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「太陽のようなひと」について

「太陽のように明るい」一往復半の会話

営業・マーケティング畑でビジネス社会を過ごした僕もそうだが、妻はその現役だ。
というのも、僕は徹底的に集団主義に対応できないから、早々に個人事業主になったからね。

大手小売り「A」社の広域営業担当である妻は、大変に興味深いひとだ。

本人に悪気はないが、云うなら「スッポン」と称される事もある。それは何か?※ある意味の誉め言葉だ。

例えばメールなら、最近云われる「一往復半」が、もちろん前提だ。僕も営業職だったから当然の常識だ。

それがプライベートでも同様なのだ。
本来育ってきた家庭環境や、コミュニケーションの在り方が割と似ているのだ。(笑)

だから、日常の会話でもお互いにメッセージを返すときには、「一往復半」の「半」がループする現象が起きるのが面白いところ。

「そうだね」

で、一般的には終わる会話が「そうだね」で終わらないのだ。つまり、そこに「そうだね、本当に苦労するよね」と「本当に苦労するよね」というワンフレーズが「一往復」+「半」+「半」で続くのだ。そして互いがそういうマインドなので、こちらも、「そうなんだよね、こうこうしかじかでどうしたらよいもんかねぇ」と、「半返し」をしてしまうのだ。

半返しでは終わらないので、「どうしたらよいもんかねぇ」の後に、僕は「○○したらよいだろうと思ってるんだ」と会話は続く。

そろそろ、ご理解いただけただろう。「一往復半」で終わるはずであったのが、「十往復」したり、生産的な感じで「二十往復」したりするのだ。

これが最高に面白いのだ。
何故って?
答えは簡単なのでわざわざ云わなくともいいのかもしれないが、「知識」「一般教養」を駆使しつつ「新たな切り口」で、「一往復「半」」の「半」+「半」をひねり出して互いに楽しんでいるのだ。とても人間関係として刺激的だ!

申し訳ないが、一般社会で交わされる会話がつまらなく感じてしまうのも止むを得ないと、ご容赦いただければ幸いだ。というほかない。

妻は多くの伝説を残してきたが、ひとつは以下の感じだ。

「ペッパー君に話しかけ続け、その対応機能の限界点を探る」(店舗を出るときにペッパー君の方を振り返ったら、ペッパー君が視線を送り続けた事を確認したという。それを帰宅したとたんに妻は「ペッパー君がかわいい!」と報告してくる;【職場の若手の同性営業には「やばい人みただから止めた方がいいと云われる(笑)」】

つまり、ビジネスとプライベートの切り替えのスイッチが極めてキレキレなのだ。いや、キレキレというか、見事に融合してバランスを確保しているのだ。それが「中庸」らしき面白さだ。
こういう感じなので、日常に飽きることはまずないのが僕の最高に幸せな事だ。

つまり「太陽にように明るく回りを照らし続ける人なのである」

注;「スッポンのようなひと」と云ったのは、僕ではない。その大手小売りの年配の方だと聞いた。それは団塊世代の先輩の最高レベルの「誉め言葉」であるのは言うまでもない。

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