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聖夜の空騒ぎ


「メリークリスマース!」

大学一年生の私、轟美沙は所属するオカルト同好会の会長である東條先輩と二人でアパートのチャイムを鳴らしながらそう叫んだ。

……しかし反応はない。

「あれ?」

いつもなら不機嫌そうな顔をしながら同じく同好会に所属する宗像先輩がドアをゆっくりと開けてくれるのだけど。
ここは大学からもほど近い、宗像先輩のアパートである。私と東條先輩はクリスマスの今日、近所のスーパーで食料を買いだしたあと、このアパートまでやってきたのだった。私たちが宗像先輩のアパートを突然訪問するのはいつものことで、つい先日のハロウィンの時も仮装をしてここまで来たものだ。あのときは恥ずかしかった。今日も同じく東條先輩の突然の発案で宗像先輩のアパートでクリスマスパーティをしようと勝手に決めてここを訪れたのだった。でも反応がないのは想定外。首をかしげている東條先輩に問いかける。

「もしかして留守なんですかね……。あの東條先輩、宗像先輩に今日行くって連絡してます?」
「してないわよ」
「……え、連絡してないんですか!?」
「うん。いつもしてないわよ」

何を今更、というような顔で先輩はこちらを見てくる。うーん、本当に突撃訪問だったのね……。さすがに直前だとしても連絡はしているものだと勝手に思っていたのだけど、私もまだまだ東條先輩を甘く見ていたということだろうか。じゃあ本当に留守にしている可能性もあるってことで、そうなるとさっきのメリークリスマスのかけ声がなんだか急に恥ずかしくなってくる。
私は両手に下げて徐々に手首に食い込んで来ていたスーパーのビニール袋をいったん通路に置くと、ショルダーバッグからスマホを取り出して宗像先輩に電話をかける。呼び出し音は鳴っているから電源が切られているわけではなさそうだけど、しばらく待ってみても出る気配はない。

「だめですね、出てくれません」

電話を切ってそう言いながら東條先輩の方を見ると、ドアに体を寄せてぴったりと耳を当て、中の様子を伺っているようだった。どう見ても不審者だ。

「ちょ、ちょっと、東條先輩なにしてるんですか」

私は慌てて先輩の袖を引っ張って無理矢理ドアから引き剥がす。先輩はこちらを見ると、ドアを指さして「中にいるっぽいよ」と言う。私が何のことか分からずにぽかんとした表情で見つめていると、じれったそうにもう一度言ってきた。

「宗像君、部屋の中にいるっぽいよ。さっき美沙ちゃんが電話してるとき、うっすらとだけど着信音が中から聞こえたの」

東條先輩は再びドアに向き直るとチャイムを連打し始めた。ピポポポポポポポとチャイムが鳴り続ける。

「いやいやいや、東條先輩、近所迷惑ですって」

私は再び東條先輩をドアから引き剥がす。

「もう諦めて帰りましょうよ。仮に中にいるとしても何か出られない事情があるんですって」
「……もしかして、女の子と一緒にいるとか?」
「えっ」

東條先輩の言葉に私はその場で固まってしまった。私がイメージしていたのは最近寒いし、風邪でも引いて寝込んでいるといった状況だったのだけど……言われてみればそういうことも考えられた。なんと言っても今日はクリスマスなのだ。いやでもしかし。宗像先輩に彼女がいるなんて話は聞いていない。そりゃまあわざわざ人に言うことでもないのかもしれないけど、でもほとんど毎日顔を合わせているんだし、それならそうと言ってくれないのは水くさいと思う。宗像先輩にとって私ってそのくらいの立ち位置でしかないんだと思うと、何だろう、こうなんだかもやもやとするというか。

そこまで考えて東條先輩が私の目の前で手を振っていることに気がついた。私の視線が自分に向けられた事に気がつくと先輩は振っていた手を止めて「ごめん轟ちゃん。そんなことないと思うからそんな顔しないで、ね?」と言ってくる。私は目元を慌ててごしごしとこすりながら、「なんでもないですよ?」と取り繕った。それでも東條先輩はこちらから目を離さない。いや、よく見るとその視線は私の後ろに向けられている。その目は見る間にじとっとした目になっていく。私はゆっくりと振り向いた。そこには随分と気まずそうな顔をしながら、宗像先輩がドアを小さく開けてこちらを見つめていた。

「あー……その、なんかごめん」

小声でこちらに謝ってくる。東條先輩は私を押しのけるとドアの隙間に手をかけて大きくドアを開け放つ。

「ちょっと!いるならなんで出てくれないわ…け……」

威勢良く吐き出された抗議の声は、後半になるにつれて戸惑いの色を帯びていく。それもそのはず、大きく開け放たれたドアの向こう側、宗像先輩の後ろに隠れるようにして、ストレートの黒髪でスレンダーな体型を男物のTシャツに包んだ美少女が立っていたからだ。

「帰りましょう」

その女の子を見た瞬間、私は東條先輩の手首を掴んで階段を降り始めていた。

「ちょ、ちょっと美沙ちゃん」

焦ったように東條先輩が私に引きずられた方と逆の手で私の方を掴んで私を押しとどめる。

「待ってってば。せっかく来たのに帰っちゃうの?」

私は俯いて宗像先輩の方を見ずに答える。

「だって、お邪魔じゃないですか」
「そんなことないと思うけど。ねえ?」

東條先輩の言葉の後半の問いかけは宗像先輩に向けられていた。私はまだ俯いて宗像先輩の方、正確に言えばその後ろにいる女の子の方を向けずにいる。宗像先輩はどんな顔をしているのだろう。宗像先輩の気配がこちらに近づいてきて、声をかけてきた。

「あのな、轟、なにか勘違いしてるみたいだけど……こいつ俺の妹だから」
「え?」

私は驚いて顔を上げる。目の前で宗像先輩が困ったように頭を掻きながらこちらを見下ろしていた。その後ろで先輩の腰に抱きつくようにして私を見ている女の子の顔は、確かに言われてみれば宗像先輩によく似ている。元々どちらかと言えば女性的な顔立ちの先輩だけど、女の子にしたらこうだろうな、と思わせる整った顔立ちだった。

「初めまして、妹の沙依(さより)です。兄がいつもお世話になってます」

ぺこりとこちらに頭を下げて、挨拶をしてくる。私は呆然としたまま会釈を返した。

***

「結局なんで最初のチャイムで出てきてくれなかったんですか?」

部屋の中央に鎮座するこたつの上でぐつぐつと煮えるキムチ鍋をつつきながら私は宗像先輩に問いかけた。多少恨みがましい視線を送ってもバチはあたらないだろう。宗像先輩は手に持っていた発泡酒を一口飲むと嫌そうに妹の沙依さんの方を見ながら呟いた。

「…くなかったんだよ」
「え?」
「沙依と会わせたくなかったんだよ」
「誰をですか?」
「轟、お前だよ。いやどっちかというと逆か」
「?」

言っている意味がよく分からなかった。やっぱり妹さんに会わせたくないぐらい私は先輩に嫌われてしまっていたのだろうか……。沙依ちゃんは高校生ということでウーロン茶を飲みながら澄ました顔でお鍋をつついているものの、時々「ふーん」と何か言外に意味を多分に含ませた感じでまるでチェシャ猫のようににやにやと笑いながらこちらを見てくる。宗像先輩はそれ以上は語らず、東條先輩に文句をつけていた。

「しかしなんでクリスマスにキムチ鍋なんですか」
「いいじゃない、赤いんだし。それにほら、白菜も入っているからクリスマスカラーよクリスマスカラー!」

いつものとぼけた二人のやりとりにほっとしたのもつかの間、沙依ちゃんが宗像先輩の袖を引っ張るといきなりこう言い出した。

「それで?どっちがお兄ちゃんの彼女なの?」

その突然の言葉にぶっ、と私と宗像先輩は飲み物を吹き出して反応してしまった。東條先輩は流石なもので、平然とした顔でホットワインを飲み続けていた。キムチ鍋にホットワインて。宗像先輩は「だから会わせたくなかったんだ」と小さく呟きながら、「どっちも同好会のメンバーなの。お前の期待するような事は何もないから」と答えた。

「ふーん、ま、そういうことにしといてあげる。まあせっかくのクリスマスに妹をほいほい迎え入れてるようだしね」

と、沙依ちゃんは妙な迫力を伴って先輩の言葉を受け止めている。なんとなく私よりも東條先輩と馬があいそうな子だと思う。

宗像先輩がちょん、と私の肩をつついて小声で声をかけてきた。

「あいつには気をつけた方がいいぞ。魚にもサヨリっているんだけどな。別名知ってるか?」
「知らないです。なんていうんですか?」
「腹黒。捌くと腹の中が黒いからなんだとさ」

そう言ってこっそりと宗像先輩は肩をすくめたのだった。まあ確かに一癖ありそうな子ではあるけれど、なんだか妙に嫌いにもなれないような気持ちのまま、聖夜の夜は更けていくのだった。

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