夢を追いかけなければいけない時代に生まれた、夢のない君へ

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僕は、俳優でモデルだ。東京大学の工学部建築学科を2020年の春に卒業した。

卒業直前まで、僕は内定先の会社に勤めるつもりだった。外資系の企業で、就業は8月からの予定だった。

ところが、あるきっかけから内定を辞退し芸能の道に足を踏み入れる。

しかし、そこまで決断をしたのにも関わらず、つい最近まで「自分の夢は俳優だ」「自分はどうしてもモデルがやりたいんだ」と自信を持つことができなかった

僕は確かに俳優がやってみたい、モデルがやってみたい、だからこの道を歩み始めたはずなのに、どうしても自信というものを持つことができなかった。

なぜ自信を持つことができなかったのか、今ではわかる。学歴を不意にした後悔だとか将来への不安だとか、そんな生温いものではない。それはこれまでの僕の生き方、すなわち僕の原動力に起因するものだったと考えている。

今では、あるほんの少しの気づきで「僕は俳優でモデルだ、それが夢で生き方だ」と胸を張って言うことができる


このエッセイでは、夢のなかった僕やりたいことに自信を持てるようになった心の転換がどのように起こったかを書いていく。

そしてその転換について綴ったこの文章は僕と同じような原動力を持つ人にとっての道標になるのではないかと、烏滸がましくも期待している。

というのも、僕のファンでいてくれている方々には同じような生きづらさを抱えている人が多い印象を受けていたから、その人たちの支えになりたいとずっと考えていた。このエッセイはそうなって欲しい。

そんな願いを込めているが、このエッセイのベースはあくまで令和二年の個人的な振り返りと、新年の抱負にある(書き終わってみると、人生を大きく振り返ったものになっているが)

なのでこの文章のおける啓発的な語りかけは、かつての自分への語りかけと重なる。その中で読む人に感じ取ってもらえるものがあれば幸いというものだ。なので、始まりはこうあるべきだろう。


夢を追わなければいけない時代に生きづらさを覚えていた、夢を持たないかつての自分へ。


生きづらさを覚える君へ

救いたい人たちがいる。それは日々を真面目に生きる人たちだ。

僕が想像する真面目な人たちは、目の前の物事に真剣に取り組む。今できることを、今やらなければいけないことを、自分の頭で考えてこなして、必死に生きている。夢を持っていてもそうではなくでも

夢を見つけられていなくて真面目に生きる人たちに共通する原動力「いつかやりたいことが見つかるさ」だと思う。

しかしこの世はとかく生きづらい。真面目に生きているだけではダメだという。
将来の夢はなんだ、と聞かれる。何が好きなんだ、と聞かれる。


今の時代、何かに挑戦するハードルはずいぶんと低い

今みなさんはこの記事を何で読んでいるだろうか。スマホかパソコンか。それだけあればプログラミングを始めることもできるし動画クリエイターになることもできる。僕がしているのと同じように、文字で考えを表現することも。

「夢を追いかける」ことがずいぶんと簡単になった時代だと思う。

勿論「夢を叶えること」が簡単になったわけではないと思う。活躍するすべての人には努力があることだろう。そうした努力を軽んじるつもりはない

だから、表現者やクリエイターたちはしきりに「夢を追うことの素晴らしさ」を訴える。夢を諦めるなと言う。夢を追わないことに理由が求められる


けれど、肝心の「夢」はそんなに簡単に決まらないのではないか。


幼い頃に運命的な出会いをする人もいるだろう。一つの夢に敗れた後、新たに夢を追いかける人もいるだろう。しかし、みながそうとは限らない。

運命的な出会いをするには、日々はあまりにも窮屈すぎる

自分のことをわかった気になって夢を決めつけてしまうことだってできたかもしれない。夢さえ決めてしまえば、今すぐそこへ向かって走り出せる。夢を追う姿を応援してくれる人は必ずいるだろう。

けれど、まだ選べないし、選びたくない。そう思って、生きづらさを感じながらも目の前の日々を必死に生きて、「いつか夢見るかもしれない自分」のために必死で生きる人がいる。

そんな君はとても素直で真面目だと思う。そして、この時代に生きづらさを覚えていることだろう。

夢を見ることの素晴らしさを訴える声が、夢を見ない自分はつまらないと罵られているように聞こえる。

目の前のできることを必死でこなしていたって、リスクを背負っていないと軽んじられているように感じる。

勿論そんなことはないとわかっていたって、夢のない人にはそもそも声もかけられない。真面目に生きることは当たり前だと思われてしまう。その疎外感だけで十分に生きづらい。本当は真面目に生きるのだって大変なのに。

目の前のできることを、やらなくちゃいけないことをやるだけじゃダメなの?」

必死に生きていればいつかやりたいことが見つかるかもしれないのに

僕はそう呟く人たちを救いたい

念のため補足しておくと、僕は「夢みるひと=真面目ではない」と言いたいわけではまったくない。「夢を見れていないひと」で、それでも「いつかやりたいことが見つかるかもしれないと、日々を真面目に生きるひと」のことを書いている。
夢を見ていないひとを表現する言葉が、思い浮かばなかった。そして、夢を見ていないことを単純に慰めたいわけでもない。「日々を真面目に生きるひと」としか僕には言い表すことができない。

かつての自分とその原動力

僕も「いつかやりたいことが見つかるさ」を原動力にこれまで生きてきた。

中学・高校は勉強と部活で精一杯だった。習い事もしていなかったし友達も少なかった僕は中学校で特にやりたいことを見つけられず、入部した剣道部での活動と授業、言ってみれば目の前のやるべきことに取り組むことにした。

何とか高校は県内でトップレベルの公立進学校に進むことができ、中学から引き続き剣道部に入部した。しかし入学時の成績は学年の下から10番程度の低空飛行だった。早いうちから東大を目指し始めた僕は、部活と両立しながら勉強をするので精一杯だった。趣味にかけるお金も時間もほとんどなく、気晴らしに中古で買ってきたTVゲームをするくらいだった。休日に遊ぶような友達も相変わらずいなかった。

なぜ東京大学を目指したのか聞かれることがよくある。それはいつかやりたいことができたときのためであり、このときから僕の原動力は一貫していた。

東京大学には進学選択という制度がある。これは大学二年次に学部を選択するというもので、例えば理系で入学して文学部に進んだり、文系で入学して医学部に進んだりすることができるという、珍しい制度なのだ。また、東大入試は難易度が高く科目数も多いため、他の大学でやりたいことが見つかったときに入試先を変えることが容易だったというのも理由の一つだ。

僕は建築学科に進学した。建築は人間生活の様々な面に触れている。工学的な面はもちろん、社会学的な面、歴史的な面、保健医療的な面などなど。とりわけ、デザインを学ぶことができるのが魅力的だった。進学選択でも、そしてこの学科でも、僕はやりたいことを見つけるためにできることを何でもやってきたつもりだ。

卒論も、僕が学部で学んできた様々な分野をごちゃ混ぜにした学際的なテーマで書いた。クオリティは散々かもしれないが、自分ではやりたいことをやれたと満足している。しかし、専門性のなさから大学院に行くことは保留し、就職活動を始めた。選んだ業界はコンサルティングファームで、この選択も「いろいろな世界を知ることができるから」という理由だった。

僕はいつだっていつかやりたい何かのために必死で、やりたいことを見つけるために何かをする余裕なんてなかった。


芸能界に足を踏み入れた、令和二年

あるきっかけから俳優として芸能の世界に踏み出すことになる。

大学4年生でミスターコンに出場し、2019年度のグランプリをいただいた。これが直接の理由ではないのだが、今回の記事からは逸脱するのでミスコンに関することは過去のツイートを一つ引用するにとどめて、あとは大胆に省略してしまおうと思う。


ここでは、ミスコンに出た理由もまた、勉強以外で自分にできることを知ってみたかったからという理由だったこと、そしてミスコンに出場したことで(ありがたいことに)注目していただき、芸能界への道が開けたことだけを知っておいて欲しい。


結果、僕は外資系コンサルの内定を辞退し、夏には全国ツアーの舞台で俳優デビューすることになった。

コロナ禍において舞台は公演中止となってしまったものの、地上波ドラマに出演させていただいたり、このnote公開時点では未発表のものを含めて、極めて恵まれたスタートを切らせていただいた。

モデルとしては有名誌の専属モデルオーディションに最終選考まで残ることができた。12月からは事務所のお世話になることが決まり、今後本格的に活動を始める足掛かりが整った。


役者は奥深い。脚本を読み、咀嚼し、自分なりに表現し直して、他の演者と調整し、監督に稽古をつけられ、音響や照明、映像編集など裏方さんの力が加わり、座組全員の力で一つの作品を作り上げる。演じるほどに自分の未熟さを感じるし、それを悔しいと思う。もっと上手くなっていろんな作品に出てみたいと思う。

モデルにしたって、自分はスタイルに恵まれていて資質には自信があるけれど、ポージングやセンスはまだまだこれから磨いていかなければいけない。僕はモデルの自分の力で広告を惹き立たせるという職能をとても魅力的に感じているのだ。

これらは、もし就職していたら決して見ることのなかった世界だろう。この令和二年はまさに波乱万丈だったが、僕にとって、出会いと発見に満ちたとても楽しい一年だった


それでも俳優だと言えなかった

僕は今の仕事をとても楽しんでいるなのに、心の底から「これがやりたいんだ」と人に言うことができなかった

なぜか。それは

僕の原動力は、俳優をやっているときですらモデルをやっているときですら「いつかやりたいことが見つかるさ」だったからだ

気づけば僕はその力でしか動けなくなっていたのだ。


飛び出してやってきた俳優という世界で、モデルという世界で出会う物事は僕には全てが目新しく魅力的だった。

馬鹿みたいな話だけれど、将棋の棋士をやれば将棋が楽しくて仕方がないし、殺陣をやれば格闘技がやりたくなる。たくさん服を着たらアパレルもやってみたいしデザインもしてみたくなるし、先輩に美味しいご飯に連れて行ってもらったら飲食店を経営したくなる。

「いつかやりたいことが見つかるさ」の原動力で生きてきた僕にとって、「俳優がやりたい」「モデルがやりたい」とやりたいことを宣言することは、同時に他のすべての輝く未来を諦めることを意味していた。


単純な気づきで僕は前向きになった

これが僕が自信を持てなかった理由だ。

夢がないということは、何でも夢にできてしまうということでもあったのだ。そうして結局決めきれずに、最後には中途半端に終わってしまったかもしれない

僕は結局、夢を見ることができないのだろうか。決まりもしない「いつかやりたいこと」のために必死でい続けなければいけないのだろうか。

そんなことを考えていた年末だったが、ある本当に単純な気づきで僕は前向きになることができた。


ああそうか、僕は既にひとつの夢を叶えていたんだ


原動力とはすなわち夢だった。「いつかやりたいことを見つける」というのは僕にとって夢だった


今僕は確かに俳優をやりたい、モデルをやりたい。できないことが悔しいし、高みを目指したい。今「やりたいこと」は俳優だしモデルだ。

だから僕はもう既にやりたいことを見つけていたし、つまり夢を叶えていた。だからもうこの原動力に頼らなくていいんだ。


あまりに単純な解決で、ひょっとすると読者の皆さんにはこの感動が伝わらないのではないかと書きながら危惧している。しかし僕にとっては革命的な閃きだった。


「いつかやりたいことが見つかるさ」という原動力は、言い換えれば「やりたいことを見つけてしまったら止まってしまう力」だった。だから僕が動き続けるためには「夢を見つけてはいけなかった」


しかし、「いつかやりたいこと」が見つかった今では、これまで自分が「いつかやりたいことが見つかるさ」と必死に取り組んできた全てのことが、直接ではないかもしれないけれど、自分の味方となって支えてくれる


原動力とはすなわち夢のこと。夢は原動力だ。

新しい夢には、新しい原動力がある。


こう気づいたことで、僕は俳優として、モデルとして生きていく力新たに手にし、胸を張って夢と語れるようになったのだ。

新しい力は、これまで必死で生きてきた夢のない僕が蓄えてくれたものだ。僕はかつての自分を信じているから、その蓄えに胸を張ることができるのだ。


「いつかやりたいこと」を原動力で生きている君へ

「いつかやりたいことが見つかるさ」の原動力はとても強力で粘り強い。だから君はきっと真面目に頑張ることができている。けれどこの力はその分、扱いこなしづらい。

この原動力で走り続けたいと思えるほどに強力だけれど、それは同時にこの力の限界でもある。

もしも「これがやりたいことかもしれない」と思えるものに出会ったときに、僕のこの記事を思い出してみて欲しい。今の君はもう今までの原動力に頼る必要はない

夢がないことは、全く引け目に感じることじゃない。夢がなくても真面目に必死に生きることはいつか夢が見つかったときのための蓄えだ。


夢を見つけたいというのは、立派な原動力だ

けれど、その原動力は達成されるためにあることを忘れてはいけない。自戒を込めてそう伝えたい。

やりたいことをやりたいと素直に言えないことは周りに失礼だし、何より自分が辛い。やりたいことを見つけたとき、それは君が立ち止まってしまう瞬間ではなくて、新たな力で進み始める開始点だから。自分の蓄えを信じて新たな道を進んでみて。そしていつか蓄えを信じられるように今を真面目に生きる自分を誇りに思って


来年の抱負

これからの僕は、新しい力で歩いていく。

夢を追う一人として生きていく。

この生き方にも当然生きづらさがあるだろうこの原動力にもいつか限界があるかもしれない。けれど、自分の夢と蓄えを信じて進んでいこうと思う

この一年いろいろ挑戦してきたけれど、やはり俳優として、モデルとして成功したい誰かの心に響く表現をしたい

その道の途中で、やっぱり新しくやりたいことを見つけることもあるかもしれない。しかしそれは「いつかやりたいこと」ではなくて「俳優の夢の延長」「モデルの夢の延長」にあるものだろう。客観的に見れば同じだとしても、自分の中での納得が違う。

僕はいろんなことに挑戦するのが好きだ。それは今後も変わらない。これからも俳優として、モデルとして様々なことに挑戦していきたい

応援をよろしくお願いします。


最後に、漠然とどんな人間になりたいか

やっぱり、かつての自分が見て安心するような人がいい。

今の自分は「夢を追う人」だけれど、夢のない期間が長かったし、こうして自分なりに克服したわけだから、同じような生きづらさを抱える人の支えになりたい。

夢を持って頑張っている人はもちろん、夢がなくて日々をがむしゃらに生きる人にとっても希望になれるような、そんな存在に。

かつての僕が、そういう人を求めていたから。

かつての僕の素敵な原動力でここまでやってくることができた。その地点から新たに歩み始める僕だから、かつての僕には応援していて欲しいと願っている。


2020年12月31日 木瀬哲弥

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