スターゲイザー


芸大のデザイン学科に通っている僕は、最近悩んでいた。

オリジナリティを出そうと思って、日々悪戦苦闘、試行錯誤を繰り返しているのに、なんだかどれもどこかで見たようなデザインに思えてしまう。
ああだこうだとこねくり回しているうちにどんどん悩みの沼に嵌ってしまい、突然ぱたりと手が進まなくなってしまった。
昨日は一日中アパートに引き込もって悶々としていたのだけど、ふと窓の方を見ると晴れやかな初夏の日差しが降り注いできている。

(気分転換に博物館でも行ってみようかな)

学割も利くし、気軽に博物館に行けるのがこの町のいいところだ。僕はアパートを出て上野の山をてくてくと登る。
大学を横目で通り過ぎ、左手に見えるのが東京国立博物館だ。
上野公園内を散策してもいいけど、とりあえずこっちを見てみようかな、とふらりと入っていく。

ちょうどやっていた企画展を覗いてみる。
どうやら今日はアラブの王様のコレクション展をやっているらしい。
自分のコレクションで展覧会ができるなんて、やっぱり中東の王族は違うな、と羨望の眼差しで展示品をつらつらと眺めていく。

一つの彫刻品の前で、まるで地面に縫い付けられたかのようにぴたりと僕の足が止まった。
高さ20cm、幅8.5cm。
片手で掴めるほどの小さなその像はしかし、展示のガラスケースの中で明らかに異彩を放っていた。

神像だろうか、それとも裸婦像なのだろうか。
ヒトの形を象ったとぎりぎり分かるその造形は、余分な装飾を極限まで取り除いたシンプルな美しさというものがいったいどういうものなのかをこちらに訴えてきているかのようだった。

長く後ろに伸びた後頭部は流線型を描いている。
頭の両端にはわずかに突起があり、それが耳を表しているのだろう。
鼻は頭部の中央に細長く刻まれた隆起状の出っ張りで表現され、よく見ると2つの小さな突起がある、これは目だろうか。
手は胴体に細長く浮き彫りにされており、脚部は先端に向かうにつれて折れそうなほどに細くなっている。

それは遥か彼方の星を見つめ、そっと祈りを捧げているかのようだった。


いったいこれはいつの時代のものだろうか。僕はキャプションに目をやる。

「前青銅器時代 アナトリア半島西部 前3300~前2500年頃」

紀元前約3000年?つまり今からおおよそ5000年前のデザインがこれなのか!?僕は衝撃に打ちのめされてしまった。
現代のインダストリアルデザイナーの手によるものだと言われても疑問を挟める人は少ないかもしれない。それほどまでにモダンな造形だった。


僕はそれから30分以上、展示ケースの前でじっとその像を見つめていた。警備員が不審そうにこちらを見てくるが、そんなものは全然気にならなかった。

見ているうちに僕はなんだか笑いが込み上げてきた。5000年近く昔の人間が作ったデザインがこんなにも洗練されている。
いや、洗練されていると思うのは現在の価値観から見ての話だ。
5000年前のこれを作った誰かだって、まさか西暦も2000年を超えた後に、
東の果ての島国の人間がこの像についてこんなふうに感じるなんて思ってもみなかっただろう。

結局のところ僕たちは、自らが生きる時代の視点から決して逃れることができない。
もし。もし、僕のデザインが例えば5000年後の誰かの目に留まった時、その人はそれを古いと思うのだろうか?
どんな巨匠だって、たかだか100年程度しか生きていられない。数千年のスケールに比べればそれのどれだけちっぽけなことか。

僕にはこの今しかないんだ。
僕が感じたものを、僕が思うようにやってみればいい。
今、この瞬間、この時代の、この場所に生きる僕が描くデザインを思い切りやってみるしかないんだ。
そう思った瞬間、自分は今まで何を悩んでいたのだろうと不思議に思えるほど心が軽くなるのを感じた。
僕は逸る鼓動を抑えながらゆっくりと博物館を後にする。

門を抜け、アパートへと続く下り坂に差し掛かったところで僕は我慢できずに走り出す。


今、ここにいる僕にしかできないデザインがきっとあるはずだ。


わけもなく叫びだしたい衝動をぐっとこらえながら、僕はアパートへの道を脇目も振らずに走り続けた。

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