北上鵤/きたかみいかる

漂蕩の自由

北上鵤/きたかみいかる

漂蕩の自由

マガジン

最近の記事

  • 固定された記事

移動について

noteのアカウントを作った。私は北上鵤といいます。本名ではありません。角の鳥と書いて「イカル」と読みます。そういう名の鳥がいるのです。「北上」は適当につけました。本名でnoteを始めてもよかったのですが、とかくこの世は柵が多すぎる。ただただ文章を書くという行為に集中するために、新しい虚構の人物を作りました。私はここでは、北上鵤として何かを書こうと思います。頻度はさておき。 さて、自己紹介代わりに特に内容の無い文章を書きます。 私は東京の文京区で生まれた。実家の最寄り駅は

    • 毎日誰かが死ぬ未来

      というタイトルをつけてみたが、いや、毎日誰かは死んでいるのだ。有史以来、地球上でただの一人も死ななかった日など一日も存在しないだろう。毎日誰かが生まれ、毎日誰かが死ぬ。当たり前やないか。 しかし、私が言いたいのはそういうことではない。タイトルをもっと正確に書くならば「毎日誰かが死んだことを認識する未来」となる。最近、私は有名人が死んだ年月日を年表にしてまとめるという悪趣味なことをやっているのだが、時系列に沿って並べられた「訃報」を俯瞰していると、ここ数年明らかに「有名人の死

      • AからAへ

        地球に生命が誕生することがいかに奇跡的であったか、ということを表現する例え話として、「25メートルのプールに時計の部品を投げ入れ、それを撹拌していたら偶然に時計が組み上がったレベル」という表現がある。実際の確率云々ではなく、それほどまでに奇跡的であったという感覚の話だ。さて、ではこの時計を原子爆弾に置き換えてみよう。私は専門家ではないので、果たして水中で原爆が組み上がるのかは知らないが、まぁ単純にそういう仮定だ。ある男がプールに棒を突っ込み撹拌していると、偶然に原爆が完成して

        • 喫煙者のダイイングメッセージ #5 煙と巨人のセックス

          今年はやたらに映画を観ている。私は長く「趣味:映画鑑賞」を自称してきた。確かに若い頃は近所のTSUTAYAへ通い、棚に並んだソフト(当時はVHSとDVDの過渡期だった)を端から順に借りていくような凶行を繰り返していた。一日中テレビデオ(古代のアイテム)の前に寝転がり、積み上げた映画を脳味噌に流し込み続けていた。暇だったのだ。しかしあれからおよそ20年、年間に観る映画本数は(多少の上下はあるものの)平均的には激減してしまった。年の始めには「今年は最低100本観よう」と決意するも

        • 固定された記事

        マガジン

        • 喫煙者のダイイングメッセージ
          5本

        記事

          放浪の世界

          目的地へ向かうことが「移動」ならば、目的地を持たずに移動することが「放浪」なのだろう。そして移動は物理的な座標移動に限らず、目的地もまた、緯度経度で表すことができる場所を指すとは限らない。 私は1983年の日本に生まれた。その頃の日本は既に高度経済成長が終わり、バブル景気による狂乱が始まる直前の時代だった。もちろん物心がつくまで、自分がどのような時代に生まれ落ちたのかなど知る由もなかったのだが。しかし、私は生まれてから30年近く、精神的な大移動も大放浪も必要としない社会に生

          喫煙者のダイイングメッセージ #4 左手に鎖と鉄球

          タイトルに「鎖と鉄球」と書いたが、別にゲームでおなじみのあの凶悪な武器「モーニングスター」のことではない。モーニングスターは関係ない。モーニングスターは本文に関係ない。こんな歌があったな昔。ああそうだ、奥田民生氏の『マシマロ』だ。さて、そんな『マシマロ』がリリースされた2000年には、まだ加熱式煙草というものは存在しなかった。存在していたのかもしれないが、私の記憶だとまだ登場していない。今、この文章を書きながらネットで歴史をググってみたら思ったより複雑な内容だったので、興味の

          喫煙者のダイイングメッセージ #4 左手に鎖と鉄球

          消失

          「ゆかりは何処へいったんだよ…!!」 私がキッチンで包丁を洗っていると、夫は強張った表情で大声を上げ、詰め寄ってきた。その目には明らかな焦りの色が宿っている。ゆかりが何処へいったかなんて、私が知っているはずもない。その呆れを口には出さず、視線だけで伝えようと彼を一瞥すると、私は包丁の刃に付いた泡を洗い落とした。 「ねぇ聞いてる? ゆかり! 何処!?」」 「…知らないってば」 今度は声に出して伝えた。水を止めた直後の無音に響いたその言葉は、自分でもはっきりとわかるほど冷た

          喫煙者のダイイングメッセージ #3 儀式的点火

          20世紀末の日本ではまだ未成年者の喫煙について周りの大人はとやかく言わないことの方が多かった。Z世代の諸君がもしこれを読んでいたら驚くかもしれないが、自販機だろうがコンビニだろうが、本当に余裕で買えたのだ。そんな環境を生きた世代において、法的に認められた二十歳を超えてから煙草を吸い始めたなんていう殊勝な人間は、少なくとも私の知り合いにはいなかった。未成年の時から煙草に手を出してしまったマヌケか、成人しても煙草に近づかなかった賢い人間のどちらかしかいない。もちろん当時だって既に

          喫煙者のダイイングメッセージ #3 儀式的点火

          喫煙者のダイイングメッセージ #2 白い証明

          深夜24時過ぎの薄暗いバー。既に店主や常連客との会話も尽き、各々が虚ろな眼でヤニのこびりついた天井に視線を向けている。眠気と酔いで泥と化していく身体をどうにかこうにかカウンターテーブルにもたれさせる。とうに空になったウィスキーグラスの中で時折、「カラン」と音を立てる氷だけが、時間がまだ動いていることをかろうじて担保してくれていた。 と、いうような夜を飽きもせずに繰り返していた二十歳の頃。本当に無為な時代だった。四十路に近づいた現在の私に言わせれば「さっさと帰って寝ろ」の一言

          喫煙者のダイイングメッセージ #2 白い証明

          喫煙者のダイイングメッセージ #1 逃げる灰皿

          嫌煙家の方が読んだら発狂してしまうだろうな、と思いつつ、2022年現在、日本から急速に排除されつつある「喫煙」という行為、そして「煙草」という嗜好品についていくつか文章を残しておきたいという思いに駆られた。実はnoteアカウントを作った理由の一つがそれだ。今さら喫煙を賛美する気は無い。非喫煙者の青年に煙草を推奨することもこの先の人生でもう無いだろう。むしろ止めておけと強く警告する。何回書くか分からないが、これは何年後か、何十年後かに読み返した時、そういえばそういう時代もあった

          喫煙者のダイイングメッセージ #1 逃げる灰皿