見出し画像

情報化社会におけるWebサイトと動画コンテンツのカルピス商法

フリーでこなせる仕事を探していると目に付くと思うのですが、その中にWebサイトや動画の製作というお仕事があります。

内容としては、作品の解説や実際にあった事件や都市伝説のまとめ等。
これらを見ていて、少し考えさせられるところがあったので、今回はそれを言語化してみたいと思います。

同じコンテンツが飽和している競争状態

「自分の思いついたことの大半は、誰かが試している」
この言葉は子供の頃から既に言われてきて、それを意識するように過ごしてきました。
これって何かを創作するときの前提条件に近いと思ってきたのですが、それを承知の上で、人がやっているものと似たコンテンツを作って、それを商いにしている。

これが結構衝撃的でした。

例えば、ゲームの攻略というのはインターネットが発達してなかった、あるいは子供の頃は、自らがどうにかできないものかと考え抜いていました。
今では手元にあるスマホのグーグル検索で一発ですが、もちろん多数の方は検索候補で上位にある大手のサイトを閲覧しますし、それで情報を手に入れて解決するわけです。
実際に起こった事件や都市伝説についても、自分が調べたいと思った内容は、ウィキペディアなどでまとめられており、多くの人はそれを見るだけで解決することが出来ます。

しかし、現代では法人個人問わず、あらゆる人間が同じ情報を、同じコンテンツでまとめて、それを商いにしようと考えている方が大勢います。

コンテンツのマトリョーシカ化

Webサイトにて語られている内容をまとめて、それを動画として上げる。
ここまでは文字を追う媒体から、より表現力や工夫が問われる媒体に変化するのでよくあることです。
問題はこの先で、誰かがやってくれたことをさらに簡略化して、それを商いにするというもの。
動画を制作した本人の了承を得られているならともかく、なんの接点も持たない他人が切り抜きをやっていることも珍しくありません。
Webサイトの文字列とほぼ大差ない解説動画などは、簡潔に伝えられる内容をもったいぶって説明するものが飽和しています。

マーケティング心理としては同じものを目指すのであれば大手に集客されます。しかし、それにあやかって大手のものを名乗りながら、簡略化してまとめ上げた物、似たようなコンテンツが世に溢れてしまうことになりました。

情報のマトリョーシカ化、同じ内容かつ中身を薄めたカルピス商法が成り立ってしまったわけです。

クリエイティブと発掘の障害になるデメリット

活字が苦手な方や、自分で調べても理解が及ばないものに向けたものであるというのであれば、現代では需要があるでしょう。
しかし、他の人が既にやっていることと似たようなコンテンツを作っている中で、内容を簡潔に仕上げようとするほど、どうしてもオリジナリティは薄れてしまうものです。

先人たちのを流用していながら、あえて回りくどい説明展開を付け加えた、中身がないものとして仕上がっているものも珍しくありません。
こういった手法で利益を得る者がいるのもまた事実であり、彼らに倣って自分もやってみるという存在が絶えない結果、世の中に情報が氾濫する時代となってしまいました。

創意工夫が求められるコンテンツでは、既存の物より魅力的なモノ作りをしなければ、Webサイトも動画も伸びるはずがありません。

そういう意味では活気のあるもの、創作意欲によって生まれた独自の物が、そういう贋作によって目につきにくくなる傾向であると感じます。
そのうち、コンテンツの界枠を蝕むものになるんじゃないかと、ちょっと思うところがあるというお話でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?