見出し画像

裏庭の魔法使い


 我が家の裏庭には魔法使いが住んでいる。


 ……や、別に大鍋でどろどろと得体のしれないものを煮込んでいるとか、ステッキの一振りで人間をカエルに変えてしまうとか、そういう類いの話ではない。

 うちの裏庭は田舎の家にしてはこじんまりとした庭だけど、その向こうにはちょっとした家庭菜園が広がっていて更にその先には小さな川も流れている。正直どこまでが庭で、どこからか畑なのかちょっと分からないくらいに境界線はあいまいだ。

 庭の手入れも畑の世話も、お爺ちゃんが一手に引き受けている。
 魔法使いとはすなわちお爺ちゃんのことなのだ。


 春、畑の向こうの川べりには大きくはないけれど桜が何本か植わっていて、裏庭に面した縁側に座っていてもちょっと遠いけど桜が咲いているのが見える。だから桜の季節には縁側にお弁当を広げてお花見としゃれこむのが我が家の決まりとなっている。
 20歳を超えてからは私の前にもお猪口が並ぶようになり、花見酒を楽しむのだけど、つい、とお爺ちゃんから差し出されるなみなみと地酒が注がれたお猪口には、ひとひらの桜の花びらが散らされていたりする。私たちが盛り上がっている間に、いつの間にか川べりの桜から花びらを手に入れてきたらしい。
 にっこりと微笑みながら差し出されるちょっと風流な地酒は、格別に美味しいのだ。

 夏、蝉の鳴き声がこだまする中、汗だくになって帰ってきた私に向かってお爺ちゃんがこっそりと手招きする。呼ばれるままに縁側に出ると、井戸水を張ったタライに西瓜が丸ごと冷えているのだ。
 「今日はいいのが採れたぞ」そう言ってどこからか取り出した包丁とまな板で良く冷えた西瓜を贅沢に切り分けて思い切り齧り付くと、夏の暑さも遠ざかっていくような気がするから不思議だ。
 縁側の扉を全部開け放っていると、吹き抜ける風に揺らされて、気がつけばぶら下がっている風鈴が涼やかな音を立てる。私はそうやって魔法使いに支えられて夏の暑さを乗り切っていくのだ。

 秋、向こうに見える山も恥ずかしそうにすっかり色づいた頃、香ばしい匂いに誘われてふらふらと縁側にたどり着くと、お爺ちゃんが何処から取り出してきたのか七輪でサンマを焼いていたりする。
 じゅうじゅうと油の滴る音を立てながら焼きあがったサンマをお皿に載せると、すりおろした大根とお醤油がセットでついてくる。脂ののった秋刀魚を一匹丸ごと平らげて、心地よい満足感に浸っていると、差し出されるのはアルミホイルにくるまれたホカホカの焼き芋。
 こうなったら仕方ない。甘いものは別腹とばかりにあち、あち、とやけどしないように気を付けながら食後のデザートを満喫するのだ。

 冬、やけに静かな朝だと思って、縁側から外を覗くと、一晩の間にすっかりと雪が積もっていたりする。それだけでもなぜか心が躍るのだけど、よく見れば裏庭の隅っこにはいつ作ったのか、家族全員分の雪だるまが鎮座していたりする。これがまたみんなの特徴をよく捕らえていて、言われなくても誰が誰だかわかるのだ。
 雪だるまを眺めていると、知らない内に隣にお爺ちゃんが立っていて、「どうだ、よく似ているだろう」と自慢げだ。少し鼻の頭を赤くしてまるで子供のように嬉しそうなお爺ちゃんに、私は惜しみない称賛の声を送るのだ。


 四季を愛でることができ、それを心から楽しむことができるお爺ちゃんに敬意を表して、私はこっそり「裏庭の魔法使い」と呼んでいる。


 魔法使いは今日も裏庭で、なにやら楽し気に作業をしている。次はどんな魔法が飛び出すか、私はいつも楽しみでならない。

更なる活動のためにサポートをお願いします。 より楽しんでいただける物が書けるようになるため、頂いたサポートは書籍費に充てさせていただきます。