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結婚はしたけれど

 土曜日の昼過ぎ、瑞樹はマンションのベランダに立って外を眺めていた。小さな飛行船がそう遠くない空を漂っている。一瞬、部屋の中にいる和緒を呼ぼうかと思った。でも・・止めた。

 和緖は32歳、トラックの運転手をしている。瑞樹は37歳、ごく普通の会社の事務職だ。だから、2人はちょっと珍しい組み合わせだ。婚活サイトで知り合って、今から1年前の令和3年に結婚した。そして、一緒に住み始めた。普通そうする。でも瑞樹は今、そのことについて改めて考えていた。結婚の難しさを噛みしめていた。少し大げさかもしれないが、これが瑞樹の偽らざる本音だ。

 瑞樹達が住んでいるこの部屋、これは生物的に言えば巢だ。
 巣を作る動物の多くは、親が巣を作り、そこで子供を育てる。子供が巣立ったら、巣はその役目を終える。親はそのままそこで生活したりはしない。
 人の場合は大分異なる。巣、即ち住居の目的の大きな部分は夫婦の生活だ。和緒のように「子供はまだいい」というのもいる。そうするとなおさら巣は夫婦の生活のためにある。
 この生活というものが難しい。これには愛情が複雑に関係している。
 世の中には愛で結びついた夫婦がいるが、そうではない夫婦もいる。
 愛で結びついた夫婦は、ごく普通に夫婦としての生活を送ることができる。そして、何の違和感もなく子供を設ける。
 これと違って、瑞樹達のように婚活サイト経由で結びついた者は、愛がないとは言わないが、愛の果てに結婚した訳でもない。その結婚はもっと科学的だ。結婚そのものがゴールと言える。そのゴールを成し遂げるために、手段を尽くしてアプローチする。そして、めでたく結婚に達し得たとして、まだそこで終わりではない。その後は、結婚に付随する諸々のこと、つまりイベントを1つずつこなしていく。それが彼らの結婚というものだ。
 一口にイベントと言ったって、それは子供を作ることを初めとして、誕生日を迎えること、はては法事までと、色々だ。瑞樹達はそれぞれに夫婦として臨み、的確にこれを処理しなければならない。
 だが、瑞樹達のような婚活経由の夫婦は、愛の延長で結婚した夫婦のように、これを自然とこなせるものではない。モチベーションから作り上げて、いちいち乗り越えて行く必要がある。そして、うっかりやり方を間違えてイベントが不首尾に終わると、その影響は甚大だ。なぜなら、彼らにとって、イベントをこなすことが即ち結婚生活を送ることだからだ。うっかりすると、結婚そのものが破綻する。「お互い別の道を歩みましょう」ということになる。つまり、離婚ということになりかねないのだ。
 瑞樹は結婚してからこういうことをチラチラ考えている。考えるほどに、婚活による結婚とは大変なものだと思うようになった。緊張が抜けないものだと考えた。
 
 ところで、瑞樹は結婚する前、仕事以外の時間には自分のことをやってきた。この「自分のこと」、これがもう一つの難題だ。しかも、これはイベントの件と関係している。
 「自分のこと」とは、自分一人でやることだ。趣味と似ている。これに和緒は関係しない。ここが問題だ。
 結婚する前なら、いつそれに没頭しようと勝手だ。しかし、結婚してからは相手がいる。だから自分のことだけをやるわけにはいかない。でも、瑞樹のような結婚生活においては、イベントをするとき以外はすることがない。つまり、時間がある。もっとはっきり言えば暇だ。だから、そういうときは今まで通りに自分の好きなことをやりたくなるのだ。でも、和緒はそれを見てどう思うだろう。一緒に暮らしている人間が、自分と無関係なことをやり始めたら、気分を害することにならないか。それじゃあ別居と同じじゃないか。

 瑞樹は自分の両親の顔を思い浮かべた。父親の名は省吾、母親は正子という。
 瑞樹は両親のことをあまり好いていない。さしたる原因があるわけではない。あえて言えば、彼らは仲が良すぎた。だから、子供が踏み込めない壁があった。
 彼らは驚くほどイベントをしなかった。もちろん誕生日とかは祝う。でも彼らは結婚式も葬式もしない。今の瑞樹から見れば、彼らはただ暮らしていただけだ。でも、彼らはいつも楽しそうだった。
 また、彼らは子供と一緒の生活の中で自分のことをしない。したくもないらしい。一緒に食べ、テレビを見、そして話す。それだけだ。それだけで大満足、何の不満もないみたいだ。
 つまり、両親が作り出した家庭は瑞樹のそれとは別世界だ。それが瑞樹には理解できない。何だか分からないけれど、ああいうのは嫌だと思う。でも、なぜ自分がそれを嫌うのかも、実は分かっていないのだ。

 部屋の中で和緖が呼ぶ。彼女はどう考えるのだろう。これがまたよく分からない。
 用というのは写真のことだ。これは大きなイベントだ。
 瑞樹達は結婚式をやらなかった。年齢が高めなのとコロナが流行っていたせいだ。だから、瑞樹達には結婚のモニュメントがない。そのために、写真を撮ろうというのだ。一口に写真と言っても、今どきのものは町の写真館で一枚撮って枠に収めるのとは違う。アルバムを作る。結婚式のような衣装も着る。写真家が考えた台本に従って、考えただけでも恥ずかしくなるようなポーズも取らなければならない。これが、たかが写真を撮るということが一大イベントである所以だ。
 
 瑞樹は部屋の中に入った。今日は休みだから、和緒は全体的にクタッとしている。日々が肉体労働だから無理もない。
 和緒は屈託がない。もとから、人と接することが苦手な割には、気を許した相手には饒舌なところがあった。この人には、入り口が婚活サイトであることが影響しないのだろうか。恋愛と同じレベルまで瑞樹を愛してくれているのだろうか。そこがよく分からない。でも、こんなことを聞いて見るわけには行かない。
 瑞樹は、自分が考えすぎじゃないかと思ったりもする。歳が5つ上の影響が出ているとも考える。和緒はもっと自然に日々を送れるのかもしれない。だけど、それはそれで夫婦不一致で困る。自分だけにストレスが溜まる気もしてくる。
 和緒が愛に目覚めた可能性もある。あり得ないことではない。見合いが恋愛に変化することもあるのだ。でも、そうだとしたらどうなるのだろう。ここが何とも重苦しい。うまくいくとは思えない。こんな同床異夢は決してよい結果を生まないだろう。
 瑞樹に愛があれば何も問題ない。もちろんないとは言わない。でも、正直ちょっと違うのだ。
 
 休みの日は時間が早く進む。西に傾いた陽の光が斜めに窓から差し込んでくる。
 「買い物に行こう」と瑞樹は思った。これだって夫婦特有のイベントだ。
 近くにショッピングセンターがあった。和緖と一緒に、殆ど上の空で店の中をぐるぐる歩く。何とか一週間分の買い物をして、そこから出てくる。
 見ると、駐車場に見慣れないキッチンカーが停まっている。たこ焼き屋だ。覗いてみると男女2人の店員がいて、男店員の方がタコ焼きを焼いている。女の店員は長めの包丁で大量のキャベツを刻んでいて、刻みながら、車の前に立っている瑞樹達をチラリと見る。
 男の店員が、
「つばさ、キャベツまだか?」
 と尋ねる。女の方が、
「ハイヨ!」
  と答える。
「この2人も夫婦だろうか」
 と瑞樹は思う。何だか仲がよさそうだ。瑞樹達と同じくらいの歳格好だ。
「自分たちも二人で働いていたらな」
 と思う。もしそうだったら、毎日が共同作業だ。イベントを考える必要もない。
 「タコ焼きを食べようかな」と瑞樹は思う。そして和緒の方をうかがう。すると、このちょっとした静寂を突いて、瑞樹達の後から袖口が破れたジャケットを着て、頭がボサボサの老いた男の人が、おぼつかない足取りで前に出てくる。タコ焼きの入った箱を指差す。指が震えている。
「これ?」
 と、女の店員が尋ねる。そのホームレスみたいな男が黙ってうなずく。そして、ボケットからお金をカウンターの上に出そうとする。十円玉が2〜3枚しかない。いくらやってもそれしかない。すると、
「おじさん、いいからこれ持ってきな」
 女の店員がそう言って、タコ焼きの入った箱をその男に向かって押し出した。そして、瑞樹達の方をまたチラリと見る。
 ただそれだけであった。あとは、何事もなかったかのように夕暮れの喧騒が戻ってきた。しかし、この情景は瑞樹の心を強く揺さぶった。女の店員の一言が胸を打った。それは瑞樹には次のように聞こえていた。
「あなた達は地に足がついているの?しょせんゴッコなのよ。ファッションよ。私達にはファッションをやってる余裕はないわ」
 瑞樹は結婚の本質を問うこの言葉を噛みしめた。返す言葉が浮ばなかった。
「我々にはやっぱり何かが欠けているんだ」
 瑞樹はすっかり打ちのめされた。

 決して軽くない荷物を引きずるようにして、トボトボと帰路についた。目の先、もう間もなくの所にマンションが見える。8階の角が瑞樹達の部屋だ。
 瑞樹は思い出した。ある高名な作家が結婚するときに、「君は僕の邪魔をしてくれなければ、それで十分だ」と奥さんに向かって言ったそうだ。
 このフレーズを聞いたときは何を言っているのか分からなかった。尊大な言い方に反発も覚えた。でも、今はその意味を完全に理解できた。この人はきっと見合いだったのだ。そして、結婚の当初から、将来イベントが終わったときの、あるいはイベントが続かなくなったときの生活の有り様を見切っていたのだ。
 とっぷりと暮れた暗い道。和緒が先に立って歩いて行く。
 瑞樹は自問した。自分にこの作家のような行動をする勇気があるのか。あるいは、全く違う道をたどり直すのか。
 そんなことができるはずもなかった。瑞樹は暗澹とした気持ちでため息をついた。そして、前を行く和緒の方に目を向けた。和緒が振り返った。

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