ホラー映画はひときわ目立つ盛り上がりを示している。流通自体とても活発で、数々の作品がひとびとを誘惑し怖がらせている。我が国発のJホラーが世界をかけめぐったし、お隣韓国発のKホラーのグローバルな人気はたいへんなものだ。学術研究が活況なのもそれが一因かもしれない。まさに、21世紀のグローバル・ヴァナキュラーである。

 ということで、今回は、現代ホラー映画論の入門書、マレイ・リーダーによる『ホラー映画 評論入門(Horror Film A Critical Introduction)』(Bloomsbury, 2018)をとりあげたい。ブルームズベリー・アカデミック社の「映画ジャンル」叢書のひとつで、ほかにも「ファンタジー」「サイエンス・フィクション」「アニメ」「フィルム・ノワール」などがすでに刊行されている。
 『ホラー映画 評論入門』は、概ね三部構成になっている。第一部は、ホラー映画史の概略、第二部 その受容の分類整理、そして、第三部が、著者自身の理論的考察、といった格好だ。
 「入門」と銘打たれているのではあるが、提示されているホラー映画論は、目が醒めるくらいラディカルなものである。先取りしておけば、ホラー映画こそが、「映画とは何か」という問いを誰よりも何よりも省察してきた特権的なジャンルである、そんなテーゼを掲げるのだ。だが、一読しての筆者の印象は、それほど奇を衒ったものでもないな、そこそこ説得力もあるな、というものだった。映画研究者なら一読はしておくべきだろう。
 どういった論理で、上のようなラディカルなテーゼは組み立てられうるのか。全体にわたって膨大な数のホラー作品が言及されてもいるので、要約することはなかなかできないのだが、なんとか核となる部分だけ抽出してみたい。

 まず、第一部の歴史概要であるが、これは上手に構成されていて、第二部、第三部の議論と呼応する格好になっている。もう少し敷衍しておくと、ホラーの定義をあらかじめ提示した上で、その歴史をスケッチするというよりは、ひとびとがホラー映画と分類してきたものを概観してみると、こんな具合になるでしょうといった仕方でスケッチされた歴史である。 
 著者は、三つの時期に分けてホラー映画史をまとめている。
 第1期は、映画誕生からの1930年代後半までだ。初っ端から過激だが、リュミーエルの『列車の到着』は観客が実際逃げ出したかどうかはともかくも心身が震えるほどの視聴経験であったことは間違いない、それを踏まえれば、もうこれはホラー映画だという議論があったりする。物語映画の祖といわれるE・ポーターの『第列車強盗』もまた同じようにホラー映画だという議論がある。もっといえば、ファンタズマゴリアもマジックランタンもホラーものばかりだったではないかと。ホラー映画の圏域の同定はかくも拡がりをもつものだといわんばかりなのだ。
 他方、1920年代ドイツ表現主義ではホラー映画が主流であった。そして、大恐慌後の1930年代前半ハリウッドにおいて第一の黄金時代を迎えている。そののち、いかがわしいとされはじめたジャンルは社会制度化して中産階級好みのものとなっていく。これまでの映画史を軽々と横断してホラー映画は人気の広がりを示していたことが確認されるのである。
 第2期は、1930年代末から1970年代前半までである。いわば、すでに定着したハリウッドシステムのなかにあって、ホラー映画はそれでも、撹乱的な表現力を失うことなかっただろう。中産階級が好む健全な合理的思考の破綻する際(キワ)を物語世界に織り込む物語設定が多く、技巧を凝らした特撮効果もともないながら、戦争映画やSF映画、ファミリー・ドラマなどと連結しながら多彩に展開していく。ホラー映画は、ジャンルとの混淆という拡がりもいともたやすく実現していくのである。
 第3期は、1974年から現在(2010年代)までである。
 大ヒットなった『ジョーズ』(1975年)が、大学の映画学科で半ばインディーズのS・スピルバーグが一種ロールモデルとなっていく。一方では、第二期であらわれはじめていたような『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』や『ローズマリーの赤ちゃん』のように低予算しかない若手監督たちの腕だめしのアリーナとなり、メジャーとインディーズが交差するポジションを映画界で占めることになっていく。大手の『エクソシスト』(1973)からはじまっていたホラーの第二の黄金時代も、ウェス・クレイブンなどの低予算でのこだわりと並走していた、そうした映画界の構造を自由に行き来する拡がり、である。
 いっきに端折ってしまうことになるが、そうした脈絡で、1980年代〜1990年代つまりいうところのポストモダンの時代にはホラーコメディという混淆型があらわれたり、1990年代にはJホラーをはじめとするアジアの作品が国境を越える人気の拡がりを得る。さらには撮影カメラの一般家庭への普及やデジタル技術の浸透のなか、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』など挑戦的な自主制作も生まれくることになる。
 かいつまみすぎたかもしれないが、こんな具合だ。映画史を上に下に横に縦に斜めにと闊達な拡がりをもってホラー映画は貫いてきた、そんな基底的な側面を駆け足ながら浮き彫りにするのである。
 
 次に著者リーダーが接近していくのは、ホラー映画の受容のマッピングだが、過激ながら、なるほどなあと膝を打つところがある論述部分である。というのも、ホラー映画はつねに、映画という制度を問い直す場に立たされてきたということが確認されるのである。
 ホラー映画を受けとめる主体は、一般の観客や批評家のみならず、医療や検閲や教育に携わる者にまで広がっている。有り体にいえば、このジャンルに対する社会の反発や抵抗には、相当なものがあったし、いまもあるということだ。ホラー好きは一種の病的心理によるのではないか、ホラーは犯罪行為へと促すものでしかないのではないか、子どもたちに悪影響を及ぼすのではないか、といったふうに。
 これらは単純に、ネガティブな受け止めがある、という程度のものではない。実効的に対応ができる制度や組織を動かすほどの言説として作用してきたものでもあるのだ。 
 著者リーダーは、だからホラーはダークなジャンルなのだと位置付けようとしているわけではない。また、それとは逆に、抑圧と解放という素朴な対立図式から、こういう圧力は跳ね返すべきだという主張に与しようというわけでもない。端的にいえば、ホラー映画はつねにいつも、社会の各局面で論争を生じさせきたのであり、ひいては、つねにいつも、映画が成り立つ条件に向けて作り手、送り手、観客は思考をとんがらせざるをえない、やばい存在だったのである。そしていまもそうありつづけているだろう。

 ホラー映画を語る研究においても、そうした立ち位置が陰に陽に認識してきたのが実際だろうという。
 なかなか学術界においてはとりあげにくかったホラー映画を真正面から挑んだ論考は、ロビン・ウッドの論考「アメリカのホラー映画への導入(An Introduction to the American Horror Film)」だろう。もっとも広く読まれたホラー映画論でもある。精神分析理論のいう「抑圧されたものの回帰」を応用したもので、恐怖を与える怪物(モンスター)には、アメリカの中流階級がその生活規範の中で抑圧してきた女性のセクシュアリティ、労働者階級などの意匠が、グロテスクな形をまとって回帰しているものだとした論である。
 (ウッドはケンブリッジ大学でハードな文学主義者F・R・リーヴィスの指導を受けているが、鬼っ子のように映画批評へ向かった人で、しかも、まさに第二回でスケッチしたような作家批評から構造主義への同時代の流れを駆け抜けたような研究者だ。60年代から70年代にかけてヒッチコック論やヌーヴェルバーグ論で名を馳せ、のち、拠点をカナダに移し、映画研究の確立に貢献している。ちなみに、日本では遅れること30年ほどだった頃だが、映画研究者ではないものの売れっ子の物書きが学術的な看板でウッドの上記論考のひどい劣化版のような映画評論を刊行していた。)
 この方向の論考はおびただしいほどに続くが大きく転換するのは1990年前後だ。フェミニズムの視点が導入されたのである。二つを上げておこう。まず、哲学者J・クリステヴァによるアブジェクション論を活用したB・クリードの論考がある。おぞましくも魅惑的なアイテムが纏う「おぞましい(アブジェクト)」力は怪物形象から小道具配置にいたるまで随所に認められるだろう。もっとも際立つのは、ひとは、自らを保護してくれた母親を自己の圏域から追い出すが、それが回帰しているというのだ。子どもを産み育てる母親が怪物化させられ登場するというのである。これは『エイリアン』シリーズなどの多くの作品に確かに認められるところだろう。
 あるいは、C・クローバーは、女性は受動的な存在というばかりではないという論考がある。。『ハロウィン』シリーズなどにも見られるように、形象上はジェンダーが曖昧な向きも強い女性が、恐怖の殺人者と対決するという格好の「最後の女性(the Final Girl)」を描き出した論考である。 
 他方、真っ向から異なるホラー映画研究もではじめる。この備忘録でも何度か触れた『ポスト・セオリー』をボードウェルととともに記した分析哲学者ノエル・キャロルである。『ホラーの哲学(Philosophy of Horror)』と銘打たれたこの本は、ごく概括的にいえば、合理的思考が宿す、未知の現象への好奇心こそがホラー映画を駆動させているエンジンなのだという主張を強く展開したものである。
 だが、これらは、作品を成立せしめている(精神分析上のものであれ認知上のものであれ)記号群に着目し論を組み立てていた。こうした着目は、20世紀に盛んであった「言語論的転回(linguistic turn)」の地平のもとにあったといえる。

 だが、こののち、W・J・T・ミッチェルが掲げた「画像的転回(pictorial turn)」の段階に入る。映画研究では、一気に身体経験を軸に置くものが増えていっただろう。(ちなみに、ミッチェルについては、拙著の仕事の関連で芸術研究者と称する方が文章を書いていた。それはそれでありがたい話なのだが、芸術学研究者の語学力とはこの程度のものかとびっくりもした。日本の芸術研究者は欧州贔屓が多いので英語の勉強はあまりしないのだろうか。)
 映画研究における大きな転回の第一歩は、L・ウィリアムズによる身体ジャンル論だ(時系列的には前後しているが)。よく知られているように、ウィリアムズは、ハリウッド映画の中に身体経験に作用するジャンルが三つあるという、新機軸を打ち出した。「身体ジャンル(body genres)」と称されている三つは、性的反応を生じせしめるポルノグラフィ、発汗や脈拍を高めるホラー、そして涙を流させるメロドラマ、である。この備忘録でも何度か触れた、ローラ・マークスや、ソブチャック、スティーブン・シャビロなどの仕事も、それにつづく代表的なものだ。
 ホラー映画研究も例に漏れない。というか、まさにこの方向でこそ活況を呈しているのかもしれない。
 アンナ・パワウェルの『ドゥルーズとホラー映画(Deleuze and Horror film)』(2005)を筆頭に、ジュリアン・ハニッヒの『ホラー映画とスリラーにおける映画の感情−−快楽でもある怖れという美学的パラドックス(Cinematic Emotion in Horror Films and Thrillers: The Aesthetic Paradox of Pleasurable Fear)』(2010)、アンジェラ・ンダリアーニの『ホラーの感性−メディアと感覚器官(Horror Sensorium: Media and the Senses)』(2012)、ローリー・デュデンホッファーの『身体性とホラー映画(Embodiment and Horror Cinema)』, グザビエ・アルダーナ・レイエの『ホラー映画と情動−−観ることについての身体モデルに向けて(Horror film and Affect:Towards a Corporeal Model of Viewership)』(2016)などなど、目白押しといった隆盛ぶりなのだ。
 あらっぽい感じだが、こんな具合の整理である。

 ここまでの著者の議論を強引にまとめるとこういうことになる。ホラー映画に関して

(1)その歴史では、国やシステムを選ばない拡がり、人気ぶりが、
(2)その受容では、人気ぶりとは裏腹の反発や抵抗の拡がりが、

が認められる、ということだ。それがホラー映画の実際だということだ。
 だとすれば、ホラー映画論は本来的には、これらを視野に収めたものでなければならないはずだ。著者の論は、それが立脚点になっている。

 キーワードは、「技術の不気味(technological uncanny)」である。
 日本では、映画を観る視線の特質を論じた視覚的快楽論(1975年)を論じた人として主として知られているが、ほぼ30年を経て、L・マルヴィが提起した、まったく新しい批評概念である。ごくシンプルにいっておけば、こうことだ。
 初期映画の興行現場についての記録がよく伝えているのは、列車が走るのを観て観客が逃げ出したのだとか、絵画や写真のように静止してはずのイメージが幽霊がごとく動きだしたから逃げ出したのだとか、まことしやかなとエピソードだろう。事実はともかく、その主観的な知覚意識は、M・ゴーリキーからM・バラーシュまでの文章とも響きあいもする。新しいテクノロジーがもたらす驚異をめぐって語られたものだ。いや、それは、未知のテクノロジーの体験に関わって、受け手側が(もしかすると作り手や送り手もまた)心身に織り込んだ(つまり、受動的に反応しただけでない)期待とも畏れとも見分けのつかない感覚だろう。未知のテクノロジーに対して受け手が思い描いた期待と畏れ、その軌道をさして、マルヴィは「技術の不気味」と呼んだのである。それが、この概念に対する著者リードの整理である。

 そして、リーダーはこの概念を、先にみた人気の拡がりと受容の拡がりの実際とダイナミックに連結させ、自らの論を組み立てていくのである。
 ポルノとも呼ばれ犯罪的とも呼ばれ教育上好ましくないとも呼ばれてきたホラー映画は、作り手も送り手も観る者も、映画というオーディオ・ビジュアルな実践がもつ、ポジティブかつネガティブな可能性につねにいつも晒されてきた。そのことを踏まえ、ホラー映画は、「もっとも自己省察的な(self-reflexive)」ジャンルであるとC・クローバーは述べただろう。
 著者リーダーは、これに、マルヴィの「技術の不気味」論を接続させ、映画の成立条件のち直し作業を一身に引き受けてきたのがホラー映画だと論じるのである。 
 「技術の不気味」に翻弄されつつも、それと対峙することで、映画の表現の可能性を切り拓いてきた、そういう構えといってもいい。

 でも、具体的にはどういう不気味さが省察され、そして表現へと結実してきたのか。
 興味深いところだが、リーダーは、サウンド、カラー、デジタル技術という三つの観点から説明を試みている。
 (先に触れた『ドゥルーズとホラー映画』でも、冒頭、著者アンナ・パワウェルは、ホラーファンは、精神分析論的映画研究が想定するような観客は現実には存在しないのではないかという。男性のみならず女性のホラーファンもいるし、彼女ら彼らは、特殊効果をはじめ画像の工夫をネタにおしゃべりに興じることが多いと述べるのである。映画研究が現実と接点をもつという意味でも、効果や技法を論じることができなければならないということだ。)

 サウンドについてはこう論じられている。
 映画史はことのはじめよりサウンドと切り離されたことなどなかった。これは、ときにいわれるような、上映興行の際には必ずやお囃子なりミュージックバンドが楽器や効果音を、場合によっては弁士がセリフを謡いあげていた、という水準の話にとどまらない。『ノスフェラトウ』をみてもわかるように、啼いている(はずの)鳥のショットがインサートされることで時間経過の提示がなされていた。そのほか、音を発するイメージが、プロット展開のアクセントとして映し出されていた例は枚挙にいとまがない。映像と音響は互いに合わさって物語を語ってきたのであり、出来事の発生の展開を織り上げられてきたということだ。
 ありきたりのことが述べられているわけではない。
 たとえば、D・ボードウェルであれば、映像による語りを十全なものにするために、音は、その種類において声、効果音、音楽の三つに分類され、語りのシステムに対する配置として物語世界内の音かあるいは物語世界外の音かに区分けされることで、映画作品のうちに織り込まれているというだろう。そんなものではないとリーダーはいっている。
 たとえば、音がはたして、見えている音源において発されたのかどうかという確定度合い(sound fidelity)の問題が残るだろうという。わたしたち観客は、劇場のスピーカーから耳に届く音を、スクリーンにかけられている画面世界の中か外かにあるアイテムが音源となっているのだろうとふつうは受けとめることがあるのはたしかだ。(でも、F・コッポラの『カンバセイション 盗聴』(1974年)あたりから明瞭に演出工夫上、それは崩されはじめている。)ホラー映画にあっては、映されていたアイテムが、当の音源ではないことがごく当たり前に生起する。ばかりか、わざわざどちらかわからない宙ぶらりんのまま届けられることがしばしば演出されたりもするのである。
 リーダーは、『サイコ』のエンディングで鳴り響く母親の声を例としてあげている。スクリーンいっぱいに映されたノーマンが心のうちで発している声なのか。彼が聴いている母の声なのか。はたまた、物語世界外からの効果音として監督が組み込んだ声なのか。不分明のままであるからこそ物語世界に格別の奥行きを与えるものとなっている。

 音源の在り処が不確定な声や音は、画面全体にわたって、よからぬ出来事の発生の予兆を浮かび上がらせることもあるだろう。いわば、映し出されているものすべてをドキドキ感(サスペンス)に仕立て上げるのだ。
 これは、ボードウェルルらがいう、物語世界の中で情報伝達に制約がある人物と全体を知っている観客との間のギャップがサスペンスをつくるという整理だけでは足りないということを示している。画面は音との協同においてこそ、サスペンスが生まれるのだ。
 あるいは、だ。リーダーは、彼が「腹話術的」と呼ぶ音の技巧についても説明している。音源からはまずもって発されないだろう音が、当のアイテムから発されているがために、観客の不安を募らせる効果を生む技巧だ。喋るはずのない人形から声が発され、観客を得体の知れない気配に包み込むホラー映画は数え上げるときりがないが、悪魔に憑依された少女の口から老婆の声(少女役とは異なる80歳の女優のそれ)が発される『エクソシスト』は、この技巧の展開系のひとつだろう。
 これらのほかにも、音をめぐる技巧がとりあげられているが、それは読んでのお楽しみということにしておこう。

 カラーについてはどうか。
 想像にかたくないが、前回取り上げたユミビのカラー論はすでに大前提となっている。関連文献(Steve Nealeなど)などにも目配せしながら数ページにわたって説明されているが、「超常」現象などのカラーづけなど、ホラー映画では、1930年代以降もさらなる技法や技巧の展開があったという。
 心理学者で映画についてもよく論じたL・アルンハイムが1935年に、テクニカラーの登場の際に、カラー映画は、「不自然な」世界イメージをもたらしたと述べたことにも言及しているが、たとえば、1960年版『13ゴースト』での色使いでも、幽霊の出現との関連で効果を発揮していることが詳細に述べられている。「降霊的な(ectoplasmic)」な出来事が関わるシーンとも言えるが、まさにこれこそがユミビがいう「投影上の立体感(projective dimensionality)」ではないかというのである。
 また、カラー処理が次第に制度化されていく過程は、逆に、白黒画面を戦略的に配するということにもつながっていったという。白黒とカラーで画面を色分けし、世界をかたちづくる複数のレイヤーを別させるやり方など典型だろう。つまり、『ドリアン・グレイの肖像』(1945年)での着色された絵画の場面や『ショック集団』(1963年)の狂気じみていく場面などだ。あるいは、『天国への階段』(1946年)や『ベルリン 天使の歌』(1987年)では、彼岸此岸の対比が色付きの有無で表現されている。
 それが少し変奏されると、『シャイニング』(1980年)のように、メンズルームの赤い壁のショットをはじめとする多くの画面で配された鮮紅色が、キーモティーフのひとつなっているエレベーターから溢れ出る血のショットと、響き合うカラー・スタイルにもなっていくだろう。目論まれた効果は、写実的な描写であるというよりは、心身への触覚的な訴求だろう。ドラキュラ物の多くでも、あれやこれやの鮮やかな紅色が観客に対する一種のショック感として作用させることが見込まれていたのだと同じだとリーダーは述べている。

 デジタル技術はどうか。
 これについては、原著をお読みいただくとして、ごく簡潔にすませておきたい。
 デジタル技術については大きくは二つの軸からアプローチしているようだ。ひとつめは、デジタル技術が映画制作に全体にわたって入り込んでしまった段階でのホラー映画作りとはどのようなものとなりつつあるのかという軸である。ふたつめは、デジタル技術が社会すなわちひとびとの心身に十分に浸透している段階でのホラー映画の新しい特質という軸だ。
 合わせてかんがえたとき、たとえば、それは、あえてのアナログ技術(とりわけ録画技術)の特徴への回帰が、物語世界のなかへと取り込まれていくというもので、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』などが典型だろう。他方、社会への浸透が生じせしめているのは、メッセージや画像の交換や流通のズレが引きおこす制御不可能なものの出現が物語世界のなかで現れるというものだ。これについては、いわゆるJホラーの作品群に強く照準があてられることになっている。

 どれほどのラディカルさをこの書物に認めるかは、読む人それぞれに異なるかもしれない。でも、筆者自身は、相当程度びっくりしたホラー映画論である。
 

Murray Leader, Horror Film: A Critical Introduction
https://www.bloomsbury.com/us/horror-film-9781501314438/

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