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狩猟に関わる時、考えること(自然を学び、研究する)

狩猟を始めて感じること

狩猟は自然の中で行われ、密接に関わります。
銃器・罠の腕を磨くことも大切ですが、自然と関わり、命を頂くこと。
狩猟免許を取得した時から、そのことを深く考えることが多くなりました。

また、狩猟には現在、有害鳥獣駆除の側面もあり、里山での暮らしについて、理想と現実に悩むことが多くあります。
自然と人、動物と里山、どんな関係を築くべきか、どう付き合うべきか。
悩みは尽きませんが、まずは自ら動き、考えていきたい。
そう思うのです。

「クマが出てきた」 「サルに作物をやられた」 そんな嘆きや不満を最近、よく聞きます。

そして二言目には「昔はこんなこと無かった」。

果たしてそうでしょうか。

古来より人は自然を切り開き、里山を整備し、野生動物とも時に戦ってきました。
その歴史を俯瞰して見れば、現在は里山の領域が後退し、それに伴い人間の領域が狭まってきたのです。

では、人はされるがままでしょうか?
田園回帰と地方創生が叫ばれるが、もう一度、里山を守り、自然と共に生きる力と知恵が必要だと思うのです。

身近にある野生との戦い

例えば、次のような例が挙げられます。
冬の時期、私が住む木曽地域は塩を使わない乳酸菌の漬物「すんき」が多く生産されます。
すんきは菜っぱの茎から上を使うため、カブの部分や傷んだ菜を畑の脇に捨てることがあります。

畑の脇に捨てられたすんき菜

このような状態では、サルに「ここにエサがあるよ。おいで♪」と教えているようなもの。
里山での生活において、野生動物との戦いに休みはありません。

柿の木に残された残果

エサが無い冬に残された残果(柿など)はご馳走です。
(ただ、サルにも好みがあるらしく、人気の柿の木があるとか…)
自然の恵みは人も動物も一緒だからこそ、線引きは重要です。

自然を、野生動物を研究する必要性

地域の農業に甚大な被害を与えているサルですが、実はまだ分かっていないことも多いようです。

こうしたニュースを見る時、改めて、自分は自然を知っているのだろうか。
里山の暮らしに脅威を与える敵について知っているのだろうか。
自問をするのです。

一人でも研究を進めたい。一人で始める里山研究会。

里山は自然が溢れ、人々の素朴で豊かな暮らしがあり、幸福感に満ちている…。
確かにそうですが、そうじゃないこともあります。
減少する人口、荒廃する森林、人々の営みを脅かす野生動物たち。
今後、私たちは里山で暮らすためにどんな必要な知識・技術を身につけるべきか。
狩猟に携わり、里山の暮らしを思う時、まずは考え、研究するところから始めたいと思います。
まさに、たった一人から始める里山研究会。
少しづつ、始めていきたいと思います。

※この記事はかつてツイッターにあげたつぶやきを整理した文章です。


【余談】使われない森林資金

このような記事が掲載されていました。
配分方法というより、未だ都市と木が水と油のように認識されている証拠ではないでしょうか。
都市部でも木造の高層ビルを建てることが可能となってきました。
(個人的には、まだ技術面の発展が必要と感じますが…)

また、議論となりそうな配分方法(都市部から集めた税金を地方に配分することへの都市部の不満)についても、考え方を改める必要があります。

近年、野生動物が都市に出没するという事案が増えています。

前述したとおり、里山では奥山(野生動物の棲み家)との境界が曖昧になり、人々の生活に野生動物が入り込んでいます。

そんな里山の背後に何があるか。

都市があるのです。
里山への森林環境贈与税の投入(森林整備や野生鳥獣対策の充実)は実は、間接的に都市部への還元にもなるのです。
俯瞰的な視点で見れば、里山の復活は都市部と奥山との緩衝帯整備でもあるのです。

こうした視点・考え方を共有し、予算を有効活用することこそ、この税金の肝ではないでしょうか。

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