喫煙者のダイイングメッセージ #4 左手に鎖と鉄球

タイトルに「鎖と鉄球」と書いたが、別にゲームでおなじみのあの凶悪な武器「モーニングスター」のことではない。モーニングスターは関係ない。モーニングスターは本文に関係ない。こんな歌があったな昔。ああそうだ、奥田民生氏の『マシマロ』だ。さて、そんな『マシマロ』がリリースされた2000年には、まだ加熱式煙草というものは存在しなかった。存在していたのかもしれないが、私の記憶だとまだ登場していない。今、この文章を書きながらネットで歴史をググってみたら思ったより複雑な内容だったので、興味のある人が各々探して読んでいただくとして、私が初めて知った加熱式煙草は「iQOS(アイコス)」だった。2014年頃だったか。

iQOSは2022年現在でも加熱式煙草の代名詞的な存在として浸透しており、加熱式煙草はすべてiQOSと呼んでいる人もたまに見かける。ミュージックプレイヤーはどこのメーカーのでもウォークマンと呼んでしまう現象に近いものがある。当時、私の周りにいた新しもの好きな喫煙者の中には早々にiQOSへの移行を試みた者がおり、私は「割と新しもの好きだが自分の金では試したくない」というタチの悪い男だったので「もらいタバコ」ならぬ「もらいiQOS」を何度かさせてもらった。しかし、当時の感想だと「これは煙草ではない」というのが正直なところだった。明らかに煙草の香りがしないし、そもそもバッテリーで動いているのも奇妙だったし、灰が落ちないのも気に入らない。「似て非なる物」という表現があるが、当時の私としては「似てない非なる物」としか言いようがなく、カレーライスを注文したらオロナミンCが出てきた、くらい納得がいかないものだった。

あれから10年を待たずして現在、加熱式煙草は驚くほど世に浸透した。iQOSに加えて「Ploom(プルーム)」や「glo(グロー)」などが知られており、コンビニのレジ奥にある棚は日々加熱式煙草の箱が占めるスペースが増えて
いっているように感じる。実は私も1年半程前にgloを購入した。在宅ワークのストレスが第1次限界を迎えていた頃で、自宅の作業部屋で吸いたい! でも賃貸マンションだから紙巻煙草は流石にイカン!! という破局的葛藤の末、壁紙の黄ばみのもとになるタール成分がほとんど発生しない加熱式煙草の導入に踏み切ったのだった。また、2020年4月以降は「紙巻煙草は禁止だが加熱式煙草は可」というトリッキーな喫茶店及び酒場がちらほら現れるようになり、こちとら煙草の毒で頭をやられている錯乱者なので、加熱式煙草でも吸えるだけ御の字、という境地に至ったのも理由の一つだ。

正直ここ最近は加熱式煙草の方が圧倒的に吸う本数が増えているのだが、それでも紙巻煙草と加熱式煙草は天と地、月とスッポン、巣鴨とギロッポンくらい違う。理由は色々ある。前述の理由に加えて、バッテリーがすぐ切れるとか、吸える時間が決まっているとか、舌が痺れるとか、色々ある。ただここでその色々を全て詳らかにしても仕方がないので、私が考える最も深刻な問題点について書くことにする。

加熱式煙草が抱える最も深刻な問題点とは、つまりこれは煙草のアイデンティティそのものと言っていい事なのだが、「咥え煙草ができない」というコレなのである。そもそも私達スモーカーは煙草の何に惹かれて毒の筒を口に差し込んでしもうたのか? それは「咥え煙草の格好良さ」ではなかっただろうか? 思い出してごらんなさい。哀愁を帯びた表情でアコースティックギターを爪弾く黒髪の男……その口には咥えられた煙草が! 小雨降る裏路地で捨て犬に傘を差してやる無精髭の中年男……その口には咥えられた煙草が!! 密航船でフィリピンの港に降り立った自称弁護士の(長くなるので以下略)……その口には咥えられた煙草が!!! つまりこういうことなのだ。もちろん煙草には持ち方の所作にも格好良さはある。だがしかし、煙草が煙草として真価を発揮するのは「咥えながら何かしている時」なのである。私は長年デスクワークを生業にしている。これまでは紙巻OKな喫茶店で煙草を咥え、立ち上る煙に目を細めながら蝶のように舞う右手と蜂のように刺す左手を華麗に操り、特に華麗ではない文章をタイピングしまくるというスタイルで生きてきたのだ。「煙草休憩」などというヌルい時間は要らない。ずっと吸っている。咥えている時にしか仕事が進まない。しかし、悲しいかな加熱式煙草は重い。重いのだ。紙巻煙草は紙とスポンジみたいなフィルターと葉っぱしか入っていない。天使の羽のような絶妙なウェイトである。しかし加熱式煙草は加熱式煙草を加熱する加熱機械がもれなく必要になってくる。加熱加熱うるせぇな。こんなものを口に咥えていたら顎関節症まっしぐらだ! おっとすっかり私の文章も加熱されてしまいました(殺すぞ)。

自宅の作業部屋で加熱式煙草を吸う度に手が止まる。最も私の作業を捗らせるはずの煙草を吸っているのに、まるで鎖と鉄球をつけられたように左手の自由は奪われ、左手という相棒を失った右手もまた、だらんと無気力に垂れている。これまで私の仕事において最も良きパートナーだった煙草は、何の意味も無い煙を生み出す機械に取って代わられてしまった。恐らくこの先の時代、紙巻煙草は駆逐され、「煙草」という言葉は加熱式煙草を指すようになるだろう。それは私が煙管キセルで煙草を吸わないのと同じことだ。仕方がない。しかし、煙管と加熱式煙草の間、ほんの100年ほどかもしれないが、「咥え煙草」という退廃的でありながら魅力的な行動様式があったことを、私は忘れたくない。

一服、失礼。くそっ充電が切れてる。


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