樹木葬

先週、一昨年他界した祖母の納骨式に参列してきました。
樹木葬という、ちょっと変わったものだったので、すこし書き留めておこうと思います。

その前に、少しだけ家族的な背景を。
祖母は母親代わりに私を育ててくれた人で、とても穏やかな人でした。
私の母は気性が荒く自由奔放で、気性が荒く独占欲の強い父とソリが合わずに離婚したのですが(なぜ結婚したのかは永遠の謎)、父方に託された当時7才の私を不憫に思って、週3日、通いでわが家に来てくれていたのが母方の祖母でした。
ただ、母方の祖母といっても、母と祖母は血はつながっていません。
私が高校生になるまで祖母はそのことを伏せていたのですが、告白されたとき私は驚きました。血がつながっていないことを祖母がひどく気にしていたことに驚いたのです。
私が育った北海道という土地は、道外の人が期待するほど心の広い人は滅多にいませんが、血縁や家柄などが気にならない人は道外より多いと思います。歴史が浅いせいでしょうね。そして若い世代になればなるほど、さらに気にしなくなるというのは道内も道外も同じです。
当時の私は、
「血縁関係がないのはわかったけど、それが何? 私がおばあちゃんを好きなことに何か関係あるの?」
と無性に憤慨したと同時に、納得したものです。
「あの激情ママと、この穏やかでやさしいおばあちゃんは、血がつながっていない……なるほどね!」 と。
そんな何事も控えめ祖母がなぜ一般的なお墓に入らなかったのか、それは書くとものすごく長くなる上、スピンオフ的なラブストーリーを語らなくてはいけなくなるので、また別の機会に。

この度、樹木葬という形式を選択したのは祖母の実の娘・Mさん(私から見て叔母)で、納骨式にはMさん夫婦と私たち夫婦が参列しました。
Mさんは祖母を最期までお世話してくれた女性で、お骨壺もMさんのご自宅にて保管されており、ゆくゆくはMさん自身も今回祖母が入る場所の隣に入る予定だと言っていました。

手順ですが、まず本堂でお骨壺にお経?を唱えてもらいました。
真言だったので、お経ではないのかな? と調べてみましたが、異なると書かれたサイトと、「真言宗の大切なお経で~(以下略)」と書かれている公式サイトがあって、よくわからず。
とにかく、素人耳にも真言だなってわかる言葉と般若心経を唱えていただいたあと、お坊さんと入れ替わりで受付のところにいた女性がやってきました。
お堂の片隅にある台の上で、さらしの布を広げ、お骨壺を開けると中身をおもむろにザバーっと……しかも、壺の底の方で固まってしまった骨粉は手を突っ込んで素手でわしゃわしゃと掻きだしていました。
えー……こういう雑なかんじって普通なんでしょうか。
それとも、今回の納骨式、あまり人がいないからまぁいいか的な?
通常どういうものなのかわかりませんが、少なくとも、私はお骨自体に思い入れがあるわけではないので、「まじか!」くらいの気持ちで眺めていましたが、人によってはもうちょっと丁寧にやってほしいと感じる人もいるんじゃないのかなぁ、と思いました。

さらしの上に真っ白なお骨と喉仏のお骨を重ねてのせて、布の四方をぎゅっと結び、私が霊園まで持たせてもらうことになりました。
荷物みたいにぶら下げて持って、中身がざざーっと落ちでもしたら一大事なので、両手のひらを上に向けて、その上にのせる形で運びました。自分の手のひらの熱が反射したのだと思いますが、ほんのり温かくて不思議な感じがしました。

埋葬する霊園は本堂から少し離れたところにあるため、車で先導してもらったのですが、そこがとても広い!
地平線が見えるレベルの広さではありませんが、さっきまで札幌の市街地にいたのに、ちょっと離れただけでこれ? と思うくらいには広い。
周囲は竹か笹か、青々とした垣根で囲われているものの、目につくような建物はなく、空を遮るものもありません。庭園のように整備された緑の中に、まだ小さな桜の木がいくつも植樹されており、その間を縫うようにして小径が右に左にと分かれています。
案内されて着いた場所には、小さな穴が掘られていました。
そこに、持ってきたさらしの布ごとお骨を入れて、上からスコップで土をかぶせます。
お墓ではないので、故人の名前など記してあるものはどこにもありません。
近くの桜の木に「い」「ろ」「は」等の札がかかっているので、今後あいさつに来るときはその木の札を目印にするのだそうです。
土の中にお骨を埋葬したあとは、特に読経やら合掌やらはなく、ふわっと解散しました。
土もふわっとかけただけでしたが、そこはさすがにあとで霊園の人がしっかり上から盛ってくれるそうです。他の場所と同じように芝生でフタをして完成みたい。
供養は毎年5月の合同供養祭と、命日にお線香をあげてくれるそうです。
永代供養なので、子孫がいなくなっても大丈夫。
守るべき物質としてのお墓もなく、お骨はさらしとともに約50年かけて土に還るそうなので、自分が去った後の現世に関する漠然とした不安も少しは軽くなりそうです。

とまぁ、このような感じだったのですが、私も樹木葬いいなぁと思ってしまいました。
一生独身だったり、途中から単身だったり、結婚していても子どもがいなかったり、子どもがいても面倒かけたくなかったり。
人が生まれたら死ぬということは昔から変わりないのに、生きる環境も死んだあとの環境も、ずいぶん変わったということなんですね。
ということは、過去を参考にすることが難しくなった反面、自由度が増した、と捉えることも可能なわけで。
樹木葬に限らず、きっと今後もいろんな形がでてくると思います。
私にそれが必要になる頃、これやりたい! ってわくわくしてこの世を去ることができるような楽しい葬儀があるといいなぁ。

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