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人間は感情に動かされてる。スピノザの感情論 ざっくりまとめ

歴史学にしろ倫理学にしろ、私はあるがままの人間と社会の分析(=人間論、社会学理論)に基づいていた方がいいと思っています。実際のところどうなのかわからないまま「こうだったらいいな」の話をしても、どうしたら「理想の社会」を作れるのかも、そもそもイメージされた「理想の社会」が人間の本性に照らし合わせたところで本当に「良い社会」なのかわかりません。

自分の生き方を決めるにも、子供を教育するにも、その人の好き嫌い、感情の現れ方、得意不得意がわからなければ、「標準型」になろうとして(しようとして)苦しんでしまう。

(私は「人権」という発想自体は好きなんだけど、)人権思想に基づく歴史家って侵害者を「とんでもないサイコパス」として描いてしまう。けれど、実際、「人権侵害者」とされてる人々のことを調べたり、会って話したりしてみると、拍子抜けするほどに「普通の人たち」だったりする。言い換えれば、その人が特別に危険な性格を持っているというわけではなくて、ある状況下でその社会において普通であることが恐ろしい事件の背景にあったりするわけです。普通の人が毒を持っているというのを無視すると出来事の性質を見誤ってしまいます。

社会史家としては、そういう「サイコパス」とか「普通」のレッテルを超えて、社会運動や戦争や虐殺に参加した人たちのあるがままがわからなければ、「なぜ起きたのか」を理解するところまでいけません。

私は「あるがまま」に近い形で解釈する方法として社会学や文化人類学を勉強したのだけれど、古典哲学ではマキャベリやスピノザ、20世紀ではオルテガ・イ・ガセットの大衆論なんかを拠り所にしています。それで今日はスピノザ。

↑私のスピノザゆかりの地めぐり 

スピノザは、「プラトンなど、ほとんどの哲学者たちの倫理学や政治学は、理想の社会のイメージから始めてしまっている」と批判します。そして、マキャベリだけが、大衆感情を国家、社会、歴史の原動力として「人間社会のあるがまま」を研究しようとしたとして高く評価しています。つまり、彼は群衆(マルチチュード)は基本的に感情に従って動き、一部の者が「理性的な統治」を目指しても、結局は大衆感情で歴史が動いていると言います。だから、感情管理、教育、誘導が重要だというわけですね。(みんなが幸せになるファシズムですw)

スピノザは理性を強調した哲学者だと解説されることが多いですが、その背景には「人間は基本的に感情に隷属している」という人間の分析に基づいています。

スピノザが、感情への隷属状態からの解放を目指して書いたのが、エチカの第3部から5部です。日本には「エチカは下巻に入ってる4部と5部だけ読めばいい」という哲学者たちもいるんですが、主要な感情の種類や性質が説明される第三部は読んだ方が4部・5部の理解も深まると思います。

第三部は、私がわりと好きな部分で、喜び、愛、悲しみ、憎しみ、嫉妬、憐憫、怒り、絶望、安堵など、主要な感情の定義が行われています。

スピノザにおいては、主要な感情は3つです。喜び、悲しみ、驚き(驚嘆)です。愛は、(わかりやすくしちゃうと)対象を持った喜び、憎しみは対象を持った悲しみです。このようにして我々が日常口にするであろうほとんどの感情の性質が説明されます。

備考欄が面白くて、例えば不安と希望は、まだ確定していない事象に対する表裏一体の喜びと悲しみで、同時に起きる。だから、絶望と安堵は単に結果が違うだけで、両方とも不安と希望の必然的な帰結だといいます。「希望」みたいな漫画やアニメで連呼されるテーマの中にも、絶望の毒を見つけて告訴しちゃうのがスピノザ哲学の面白さです。

続く第4部が人間の感情への隷属状態の分析、第5部がそこからの解放です。端的に言うと、スピノザは感情を最低限コントロールし、理性を保つ方法として2つ大きなポイントを挙げています。

1.自分を苛んでいる感情をできるだけ明晰に理解しようとする。
これはテクニックですね。感情に振り回されている間は、感情に隷属している。けれど、その感情を明確に認識しようとしている間だけは、確実にその感情から自由です。そして、例えば「どうして嫉妬するのか」「どうして怒っているのか」「どうして絶望しているのか」ある程度明晰に認識できれば、その感情を卒業できます。このテクニックを実行するにあたって第三部での各々の感情の定義がガイドになります。

2.世界とひとつひとつの個物について体系的な理解を持つ
スピノザは、「神」って呼ぶんですが、それは哲学風に言うと「世界の全ての力能の包摂」です。世界で作用している全ての力を含めた全体が「神」。(スピノザがエチカの最初で与えてる定義だと、神は絶対に無限で永遠の実有。)道徳神じゃないです。

神の基本的な性質が理解できれば、まず必然的に起こる様々なことに対して感情的にゆれる必要性がなくなる。神がわかると、人間や自分自身の本性もよりよくわかる。そうすると、結果的にはいつも喜んでいられる。悲しみに作用されることが非常に少なくなる。

まあ、「嘆くな、悲しむな、嘲るな。理解しなさい」ですね。スピノザの考えでは、人間は明確に理解できたことに対してだけ、受動的な感情に流されず、能動的になれるのです。


実は、私の名前「きしょう」は漢字では「喜生」って書きます。「喜んで生きる」ですね。10代の頃はちょっと名前負けしてたんですけど、スピノザの作品を読んだとき、「この人の哲学は、喜んで生きることの哲学だ」と思いました。ドゥルーズが「実践の哲学」で書いていたと思うけれど、そよ風みたいな哲学です。




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