木瀬哲弥 | 東大卒モデル

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木瀬哲弥 | 東大卒モデル

毎週投稿しています→文章以外もするようになったのでnoteではなくinstagramでの投稿も活用します。

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金曜の華は土の上に咲いている

大学を卒業してからはや三年 大学を卒業してからはや三年が経とうとしている。同期の多くは会社勤めで、あるいは博士課程に進学していたりモラトリアムを満喫していたりする。多忙な人々が解放される金曜日の夜などに互いの予定が合えば会い、近況を話すことがある。各々の舞台で活躍している様子を聞くことも増え、そうした話を聞くのがちょっとした楽しみだったりする。 会社勤めの人々はウィークデーに働きウィークエンドに休んでいる。あるいは不定休でフレキシブルな働き方をしている。稀に、ウィークデー

    • 不在の道の歩き方

      先日、初めて事務所で大規模に集まる機会があった。 僕は2021年に今の事務所に所属してお仕事をしているのだけれど、モデルは事務所を職場としているわけではなく、それぞれがそれぞれの現場で仕事をしている。時間も、場所も、内容も全く異なることを各々しているわけだ。 僕は所属している事務所のことを気に入っていて、その理由を一言で表すなら「誠実さ」だろう。東京のみならず日本のモデル業界においてかなり歴史のある事務所らしく(このことも「聞いたら教えてくれた」くらい、あまり自ら主張せず慎

      • ワン・シーン

        今週はひとつの印象的なシーンを目にした。登場人物はたった二人と、それをみている僕。カラッと晴れた昼の産業道路。交番とゴミ収集車。警官とドライバー。瞬間的でありながら二人の時間を感じられ、そこには確かに物語があった。それはただの日常。 カフェでモーニングをとった帰り道、僕はスウェットにジーパンを履き、キャップの上からヘッドホンをしてラジオを聴いていた。朝の習慣だ。 産業道路を少し歩くと交番がある。いつも40歳くらいの白髪混じりの警官が中で退屈そうに座っているのだけれど、その

        • 鎌倉記録

          ”平安時代の日本はすでに律令国家としての歩みを始めていたけれど、そのシステムの緩みから既存の枠組みでは立ち行かなくなり、鎌倉時代という武家による統治の時代に移行する。土地や財を保証する代わりに武家のために奉仕する、いわゆる御恩と奉公の仕組みが誕生した” 鶴岡八幡宮に併設されるミュージアムは小規模ながら、こうした成り立ちから近代に至るまでの鎌倉に関する様々な資料が保存展示されていた。 ”鎌倉は文化の都市でもある。古くからこの土地で多くの作品が誕生し、明治期には鉄道も開通し、

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        金曜の華は土の上に咲いている

          あの時あの場所に相応しい音楽は【エッセイ】

          今週のテーマは音楽で、「僕が晴れの日にグリーン・デイを、雨の日にU2を聴くようになるまでの話」だ。 あるいは、「ある一人の内気な少年が世界に心を開いていく話」と言ってもいいかもしれない。 ここ最近では音楽を聴くのがすっかり習慣になった。 僕のinstagramをフォローしてくれている人ならば、よくストーリーで#nowplayingのタグ付きで曲をシェアしていることを知っているだろう。そしてそのジャンルの統一感の無さにも気付いているかもしれない。 その理由は、度々書いて

          あの時あの場所に相応しい音楽は【エッセイ】

          詩作ことはじめ【エッセイ】

          はじめに毎週文章を投稿していますが、今週はまず三篇の詩から。そのあとにエッセイを。 三篇の詩おわりに(という名の本編)先日知り合いが詩の個展をやるというので訪ねてみた。 知り合いとはいっても一度お仕事でご一緒したくらいでほとんど話したことはなく、instagramで繋がっているくらいの方だ。つまり僕はその人についてほとんど知らないのだけれど、これまで周りに詩を書く人はいなかったからストーリーの告知に興味をもち足を運ぶことにした。会場で少しご挨拶させていただいたけれど、結局

          詩作ことはじめ【エッセイ】

          幸運の蹄鉄と無意味な音【エッセイ】

          馬の蹄鉄のネックレスを持っている。それは下北沢の雑貨屋で買ったなんでもない品物だ。「蹄鉄は幸運の象徴だ」という店員さんのセールスを聞かずとも僕はその迷信を知っていた。蹄鉄が馬を守るための道具だから転じて魔除けの象徴になっただとか、馬具は重要な産業だったから富の象徴になっただとか、たしかそういった由来だったと思う。 蹄鉄は馬を守る機能的な装置だ。一方でネックレスのオーナメントとしてのそれは、どこまでいっても装飾的な意匠だ。 僕は時々絵を描いたり楽器を触ったりする。最近それら

          幸運の蹄鉄と無意味な音【エッセイ】

          感想は言わなくていいし、感情はなくていい【エッセイ】

          「なによりも人間がこわいと思いました」などという言葉は常套句と化していて、もはや「結論感想」とでもいうべき汎用性とキャッチーさを誇っている。 もちろん人の感想に対して頭ごなしに「君の感想は間違っている!」などと言うつもりは全くないけれど、もし感想を求めたときに返ってきたのが多くの作品に当てはまる漠然とした「結論感想」だったとしたら、それを受け取る側としてはもう少し深掘りして聞きたいと思ってしまう。「結局XXだよね」構文は魚の尻尾であって、おいしい身ではないからだ。 もしあ

          感想は言わなくていいし、感情はなくていい【エッセイ】

          困惑と懊悩の幻想列車(あるいは電車に乗れない東大生の話)【エッセイ】

          僕は東大卒で、電車に乗れない。高校生のときも、在学中も、就活中も、卒業してからも、現在に至るまで電車に関する失敗は数え切れない。この書き出しはまさに目的地に停車しない急行列車の中で書かれている。 僕にとって電車に関するミスはペパーミント・キャンディのようだ。無色のガラス細工を口に放り込む何気ない行為が思わぬ辛さで意表をつき、僕を現実に引き戻す。しかし爽やかな風味はそこに後悔を残さず、そして僕はまた来る日も味の不確かなその飴を無邪気に口にしてしまうのだ。 僕はこのことに「悩

          困惑と懊悩の幻想列車(あるいは電車に乗れない東大生の話)【エッセイ】

          技術の取って代わる場所に【エッセイ】

          僕には少なくとも3つの要素があり、ひとつの価値観があるようだ。演劇があり、建築があり、モデルがある。それらの要素を通じて、ひとつの価値観について話そうと思う。 僕のいた大学は2年次まで全員が教養学部に所属し、進学選択を経て3年次よりそれぞれの学部に在籍する。僕は建築学科に進学することにした。 教養課程のときには英語劇のサークルに所属していた。そのサークルは教養課程の2年間のみが活動期間で、1年生が役者をやり、2年生は裏方に徹するという少し変わった形式をとっていた。題材とし

          技術の取って代わる場所に【エッセイ】

          引き出しの奥の論語【エッセイ】

          高校生の頃、僕にはひとつの習慣があった。それは「誰よりも」早く登校することだ。誰よりもというのは教師を含めた文字通り「誰よりも」。 クラスの朝礼は8時40分頃からだっただろうか。自転車通学だった僕はその2時間ほど前には正門に到着し、単語帳を開くなり読書をするなりしながら鍵番の教師の到着を待っていた。その教師は英語科の中年の男で、垂れ目に大きい体格はまるで熊のようであり、いつも黒いニットのビーニーを被っていた。彼は「今日も早いね」とのそのそとした口調で言いながら校門の錠を外し

          引き出しの奥の論語【エッセイ】

          さよならヴァンサンカン【エッセイ】

          僕は誕生日があまり好きではありませんでした。 記念日を祝ったり節目に何か特別なことをする家庭ではなかったので誕生日というイベントに魅力がなかったというのもあるけれど、どちらかというと個人的な心境において、その性質に関して、僕はそれを好きになれませんでした。「何かが大きく変わるのだと期待してみるけれど、実際には何も変わらない」。誕生日とはそういう日でした。 11歳を迎える僕は、同世代の少年少女の多くがそうであったように、ホグワーツ魔法魔術学校への入学許可証が届くかもしれない

          さよならヴァンサンカン【エッセイ】

          Everything Everywhere All At Once【映画評】

          正直なところ、観てる間に何度も「もう劇場を出てしまおうか」と思いました。けれど最後まで鑑賞することで至高の映画体験を得ることができる……そんな映画でした。 2023年のアカデミー賞最多受賞ということで、今一番アツい映画と言っても差し支えないのではないでしょうか。というわけでこのnoteも”エブエブ”についての記事なのですが、ただ流行りに乗ろうというだけではなく、より明確な動機があって書き始めるに至りました。というのも観終わってから人々の感想を眺めていて気がついたのです。「み

          Everything Everywhere All At Once【映画評】

          52/9482のポーカー【エッセイ】

          角道をあける 友人のひとりが将棋に熱中していて、ことあるごとに「将棋は人生だ」という。あるいは「人生の出来事の大半は、将棋の格言が言い表している」ともいう。彼の熱意に影響されて僕も時々将棋を指すようになったが、一緒になってそれなりに取り組んでいた2年前はおろか、気が向いたときに少し触れる程度の今では彼に到底太刀打ちできない。棋力がモノを言う将棋に、アマチュアレベルの番狂せはなかなか起きづらい。 一方で僕は、最近ポーカーにハマっている。これはまた別の友人の影響で、つい一ヶ月

          52/9482のポーカー【エッセイ】

          仮面の怪人たち【エッセイ】

          いつもありがとうございます。はじめての人ははじめまして。今週は作品紹介的な文章です。早速どうぞ。 本文 人は誰しも仮面を被っている。仕事とプライベートで性格を使い分けたり、ゲームに勝つために無表情を貫いてみたりする。あるいは自分ではそうするつもりがなくても、三つの円が自然とキャラクターのシルエットに見えるように、他人が勝手に「あいつは仮面を被っている」と判断することがある。陽気に異性と話していればアイツは遊び人だと言われ、無口でいればアイツは人を見下していると言われる。

          仮面の怪人たち【エッセイ】

          おっさん友情奇譚

          ある日、深夜の埼京線。 大学生だった僕はサークルの飲み会を終えて渋谷から帰宅するところで、時刻は随分と遅くなっていた。大宮へと向かうその車両の座席はほとんど埋まっていて、吊革につかまる人もちらほらと見かけるくらいの混雑具合だった。スーツがやや多いものの、多様な老若男女が乗り合わせていたように思う。 車両に乗り込んだ僕は奥まで進み、座席列の中程で立ち止まる。吊り革につかまり、スマートフォンを取り出す。目の前には少しイカついライダースの男性(二十代半ばだろうか)と、その隣には