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過去の話

 子供の高校受験の話から、思い出したくもない自分の過去の話をすることになった。
 中三の次女が進路についていろいろ悩んでいるようで、結局のところは偏差値と相談して行けるところみたいな話になってしまうようなのだが。
 そうじゃなくて、自分の目標をしっかりもって行きたいところを目指すべきだ!という意見をよく耳にするが、それができれば苦労は無い。
 中三の時点でそんな目標を持ってる奴なんか、イチローとか藤井聡太さんとか、話としては聞いたことはあっても直接お目にかかった事など、私は無い。
 自分の中三の時の事を考えてみてもそんな目標みたいなものなどどこにも見つからなくて、見えるのは現実感の無い夢のような話くらいで、それに対する情熱もたいしてあるわけでも無いから、目標なんてものは何も持てなかった。
 先日ある本を読んでいたら、私の年代がシラケ世代というやつらしくて、「一生懸命やることは、なんかカッコ悪い」という、まさに私の思考そのものだった。
 時代背景的なこともあったのかもしれないが、今思えば非常に大切なときに、残念な時を過ごしてしまったと思う。
 しかしそれは結局誰のせいでもなく自分の選んだことなのだから「蒔いた種は自分で刈り取る」しかないのだ。
 我が子にはそんな思いをさせたくないから「自分の目標をしっかりもって行きたいところを目指すべきだ!」なんて言うんだよね。
 当時の私にはそんなことを相談できるような人や、道を示してくれるよう存在がいなかったので、自分の中でぐるぐる回って、結局安易な道へ、それでもいいような気がする流れの中へ、進んでしまったのかとも思う。
 だから我が子には、せめてそういう話を相談できる存在として、少しでも力になってやれたらと思い、自分のその当時の、そしてその後の、自分の恥ずかしい過去の話をすることになった。


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