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その目に見えてる音を聞かせて(ライヴレポート on TK from 凛として時雨 for FLY LIKE AN EAGLE@渋谷公会堂, Aug. 30, 2012)

【あとがき、にして、前書き(Sep. 15, 2012追記/修正)】

ライヴレポートの書き方に正解なんか無いですけど、
演奏された1曲1曲について、こんな音でこんな声でこんな演出で、って事細かに描写したところで、
残念なことに、その場にいなかった人にはなかなか伝わらないものです。
そして、セトリやMCといった“あったこと”は、誰が書いても結局おなじでしょ。

だったら、あ・な・た・の レポートとして、
その曲を聴いて何を想ったのか、このライヴに行ってどう感じたのか、
そういう感覚こそ残すべきだとおもう、伝えるべきだとおもう。
行った人の心の動きが何も感じ取れないようなレポだったら、わたしは要らない。
わ・た・し・は、“あったこと”から“オモッタコト/感ジタコト”を書き残します。

ありがたいことに、このレポートに対して、Facebookいいね!やWeb拍手をいただきました。
発信元がわかっているかぎりでは、
時雨/TKになんておおよそ興味がないだろう方だったり、
時雨はtryしたけれど受け付けられなかった方であるのに、
そんな方たちがいいね!/拍手してくれたということは、
わたしのレポートそのものに何かを感じてくれたわけで、
そういうものが書けたことに、わたしは満足しました。

Again, 読んでくれてありがとう。


TK様がソロ活動すると聞いたとき、「なぜ?」とおもった。
稲葉さんのソロ活動なら話はわかる。
B'zでは松本さんが曲を作って、稲葉さんが詞を乗せる。
一方で、稲葉ソロは作曲・作詞ともに稲葉さんがおこなう。
その昔、彼はテレビ特集内で、「B'zは100%の自己表現じゃない」とも言っていたけれど、
だからこそ、たまに100%の自己表現をしたくなるのかなと想像している。

でも、時雨/TKソロは違う。
時雨の曲・詞は、TK様によるものだ。それならば、わざわざソロ活動をする意図は?
ピアノやヴァイオリンの要素をプラスするのは、3ピースのバンドから離れた試みだけれど、
だったら、時雨+αじゃダメだったんだろうか?

という話は以前にも書いて、
ブログへのコメントで「ピ様の足の調子が悪くなった影響」とも教えていただきましたが、
公式サイトのインタビューを読んでいたら、TK様自身がこんなことを言っている:

デモでかなり作り込んでしまうので、そこからレコーディングの過程でアレンジが変わる事っていうのは普段ほとんどないんです。
でも今回のセッションは自分の想像を軽く超えてくるというか、BOBOさんとひなっちは思いもよらないフレーズをはめ込んできたりするので。

(中略)

中野くんと345は僕のデモを忠実に再現する事によって独特の時雨感を出してくれていて、再現とはいえやっぱりそれは3人でしか出せない音なんだと思うんです。(中略)そういった意味では時雨の方が僕の純度が高いのかもしれないですね。

TK from Ling tosite sigure「TK from 凛として時雨 | Interview-vol1-page2」(2012年9月2日 存在確認)

TK様にとっては、時雨のほうが100%にちかいのだな。
だから、敢えて違うドラム・違うベースを迎えて、TK100%じゃない音楽を創り出してみたかったのかもしれない。

ここでわたしがおもったのは、今回のFLAEで共演していた「初恋の嵐」というバンド。
G&Voの西山さんが亡くなって、今はゲストヴォーカルを迎えてライヴを行っているそうだけれど、
彼らはもう2度と“100%初恋の嵐”の演奏はできないのだな。
そう考えると………無念さは極まりない。


わたしは時雨のライヴに行ったことがないし、
その映像もみたことがないので(市販DVD化なんてされていないのでね、泣)、
TK様が演奏する姿を初めてみたけれど、
………かっこよかった。ほんとうに、かっこよかった。
ギターを奏でる手や指に、リズムに合わせて頭を振る姿に、
惚れた。
セクシィとか、色っぽいとか、そういう性の匂いはしないのに、抱かれたいとすらおもった。
TK様はきれいだった。その表現がいちばんしっくりくる。
きれいだった。

壮絶な演奏と、当然のことながら生なのに驚くくらい精度の高い歌声は、会場中を圧倒していた。
明らかに曲が終わっているのに、もう音は聞こえないのに、数秒、だれも拍手をしなかった。
みんな気圧されていた。すぐに拍手は沸き起こったけれど、
それが止むと、会場はロックコンサート中とはおもえないくらい静かになった。
黄色い声が飛ぶような行事もなく、むしろ、声なんか発そうものなら、会場中から白い目で見られそうな雰囲気だった。
プロゴルファーの集中を邪魔しないよう、ギャラリーが音を立ててはいけないのとおなじように、
あの場にいた全員が、演奏者および聴衆の集中を途切れさせてはいけないと判断したのだ。
もしかしたらこれは、演奏者としては予想していなかった・望んでいなかった現象かもしれないけれど、
(もっと盛り上がってほしかったかもしれない)
TK様たちの演奏は、わたしたちを黙らせてしまうくらい圧倒的だった。
(あまりにシーンとしすぎて、わたしは お腹が鳴ったらどうしようと気が気じゃなかった。笑)

ステージ中、TK様はしゃべらなかった。
(アンコールででてきたときはすこししゃべってくれました。)
曲の最後に「ありがとう」と ささやくような小声が心地よくて、何度でも聞きたかった。
ラストナンバーを終えたあとの「どうもありがとうございました」にはびっくりした。
歌っているときの高音からすると信じられないくらい低いトーン。
ヒリヒリするようなシャウトからはかけ離れたcalmな声。
(ピ様の?)イメージ戦略にはめられているのかもしれませんが、
それにしたってイメージ良すぎる。かっこよすぎる。すきになる。
っていうか、すきになった。だいすきになった。
いままでよりずっとずっとずっとずっと。


感動した。
こんなに心が動いたのはいつぶりだろうとかんがえて、
クォーターマラソンを走り切ったとき以来だと思い当たった。
マラソンは昨年11月のことだから、
このFLAEまでの間にはB'zのライヴにも参戦しているけれど、それよりも断然良かったし、
もっといえば、今まで行ったどのライヴよりも良かった。B'zよりも稲ソロよりも9mmよりも。

はやくこの感動を伝えたかった。文章に表したかった。
でも、数日間、手元にパソコンと時間がなかったので、今日まで書くことができなかった。
書けない分、しゃべった。ライヴの翌日、恋人に「すっごく良かったの!!」と話した。
わたしは余程興奮していたのだろう。恋人は、「今日はよくしゃべるね」と言った。
そのときに、きがついた。


ちょうどこのライヴの直前、わたしは、Twitter/Facebookにブログの更新情報を流すことを止めていた。
「ねぇ、読んで読んで!」という構ってちゃんぽくて、恥ずかしくなったのだ。
でも、感動したことを誰かに伝えたいとおもうのは、自然な欲求だ。
自分が感じたことを人に知ってほしいとおもうのは、だれだっていっしょのはずだ。
そうじゃなかったら、だれもTwitterでつぶやかないし、Facebookでシェアしないし、ブログなんか書かない。
そして、音楽も作らないし、バンドだって組まない。

知ってほしいと叫ぼう、クールなフリしてないで。
音楽は、文章は、絵画は、写真は、映像は、ダンスは、あらゆる媒体は、そのためにある。
表現していこう、わたしなりの方法で。


読んでくれてありがとう。


(『凛として世界』2012/9/2 記事 再掲)

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