アイドルオタクによる「セロ弾きのゴーシュ」の読書感想文

ライブハウスにいると、セロ弾きのゴーシュのことを思い出す。

子どもの頃は読書家だったので、宮沢賢治などを与えられるがままに読んでいた。
振り返ってみて思うのは、宮沢賢治って児童文学って体でいるけど、子ども的にはそんな面白くないのでは? あれは大人が学童期を懐かしみながら読むものな気がしている。

実際、小学生だった私は「セロ弾きのゴーシュ」を読んで「…?」となっていた。
当時動物が大好きだったのでゴーシュが手荒に扱う動物たちに同情して読んでいたら、結局ゴーシュがいい感じになって終わる。どういうこと?

ゴーシュはセロ(チェロ)奏者。だがあまり上手くない楽員らしく、演奏会の練習中に楽長にボロクソ言われてしまう。その日の夜からゴーシュはがむしゃらに練習をするのだけど、そんな焦って苛立ったゴーシュのもとに、気を逆撫でするように毎晩動物たちが訪ねてくる。
最初は猫。演奏を聞いてやると生意気に言うので、家から出られないようにして暴力的な演奏で揉みくちゃにして手ひどく追い返す。翌日はかっこう。鳴き方の練習に付き合ってやり、そこまではいい感じだったのに、最後脅かされて慌てて飛び立とうとしたかっこうは窓にぶつかって可哀想なことになる。翌日は子狸。ここはちょっと和む。
そしてネズミの母子。
母親ネズミが、病気の自分の子どものためにセロを弾いてほしいとゴーシュに嘆願する。ゴーシュの演奏が按摩のようになって動物たちの病気を治すのだという。ゴーシュは子ネズミをセロの中に放り込んで、ごうごうと演奏してやる。

子どもの頃の私は背が低く、あらゆる小さいものに肩入れしていたので、憐れな子ネズミに感情移入して悲壮な展開に身構えていた。
セロから出された子ネズミは可哀想にぶるぶる震えて、震えて、最後に急に駆け出す。すると母ネズミは病気が治ったのだとゴーシュに感謝して帰っていく。

どういうこと???

ゴーシュがいいやつなんだか悪いやつなんだか、子ネズミは本当にそれで快復したのかどうなのか分からないまま、しかし子どもなので納得いかないままでもまるっと飲み込み、そして大人になったある日唐突に理解した。

私の家には歌手やタレントのライブに行くという文化がなかった。劇団の舞台とかオーケストラとかはろくに覚えていないけども連れていってもらったことはある。子どもに宮沢賢治を読ませるご家庭だから…というわけでもなく、ただただ文化としてなかった。母はテレビに出ている芸能人の名前をほとんど言えたしジャニーズのCDもモー娘のCDも買っていたけど、人生で一度もその人たちのライブに行ったことがない。しいて言えばテレビっ子。今でも平然と「遠い席から生で見るよりテレビの方がよくない?」と言ってくる。
そして私もまあまあ長いこと同じように思っていたので、結果、大学生になるまで私は「箱」と呼ばれるような現場に行ったことがなかった。

インターネットを知って本を読まなくなった私が出会ったのが、アイドルだった。

私が人生で最初に行ったコンサートが、AKB48東京ドーム公演。前田敦子の卒業コンサート。映像でいいやと思っていた私が、さすがに、これは行かないわけにいかないんじゃないか?と何もかも分からないままチケットを取り、初現場参戦に至った。開演と同時に、在宅で一万回聞いたOverture(煽り曲)が流れ出し、東京ドーム全体に届くような肌で振動を感じるほどの音の圧を浴びる。
「音ってマジで振動だったんだ」
心臓が震える。感動とかでなくて、物理的に震えている。

なるほど、こういうことか。こいつは楽しいな。

それから四年後。アイドルを追っていると思いもよらないところに辿りつくことがあるもので、推しメンの卒業後初めての仕事が「クラブハウスのDJ」だったため、一生縁のないものだと思っていたギロッポンのクラブで踊ることになった。
早く来すぎて全然人がいないフロアといえど、明らかに「陽」の場にいかにも垢抜けないオタクである自分がいる場違い感に心折れそうになりながら、声を張り上げてもろくに会話にならない爆音の中で、音の振動に何もかも揺らされながら、はっきりと私はゴーシュと子ネズミを思い出した。

私は今、セロの中にいる。

暗い箱の中、緊張しながらぐらぐらと一匹、音の波に揺れていた子ネズミの視界はこうだったのかもしれない。ミラーボールはなかったかもしれないけど。
怯えも楽しさもあったその日以来、特に夜遊びを必要ともしていないのでDJがいるような箱には行っていないが、あの爆音空間には恋しさがあり続ける。

爆音は憂鬱に効く。
宮沢賢治も六本木で踊る夜があったのだろうか。それとも東北の祭りがクラブハウスなのか。

それからさらに数年後。
DJをやっていた推しも今や二児の母。私は映画にハマったりアーケードゲームにハマったりアニメにハマったりソシャゲにハマったりし、就職したり転職したりとそれなりに人生をやり、コロナ禍があり、「生」のコンテンツにすっかり触れる機会を失って、何でもいいからあの音圧を浴びたいと思うような瞬間もあり、けどなかなか叶わず、友人の誘いでフェスなども行ってみたりして、

そして数ヵ月前、再びアイドルグループにハマった。ただいま!!!!!

ライブアイドル、というジャンルにいるそのグループを追っていくと、いかにも箱という感じのライブハウスに行く機会が出来た。よく対バンなんかをやっているので、他のグループの出番なんかも見る。
初めて聴く、何も知らない曲。ただそれが、大音量で流れてきて肌を叩く、心臓が揺れる。

楽しい。

友人知人にも一緒に見に行ってみない?と声を掛けてみている。好きなものを押し付けるのは普段は気が引けるし、連れていってハマってくれることが、そんなにないことも分かる。
けれどもライブハウスには、爆音がある。問答無用に、気の病に効く。

セロの中から出た子ネズミは確かに快復したのだろう。ぶるぶる震えて、駆け出す。私だって浮かれてワンドリンクで酔っぱらい(特典会で話せなくなって以来ノンアルにしている)、帰路の新宿二丁目を足早に歩きながら、ホストの勧誘や知らんおじさんの声掛けを振り切っていく。

アイドルを追うようになって、分かるようになった本がいくつかある。そのうちの一つが、「セロ弾きのゴーシュ」。爆音は、アイドルに限らないけども。
体験のきっかけを与えてくれたのは確かにアイドルだったわけで。

私のように、音の振動が恋しいけれどきっかけを失っている兎や狸やミミズクの皆さんは、よかったら私の好きなアイドルを見に来て下さい。
ゴーシュのセロの中の子ネズミの気持ちを得たい人間の皆さんにもお薦めしておきます。

もっと言うと、私の推したちは、聴衆の前で印度の虎狩を弾いたゴーシュになりうるかもしれない人たちなので。

よかったら、セロの中で会いましょう。


きのホ。というグループです


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