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お金の歴史

こんにちは。
1週間くらい前に新しい紙幣が出ましたが、皆さんはもう見られましたか?私はいまだに一回も見ていません。自分がいかに現金を使わない生活をしているかを改めて感じました。

今回はそんなみんな大好き「お金」の歴史についてお話しようと思います。


昔はすべて物々交換

現代社会では、現金にせよキャッシュレスにせよ、基本的にはお金さえあればどんな物でも手に入れることができます。何を当たり前のことを言ってるんだと思われるかもしれませんが、歴史的にはこれはむしろ異常な状態です。

皆さんはオッサンの絵が描かれた紙を1万円で買いますか?基本的にはNoだと思います。
しかし、何故か渋沢栄一というオッサンが描かれた紙はみんなありがたがるのです。この理由は、紙幣が日本銀行ひいては日本国によってその価値を裏付けられているものだからです。そう、お金というのはそれを発行する主体による裏付けがあって初めて価値を持つのです。

ただ、そんな主体があることは珍しいことです。縄文時代にはもちろん日本政府なんてありません。お金が無い時代でした。 

そのような時代では物々交換を行うのが当たり前でした。マンモスの肉を取ってきた人と、タケノコを取ってきた人がお互いの獲物を交換します。これにより、マンモスの肉を取ることができない人でもマンモスの肉を食べることができます。これが物々交換です。

ここで重要なのは、マンモスの肉やタケノコにはそれ自体に価値があるということです。そのため、交換した時点で確実に満足(経済学的に言えば効用)を得ることができます。もらう相手が今後どうなろうと食べてしまえば関係ありません。あえて固く言うと、取引の時点で双方が相手に価値を提供しているのです。これが物々交換の最大のメリットであり、原始社会でも成り立っていた理由です。

貨幣によって便利になった

物々交換はどのような人たちの間でも分かりやすく価値交換ができるため、人間社会の基本として長く行われていました。

しかし、物々交換は不便です。なぜなら、マンモスの肉を持っている人がその時タケノコを食べたいかは分からないからです。つまり、マッチングの精度が低いのです。
加えて、マンモスの肉はすぐ腐るため、次の日に欲しいものを持っている人と出会っても渡せるものがありません。貯蔵できないのです。

これらの問題点を解決するために考えられたのが
貨幣です。貨幣とは、モノと交換することができると、人々の間で共通認識が持たれているものです。
貨幣には色々なものが用いられました。多くは珍しいもので、貝殻や金銀などです。特に金や銀はその希少性のため、近代に至るまで世界中の多くの地域で貨幣として使われていました。

これにより、人々は金や銀さえ持っていれば、多くのモノを手に入れられるようになり、財産を貯めることも可能になりました。

やがて信用貨幣に

こうして、物々交換に代わり、金や銀などの貨幣が交換の手段として定着しました。
しかし、経済が発展し、交換の頻度や種類が多くなると、また問題が発生します。金や銀は非常にかさばります。そのため持ち運びや保管が大変です。
他にも、世の中の取引が金や銀の量に依存し、それ以上は取引できないという問題もありました。工業化が進み、大量の取引が行われるようになった近代社会では、取引の量に金や銀の数が追いつかなくなりました。

そのため登場したのが、信用貨幣です。
信用貨幣とは、現代の日本のお札のように、それ自体には実質的な価値はない貨幣です。

先ほど述べたように、客観的に見るとオッサンが描かれた紙切れが、多くのモノと交換できる価値を持っています。
これは、日本国の信用によって成り立っているのです。

このような信用貨幣の登場により、マンモスの肉を今日取りに行く必要も、重い金銀を運ぶ必要もなく、貯めておいた紙を使って欲しいモノを手に入れられる社会になりました。現代社会は非常に便利な世の中なのです。
そして、このような価値があるからこそ、多くの人はお金を持つことを求めるのです。

世の中の基本は今でも物々交換

このように、お金というものは、歴史が進むにつれてどんどん便利になってきました。さらに今ではキャッシュレスにより物理的にお金を持つ必要すらなくなり、スマホさえあれば欲しいものを買える時代になりました。

しかし、便利になっただけでやっていることは実は物々交換の時代と変わらないのです。つまり、マンモスの肉を持っている人とタケノコを持っている人がお互いに交換するように、自分が相手に価値を提供することで対価を得るというのが世の中の基本です。これは多くの人が意外と忘れがちなことなのではないかと感じています。

最近は特に円安が問題になっていることもあり、金利や投資が話題に上がりがちです。もちろん金融的な知識も非常に重要です。
ただ、根本的には自身が社会に対して提供できる価値を高めていかないと、対価は得られなくなるのです。ドングリではマンモスの肉と交換してもらえないのと同じです。(あくまで例えなので交換してくれる人もいるかもしれませんが。)

日本全体の論調としても、個人個人の意識としても、このようなお金をお金としてのみ認識するような風潮があると感じています。お金はあくまでも価値交換の手段ということを忘れずに、何が相手、ひいては世の中(個人にとっては会社かもしれませんし、国にとっては外国かもしれません)に対して価値になるか、何だったら交換してもらえるかを考えていくことが重要です。

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