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昼を凌ぐ、夜を泳ぐ

22:30
隅田川テラスにはおそらく昼とそう変わりないくらいの人通りがある。
特に今夜は2月というのに、5月並みの気温という。いったい幾つの木々が春と錯覚しただろうか。
私は緩慢に酒で満たされたアルミ缶を煽る。

川沿いでの人々の時間の過ごし方は様々である。
仲睦まじく足並み揃える夫婦のジョガー、犬の散歩をする老婦人、明るい笑い声で右に左に歩く妙齢の女性たち。
夜の東京は驚くほど明るい。都会には星がないとはよく言ったものである。
黒い川面には街明かりが反射している。


23:00
人通りは先程と大きくは変わらない。明日が祭日であることも手伝ってのことだろうか。下を向き帰路を急ぐサラリーマンが若干増えたかな、くらいの違いである。
地元では考えられぬ光景である。夜なのに不釣り合いなくらい景色は明るく、かえって暗い隅田川は少々不気味に写る。
川縁を歩く人たちは皆自分の行く道だけを見ている。

彼らは今日一日をどんな風に過ごしたのだろうか。
道行くひとそれぞれに昼を過ごしているはずである。だが今夜を泳ぐ彼ら彼女らの姿からは、昼の姿を想像する事は難しい。

23:30
誰もがきっと、昼をじっと凌いでいる。
生温い夜の風を待ち、不自然に明るい川の明かりにふらふらと呼ばれて、己の姿を徐々に取り戻しているのではないかと、そういった錯覚に陥ってしまう。

人のありのままの姿は、すべて夜に隠れる。
誰もが昼をようやっと凌ぎ、夜の生温さに身を隠し、自分の時間を取り戻し、本来の姿を得て羽を伸ばし、夜を泳ぎに来ている。

そんなふうに思ってしまうような、春を錯覚する夜だった。

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