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季節、迷子をケアする

ある日、いつものようにお昼過ぎに妻と散歩に出た。
アパートから出たすぐの通りをそのまま右へ行けば、海まで真っすぐのびる道だ。散歩に出るときは必ずと言っていいほど、右だ。右に行けばとにかく海に出ることができる。アパートから10分くらい歩いた一つ目の大きい交差点を渡ったあたりで、大声で泣いている子ども(4歳くらいかの女児)がいた。周りをみても保護者はいなそうだ。というか住宅地にもかかわらず周りに私たちしかいない。そんな人のいないこの街が大好きな私だ。しかし住宅地なのでそんなに危ないところでもないし、まぁそのうち保護者が現れるだろう、くらいに考えた。そうでなくても最近は物騒な世の中なので知らない子どもに下手に構ったりしたら犯罪者扱いされかねない。とりあえず散歩を続行しようとしたが妻が子どもに声をかけに行った。
子どもは泣いているので何を聞いてもひたすら、ぎゃーと泣いている。
「どこからきたの?」
ぎゃー、おばぁちゃーん
「名前は?」
ぎゃー、おぇおぇ
「おかぁさんは?」
ぎゃー、おばぁーちゃおぇ
「おとうさんは?」
ぎゃー・・・
このままでは埒が明かないし、先ほど書いたように私たちが犯罪者扱いされかねない。もう少し行ったところの海に出る途中に総合運動場がある。そこに保護者と来てはぐれたのかもしれない。その運動場は陸上用のトラックがあったり、バスケットゴールが置いてあったりスケボーができる場所があったり、ストレッチできるベンチがあったりと、かなり幅広い年齢層の運動を受け入れる懐を兼ね揃えていた。とりあえず私たちは身元不明女児を連れ、その公園に行ってみることにした。
案の定、人がたくさんいた。おかぁさんはいるかな?と思ったが結局ここでも見つからなかった。
もうしょうがないので妻が公園の前で警察に電話した。赤穂なので警察は暇してると勝手に思っていたが、警察が来るまでに随分時間がかかり、そこそこ長い時間、私はその女児を抱っこしてみたり、時には情報を聞き出そうとしてみたりしながら女児の相手をし続けた。ここには書けないが、下の名前くらいは聞き出せた。
しばらく経ってようやく警察がやってきて事情を聴取して女児を連れて行った。どうにか犯罪者には思われなかったようだ。妻にどうして助けたの?と聞いてみると「かわいそうだから」という。なるほど。

ここまで読まれて、どう思われただろうか?
「季節さん、泣いている女児をほっとこうとするなんて冷たいな。」
「それに引き換え、奥さまはやっぱり人間だもの、血が通われている。」

読者のなかには、きっとそう思われた方もいるかもしれない。しかし既に書いたように、この間、約1時間以上、女児を実際にケアし続けたのは私で、「かわいそう」と思った割に妻はほとんど直接手をくだそうとはしなかった。

勘違いしてはいけないのは、これはどちらが偉いとか言う話ではない。
単に
「目の前にいる困っている人を見過ごせない」人もいれば
「困っている人に関わったが最後、最初は乗り気じゃなかったのについつい熱心にケアしてしまう」人もいると言うことだと思う。

社会問題、政治、ケア、教育、いろんな場面で、やっぱりどっちの人も必要なんだろうなと思った。このときは妻は前者で、私は後者だ、単にそれだけだろうし、場面が変わればその逆もありうるかもしれない。
それにしても転地療養して迷子の子ども助けた。結局、働いてなくても働いていてもケアをしている。お金をもらえるかもらえないかの違いだ。

次の日、ポストをのぞくと、警察から簡単な報告(無事、自宅に戻しました、みたいな)とお礼のボールペン(広告みたいにプリントされてる)が入っていた。正直、あんたらは国家権力なのだからもう少しマシな見返りをくれてもいいじゃない、と思ったことに関しては少し議論になりそうなので内緒にしておく。

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