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【自殺衝動について】孤独に苛まれて死を選んでしまう「優しい人」の心理

前回の「優しさ」に関する記事でも、僕個人のことについてはあまり話さないというスタンスでしたが、書き進めていくうちに「何故こういった世界や政治社会に関する記事を上げているのか」だけは明かしておこうと思ったので、自己紹介も兼ねて書き記している次第です。

とりあえず前回の続きとして、世の中で優しいと呼ばれた人がなぜ孤独に苛まれて自殺を選んでしまうのか?
これをテーマに、中途半端かつ慣れない自分語り成分が増えるかと思いますが、お付き合い頂ける方がいらっしゃれば幸いです。

世の中のターニングポイントだった2年前のコロナ時代。

当時2020年、著名な俳優であった三浦春馬さんが突如自殺した報道が流れ、彼が直前で残していた推敲を重ねたであろうツイートの文章はすごい印象深かったです。
死の原因やこういう思い悩みがあったみたいな野次馬根性による憶測語りをする気は一切ありません。

しかし、なぜ国民全員が一致していく「国力」という言葉は、生きている我々が考えなければならない問い掛けだと思いますし、その意味を自分なりに受け止められていたのでそれを言葉にします。

人間という生き物の性質

前回の「優しさ」というテーマの記事の内容に書いたように、人間自体は優しくないわけではないのです。

ただ、それが自分自身や特定の周囲に「優しさが遍在」するだけ。

見ず知らずの相手に損得勘定なしで分け与えられるほどリソースがない場面も珍しいことではありません。

むしろその程度のキャパシティを持つ我々が、気を付けなければならないことはなにか。

それは本心から好きでもない相手にわざわざ接近し、無自覚のうちに他者を利用したり、エゴや目的のための道具扱いしてしまうこと。

その自覚や間違いを正さなければ、やがてエスカレートしてふざけ半分であれば許されるだろうという他者への甘えから、無自覚な攻撃を躊躇しなくなります。
そして、それをまた離れた場所から見て見ぬフリをするという存在を生み出してしまいます。

民意は日常で送受信している

そもそも政治というものを忌避する傾向に、世の中はあると思いますが、ぶっちゃけ噂や揚げ足取りを繰り返し、一方的に袋叩きにした挙句、誰かを追放できるというストレス発散のサンドバックの味を知っている人は「民意」を意識して生きています。

本来そういった醜態を無くし、全体でより良くするというプラスの方向に働きかける共通意識が必要なのです。

しかし、自分たちが豊かで余裕さえあれば、憂さ晴らしの後はどうでもいいというのが本音。ただの加害者に位置してしまうという過ちを、人間は無自覚に繰り返している。それだけでは何も生み出せない。それでも自らの鬱憤を晴らすこと以上の何かに価値を見出せない、自覚を持てない輩が、今度は自分に向けて攻撃的になるというのが現実。

このように人間とは、どんな場面でも優しさに偏りを生じさせているエゴイスティックな動物です。

だからこそ、自らを善人と自負するのではなく、善人でいられるように自らを律することが必要なのです。

我々はいつも、誰かの加害者になりかねないという自己への戒めと共に生きなくてはなりません。

おそらく彼はそういうことを念頭に置いていた本当に優しい方だったんだというのが、当時の僕の感慨でした。しかし、先述の通り、この呼び掛けに対する現実は全く優しくありませんでした。

何故、社会や世界に声を発信するのか

ここからは当時荒れていた僕個人の主観もありますが、自分で感じて、考えてること。それが人と違うことであれば、それを理解してもらうことに苦しんでいる人間はこの世界に大勢います。

それは人種や性差別とか外面に基づいた社会的な価値基準ではなく、内面的な孤独を抱えている「普通に暮らしている人々」です。

時に親しくしてるはずの相手から、アイツはいきなり変なことを言い出すという扱い、その視点の違いからあの人は偉そうという指摘や、世間を斜めに見ているといった手厳しい声が向けられます。
自分の言葉や呼びかけに誰も応えないままそれに直面してしまい、自らに同志がいなければ、自分の存在を肯定し続けたり、この世界や生に価値を見出せなくなってしまう。

そして傍から見たら、人に囲われていることが幸せに映るかもしれないけど、むしろ人に囲われている時ほど、自分を押し殺す時間が増え、孤独に向き合う中でしんどくなります。

そもそも、日常生活どころかネット上で人と関わるSNSやコミュニケーションツールにおいても、起こしている行動は「対話」ではなくなっています。

流行に乗っかったり大喜利に精を出すこと。私生活での愚痴を吐くことがネットにおける主な使用用途であり、それを近しいもので囲うことができる時代です。
人は見たいものを見て、聞きたいことを聞ける時代になっているのです。

他者を愛したり優しさを分け与えるということを真剣に受け止めているからこそ、より良い思考や行動に導きたいし願っている。
そういった全体に向けて真剣に考えられた「呼びかけ」はとても面倒で苦しいことです。

しかし、それこそが必要であり、今の時代にとって価値があることであるのは間違いないです。

その気づきを大切にしたい自分もまた、より良い世界に向かうためにできることとして、ブログやSNSの発信を始めている次第です。


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