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死んだのではなく「生きてきた」

今日は父親の命日。1年前の夜に自分の部屋で倒れてそのまま亡くなった。それから1週間、誰にも気づかれず父は自分の部屋でひとりで死んでいた。

今回、父親がひとりきりになり自宅で過ごした最後の1月初旬はどんな季節であったかを追体験しようと実家に来てみた。

1年経ってようやく過去の家族のアルバムや父の残した日記などを見る気力が湧き、眺めていたところ、昨夜ものすごく大きな気づきが降ってきて「あっ!」と思わず声が出た。

それは、「父は確かにこの世の中に生きてきたのだ」という事実だった。

死んでしまったというインパクトが大きすぎて、その1点のみを1年間ずっと見つめ続けてきたけれど、残された日記や写真で見る青年は鮮やかにその時代を生きていたのだった。

「父は死んでしまったのではなく『生きてきた』のだ」

大きな気づきだった。その揺るぎようのない事実は、死んでもなくなるものではない。ああ、このことに気がついて良かった。

父よ。私もまだまだ生きてゆくよ。もがきながら。

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