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親から対等な大人の立場へ

親離れ子離れなんて、チョロくて大した課題じゃないと思ってた。

娘の修学旅行。
出発前は、やったぜ独身!!と思っていたけど
いざ送り出してみたら、思いのほか淋しいもので。

子離れってかなり高難度なのでは?と思ったりした。

中学生 対 大人

どう頑張っても、中学生は大人の庇護下にあるという認識で間違いない。
頼りになる場面もあるけれど、扶養されて生活が成り立っているわけで
どんなに深く考えていて、自立した考えがあったとしても
それを発揮できるのは、大人が守り育ててくれているから。
(一部そうじゃないケースも、悲しいかな存在するけど)

自分が中学生側で渦中にいた時には気付かなかったけど
子を持ってはっきりと、社会的責任を含めて守られていた、と認識した。

でもそんなこと、娘にはまだわからないから
1人で大きくなったような顔はしてるし、態度は特注品のように大きく
この世の中心は自分であり、全ては自分のためにあると信じて疑わない。

それが許されるという意味で、めちゃくちゃ幸せな思春期だと思う。
その尊大な人に、人との関わりを伝えていくのが親の役目だと思っている。

人間の悩みのほぼすべては、人間関係によってもたらされるものだと
結構本気で思っているので、不要な悩みは抱えなくていいように
気持ちの片付け方や、相手への対応などのサンプルは多く渡している。
押し付けるということではなく、こういうパターンもあるよ、と。

修学旅行の荷造りを自分で終えられたのも、できるように育ててきたから。

成人したらもうお互いに大人だから、いい距離感で付き合ってこうな!
と、思っているし、日ごろから伝えていて。

それなのに2泊3日不在なだけで、こんなに淋しいとは思いもよらなかった。

大人 対 大人

高校生になれば、社会で働いて自分で収入を得ることができる。
(それ以前から、収入を得る仕組みを作っておけばいいのだけど)
社会的責任はまだ全部は取れないけど、自力で得た収入で自由度は高まる。

高校生の頃、バイトを始めてそのお金で地方へライブを観に行ったり
急激に外の世界が広がったのがこの時期だったのをよく覚えている。

あっという間に外の世界へ行ってしまう娘の背中を
信じて見守るしかできなくなるのがこの頃なのかな、なんて。

もうこのくらいになれば、ほぼ大人。
18歳で成人になることを思うと、助走も終盤。

正にいま感じている淋しさや、手元から離れていく喪失感みたいなものに
いま気が付けてよかったと心底思っている。

いざ別々に暮らすことが決まって引っ越してから気が付いた
なんてことになったら、わたしは泣き暮らすしかできなかったと思う。
大人になっていく娘に、いつまでも幼い姿を見ていたんだろうね。

実家暮らしで自由気ままに、ほとんど独身みたいな暮らしをしていた私にも
娘というのはこんなに色濃い存在だったんだな。
ひたむきに向き合ってきた大人にとってはきっともっとだよな、なんて。

でも、身体も心も大きくなって、経験値を得た子どもは
いつまでも「子ども」ではなくて。
「親子」というのは、時間の経過とともに「続柄」でしかなくなっていく。

親と子の関係

私は比較的過保護な親に育てられた。

娘とともに実家に住まわせてもらっていること
娘を見てもらって、習い事の送迎までしてもらっていることは
とても感謝している。

けど、私を実家に留め置いた母は
きっと私を心底は信じていなかったのだとも思う。
ひいては自分の子育ても、信じていなかったのだと思う。

ひとりで育てられるわけがない、自活できる能力なんてない
経済的な困窮は目に見えている。
(フリーターだったからね)

苦労させたくない一心でのことで、守ってくれたのだとも思っている。
でもいちばんは、私を信じていなかったんだと思う。
やったらできたかもしれない。
でも、易きに流れたのも自覚している。
それでも信じられていなさは、今でもまだ感じている。

重ねて言うが、アラフォーの娘を今でも守ってくれようという
両親の気概はありがたいしすごいと思うけど、私にそれはない。

でも、それがない代わりに、私は娘を信じているし
信じられるだけの教育を与えてきたつもりでもいる。

両親から見るとほったらかしすぎに見えるようだけど
実際に体験しなければ学べないこともあるし
こちらが先回りして防ぐことが最善だとも思っていない。

そもそも娘の生涯に責任を持てるのは本人だけだし
私が手を出しすぎることで娘の経験を奪い
娘が将来苦労する場面を生むのは、親として不誠実だと思う。

子ども扱いしない大人へシフトチェンジ

あなたはあなたの人生を生きなさい。
ママの老後の世話をしなければいけないなんて思わなくていい。
自分が本当にしたいことだけして生きなさい。
ママはママでどうにかするから、自分のことをしなさい。
そのための生きる力を身につけなさい。

ずっとずっと、私が娘に言い続けていること。

守ってやるから老後をみろ、と言われているような状態で。
娘にもその考え方を植え付けてしまいそうな母の前で。
私は強く強く、自分の人生を生きろ、と娘に言い続ける。
老後のために産んだのではないし
親のために産まれてきたのではないから。

だから、「庇護」という状態からお互いに早く抜け出すために
対等な関係になる必要があると思う。

親子よりも、一番身近な大切な友人、くらいの関係が良いのかもしれない。

助けが必要なら言ってよ。
可能な範囲で助けになるよ。

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