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怒りに身をまかせて

私は十分承知しているつもりだ。
このnoteを随分と放置して、今、久しぶりにダッシュボートを除いたら今週の訪問数は1だった。まぁそれもまたよい。

そしてまた、こうして怒りに身を任せて何か行動に移すことは誉められたものではないのもわかっている。
その点ではこの文章をいつか自分で再び読み返したときに、後悔か、滲み出るナルシシズムか、それとも共感か、どんな感情になるかはわからない。

ただ、それでもなぜそうるのかというと、
先日から見続けているドーナル・グリーソンとスティーヴ・カレルによるドラマ「Patient(邦題はある患者・シリアルキラーかな?)」よろしく、怒りに任せて人を殺したり、巷でよく見かけるようにtwitterで垂れ流すよりは、文章にする方がそれでもいくらかはマシだろうと思ったのと、この怒りをなんらかの形で残しておくべきだと考えたからだ。

いつからか、怒りは自分のなかで少なくなった。怒るような場面でも「残念だ」とか「悲しいな」とかマイナスの感情の方が強くなった、というより、怒りがどんどんマイナス化されていくような感じで発散される場所を失っているのかもしれない。(バンドでもやれたらいいんだと思う。)

今日、たまたまフランスに来てからいつも行く古本屋に立ち寄った。頭が乾燥して痒くなって掻いていたら、傷になってリンパ液が滲出してきて具合が悪くなったから、その薬を薬局に買いに行った帰り道だった。

入店すると店員に呼び止められ、店の外へ。
十分に理解しがたいフランス語で
「あなたは泥棒だ。いつも本をみて、何も買わずに出ていく。あなたは泥棒している。それに君の見た本の後、私はいつも片付けている!」と一方的に泥棒と決めつけられ入店を断られた。
おまけに仕事を増やすな!という謎のお叱りも受けた。

思ってもいなかった事態に動揺するも、
「私は日本から来ている研究者で、精神医学を研究をしている。そのためには古本屋に足繁く通って自分に必要な古い本を入手する必要がある。だから来て何も買わずに出ていくだけだ。それにもし私が片付けていなくても、それと泥棒と何の関係があるの!」
とたどたどしいフランス語で説明するも取り合わず。
他の店員も出てきて、
「泥棒するなら他の大きな店があるじゃないか。フナック(タワーレコードとかイオン)で泥棒してこい」という。もうめちゃくちゃな話だ。
フナック、並びにタワーレコードとイオンに土下座して靴の底を舐めてもらいたい。

なんという失礼なことか。
まず大前提として
私は泥棒ではない。
だから、もちろん現行犯でもない。

思い返せば2回ほど前から、店員がやたらと後ろに張り付いているなと感じることがあった。
しかしそれは閉店間際だったので、それこそ閉店準備のためかと大したことと考えてはいなかった。

そうか。
私は年明けくらいからフランスの古本屋のブラックリストに載っていたというわけだ。
そして彼らは、どうやっても私の泥棒の証拠を押さえることができなかった。
それは当然で、理由は簡単である。
私が泥棒をしていないからで、彼らの監視能力が無能だからではない。

まぁ仮に、彼らが足繁く通うも何か買うわけでもないアジア人=私を犯罪者だと考えたとしても無理はないかもしれない。
しかし彼らの中に1人でも、
「いや、しかし彼がやった証拠がない以上、それを理由に入店を拒否するのは良くない、疑わしきは罰せずではないか」
という意見が上がらなかったのかが不思議でしょうがない。

彼らのなかに一度埋め込まれた猜疑心はどんどん膨らんで、店ごと私を締め出すという結論に至った。
何も買わずに出ていくから?見た本を片付けないから?言葉が理解ができないから?
(私の名誉のために言っておくができるだけ元の状態には戻しているつもりだが直っていないというなら申し訳ない)

我慢ならずに再度入店し、話そうとする私に
「出て行け、警察を呼ぶ」とまで言ってきた。

集団とは、かくも恐ろしい。異質なものを排除しする。
「変なやつ」や「違うやつ」がいることが許せない。
映画「ゲットアウト」の恐怖や
道端で白人(アングロサクソン)警官に止められた黒人(アフリカ系アメリカ人)
在日コリアンの恐怖
ユダヤ人の恐怖
それらと自分の体験をすぐさま結びつけるのは、おこがましいと感じつつも
白人社会でアジアンマイノリティとして生きることと全くの別問題と、少なくとも現時点では考えられない。
おそろしい。

何が恐ろしいかというと、私がすこしでも変則的な動きを見せたら彼らは私を「変なやつ」「変なアジア人」ではなく「犯罪者」認定してくることだ。

そうすることで公権力がコミュニティから外へ放り出す、もしくは閉じ込める。

そんな彼らに私はこう問いたい。
本当に恐怖を行動化してしまっているのはどっちなのか?と。

博愛主義を気取ってウクライナ移民を受け入れ、したり顔している、あなたがたのその心の中は移民が犯罪を犯すのでは、私たちの安全な生活を脅かすのではという恐怖や不安を抱えた虚しい人間だ。

それはあなたがたが批判するトランプ主義と同じで、
そんなことなら「怖いから壁立てさせてください」と正直に宣言し、あなたがたの神様に祈ればよい。

世界にはいろんな人間がいるから「変なやつ」と思うことまでは、私は否定しない。ゼノフォビア、ホモフォビアなど何らかの対象を忌避して嫌悪して恐怖すること、それ事態はどうしょうもないところもある。だからこそ、理性が、精神分析が、宗教が、友達が、まぁなんでもいいが、そういったさまざまな社会的なものが各個人のなかにあるフォビアが行動化し、発露すること、他者を排除し、犯罪者扱いすることのストッパーになっているのではないだろうか。

ここまで書いて怒りとともに、私にやってくるのはやはり悲しみである。
とりあへずフランスはリールで出禁になるという凄まじい経験を経て、私の古書ライフはどのように変わるのかも見ものですが、フランスフォビアを強めているのは事実であります。

お目汚し、失礼しました。


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