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百幅拝見

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2020年4月からInstagramで書きはじめた軸についての記事をまとめます。
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記事一覧

掛軸 二十六幅目から三十幅目

掛軸 二十六幅目から三十幅目

二十六幅目 一口吸尽西江水

この言葉は、『馬祖語録』『龐居士語録』『法演禪師語録』など、様々な典籍にあります。

「万法と侶たらざる者、是れなん人』と問われ、「西江の水を一口で飲み尽したらいってやろう」と答えます。

「森羅万象と離れた存在とは?」
「西江とは大きな川であり、その川の水を飲み尽くすことができたら教える。」
ということです。

これは絶対無理な事です。

西江だけではなく、宇宙全体

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掛軸 二十一幅目から二十五幅目

掛軸 二十一幅目から二十五幅目

二十一幅目 語尽山雲海月情

山の情、雲の情、海の情、月の情、親しい者同士が、心情、心境の全てを語り尽くす様子です。

心無い書き込みで、人の心を傷付けるニュースを耳にします。心情のありったけを語り尽くす事は、ネット上ではできませんね。

二十二幅目 無心

無の心です。
心が無いのではなく、無の心です。

二十三幅目 白雲抱幽石

寒山詩の一節で、
庭際何所有 白雲抱幽石
とある。

庭先には何

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掛軸 十六幅目から二十幅目

掛軸 十六幅目から二十幅目

十六幅目 圓同大虚無欠無餘

圓なること大虚に同じ、欠ること無く餘ること無し。

太虚は大空・宇宙を意味します。
円は宇宙と同じで欠ける事なく、余ることも無い。

欠けると言うことは、必要としている。
余ると言うことは、必要としていない。
そのどちらもない。
必要という考えすらない。
それが宇宙であり、円である。
という深い解釈もあります。

十七幅目 竹上下節清風起

1年の節目に門松で竹を飾り

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掛軸 十一幅目から十五幅目

掛軸 十一幅目から十五幅目

十一幅目 山色清浄身

蘇東坡(そとうば)の句に
溪聲便是廣長舌 (けいせいすなわちこれこうちょうぜつ)
山色豈非清淨身
「さんしょくあにせいじょうしんあらざらんや)
夜來八萬四千偈 (やらいはちまんよんせんげ)
他日如何舉似人
(たじついかんかひとにこじせん)
とあります。

渓川のせせらぎからも説法の声が聞こえてくる。
山肌の彩りは清らかな仏の身体の姿である。
夜どうし八万四千の経を唱える続け

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掛軸 六幅目から十幅目

掛軸 六幅目から十幅目

六幅目 和敬

互いに心を開き合わせ、互いに敬う。
という解釈です。

合わせることを和える(あえる)と「和」の字を当てます。

ですから、料理で食材と食材を混ぜ合わせた食事を和え物といい、数学で足し算の結果でも和といい、「和」の字を当てます。

和とは、そもそも、争いなくおさめる。仲を深めるなどの意味をもっているそうです。

そこから、和らぐ(やわらぐ)和む(なごむ)と字を当てて優しい意味をもっ

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掛軸 一幅目から五幅目

掛軸 一幅目から五幅目

一幅目 直心是道場

言葉の由来は釈迦の時代、古代インドで光厳童子が、騒がしい毘耶離城下を出て修行をするのに適した閑静な場所を求めようとしているとき、釈迦の在家弟子である維摩居士と出会います。

光厳童子は「どちらへいらしていたのですか」と挨拶をすると。
維摩居士は「道場です」と答えます。

維摩居士が修行する道場となると大変素晴らしい道場のはずです。
すかさず、「その道場はどちらにあるのですか」

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