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掛軸 十六幅目から二十幅目

十六幅目 圓同大虚無欠無餘

圓なること大虚に同じ、欠ること無く餘ること無し。

太虚は大空・宇宙を意味します。
円は宇宙と同じで欠ける事なく、余ることも無い。

欠けると言うことは、必要としている。
余ると言うことは、必要としていない。
そのどちらもない。
必要という考えすらない。
それが宇宙であり、円である。
という深い解釈もあります。

 小堀定泰筆
「圓同大虚無欠無餘」


十七幅目 竹上下節清風起

1年の節目に門松で竹を飾り、上半期下半期の節目には七夕で竹を飾ります。

日本の風習に竹は必要不可欠ですが、少しずつ文化離れが進み、竹の節目も知らない方々がいるそうです。

竹を知らなければ、清風も感じられないですが、それを伝えるのが文化かも知れません。これを節目に知って頂きたいですね。

山田無文筆
「竹上下節清風起」


十八幅目 唯吾知足

龍安寺にある蹲が有名で、四文字のそれぞれにある「口」を重ねたデザインになっています。

知足とは足るを知ること。自分の身分をわきまえて、それ以上の事を求めないこと。満足すること。

唯吾知足
私は、満ち足りていることだけをしっている。
不満を感じず満ち足りた心を持つことが大切だということです。

松倉紹英筆
「唯吾知足」



十九幅目 諸悪莫作衆善奉行

軸を見ると難しく感じるかも知れませんが、
悪いことはするな、良い事をせよ。
という意味です。わかりやすいと思います。

内容も3才ぐらいの小さな子でもわかります。ですが、その通りできるのか…80才を超えた翁でも難しいかも知れません…

善いことをする、悪いことをしない、それが仏教の極意であることは皆知っているが、そのとおりできる人は稀である。

南方録に、こんなエピソードがあります。

利休は茶の湯の極意を聞かれ
「夏はいかにも涼しいように、冬はいかにも暖くなるように、炭は湯の沸くように茶は服の良きように、これが秘伝のすべてです。」
と答えました。

聞いたものは
「それは誰もが解っていることです」
と返します。

利休は
「それならば、その心得が出来た茶を見せて下さい。客にまいり、あなたの弟子になります。」
と返しました。

そこに笑嶺和尚がいまして
「利休が言ったことはもっともである。『諸悪莫作 衆善奉行』と鳥窠和尚が答えられたことと同じである。」
と言いました。

どうぞ、今日も、涼しさのあるお茶を。

朝比奈宗源筆
「諸悪莫作衆善奉行」


二十幅目 本来無一物

本来、何もない。
空っぽである。
物に囚われてはいけない。

欲もいらない。

五欲という言葉があります。

色・声・香・味・触の五境。
それを感じる五感。
この五つが引き起こす欲望を五欲といいます。

欲はいらないでしょうが、
五境・五感は必要では?
必要という感覚は欲ですね。

小野澤虎洞筆
「本来無一物」

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