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対話道の探究(26、普通じゃない夫婦)

最近とくに「夫婦仲がいいですね」とか
「夫婦で楽しそうだな」とか
仲良し夫婦、という印象があるらしい、私と旦那さん。

そんな周囲からの言葉に
・そういえば、そうですかね。。
・ちょっと似てきたかも。。
と返すことが増えたかな。

かつては、お世辞にもそうとは言えなかった。
少なくとも、私の感触としては。

当時の私は
世間で多く言われる「夫婦のあるべき姿」にとらわれていた。

いわゆる夫婦と呼ばれるものに、自分たちも近づかなければならない―
その思い込みで「仲良く」なろうとするから
距離ができる一方だった。
そんな自分に嫌気がさしていたし、苦しかった。

コーチングの世界に入って
コミュニケーションだけでなく、
それを形づくる状況や背景、人そのものにフォーカスを当てるようになったのだ。

人はちがっていてあたり前
人の背景や事実を知る
個人のあり方は本人が決める
夫婦の形も、みんなちがう
親の思う夫婦生活と、私が思う夫婦生活はちがっていい
―などなど

最初、おそるおそる気づいていながらも受け入れきれなかった真実が
自分の中にドバドバ入ってきて
それを表明し、言葉にできるようになったときから
私は旦那さんという存在に「気づき」「認識し」はじめた。

今に至っているのは
それらが積み重なって、集まってきたからなのだと感じている。

そして誤解を恐れずに表現するならば
何よりも
私が本当は、「一般的」「普通は~」が大嫌いで
個性的でぶっ飛んだ存在への憧れがあったんだということ
すぐそばにいるその人が、
実は個性のかたまりだったということに気づいてしまった
というのが
この頃わかったから、ということ。

もちろん、常識的なところもありながら。
(誰にも迷惑かけてないし、悪いことしてない笑)

コミュニケーションの土台にある「認める(認識する)」ことが
仲良し夫婦?!に見える理由なのだろう。
(あくまで私が経験した事実である)

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