ひとりでいても、人の気配を感じる空間

外出自粛期間をきっかけに、新たに音声配信アプリのstand.fmを始めてみた。そのアプリに一気にハマることになったのだが、理由を考え、一定期間の距離を置いた後、再び戻ってきたときの気持ちについて率直に記す。

結論として、今この状況で私に欠かせないものは、「ひとりで居ながらも、ひとの気配を感じられる空間・時間」であったということ。

1. standfm熱がアツい時に考えていたこと。

今は一周まわって落ち着いたが、ここに至るまでには、様々な気持ちがあった。

当初のstandfm熱がアツかった頃の私のメモには、なぜハマってしまうのかを書き連ねていた。まとめるとこんな感じ。

理由1:耳がさみしくても、テレビの報道が感染症報道ばかりで、ポジティブ・元気になれない
→報道は最新情報を得るために見たいが、ずっと見ているとネガティブになってくる

理由2:在宅時間が増えて、人と接する時間が減った
→在宅ワークや外出自粛をはじめ、同僚と会えない、テレワークだと雑談しにくいなど既知の友人とすら対面で話すことが困難

理由3:新しく人と知り合う機会がぐっと減った
→例年ならば、新入生や新入社員と会う時期だけれど、そんなにうまくはいかない

番外編:喋らないと生きていけないタイプの人もいる。
→具体例、自分。アウトプットしながら自分の構築した考えを見直すタイプ。

結論:stand.fmとは適度な距離感を模索すべし。

大っぴらに外出が憚られる期間・空間では為し得ないことが達成できていたのだと思う。これは、サービス運営側にとっても想定外のことだったのではないだろうか。

私はstandfm熱がアツい時期、生活リズムがずれていた時がある。しかしそこには、わたしが求めていた、他者とのコミュニケーションがあったのだ。

LINEを高頻度のやりとりできる方もおらず、単純に他者とのコミュニケーションに飢えていた。迂闊に外にも出れず、悲しいかな電話で長話ができるような相手もいなかったのだ。

2. 少し距離を置いてみた時に考えていたこと。

standfm沼にハマってから、自分で時間をコントロールできている自覚が段々と薄れていったことも確かだ。

そこで、少し、距離をおこうと思ったのだ。沼に入っていた自覚ができたというか、沼から抜けるというか、少し、こう、距離をとろうと思ったのだ。気持ち的に、オンとオフをつける訓練に似ているかもしれない。

生活にこれまでのテレビのような音はあって欲しい。けれども、常に音が流れている必要はなくって、必要な時にそっと寄り添ってほしいものなのかと。

だからこそ、距離を置いた時に禁断症状というものは出なかった。禁止条項をつけなかったせいもあるかもしれない。なんとなく、ゆるく、距離をおこうと決めただけで「絶対してはいけないこと」にはしていなかったのだ。

ずっと距離を置いていたわけでもなく、コンディションによって、standfmに居たり、居なかったり、LIVE配信をしたり、しなかったり。その程度の、ゆるりとした距離の置き方。

3. 戻ってきてから、考えたこと。

その後、戻ってきた結果、適度な距離感はこれじゃないか、という感覚を掴めた。

リアルタイムで聞き逃したLIVE配信をアーカイブで聞きながら家事をしたり、勉強の合間の休憩時間に短めの収録配信を聴いたり。

一人暮らしでひとりだけど、ひとりじゃない、みんなの声を聴いている。ひとりだけど、みんなの気配を感じる、という心地よさ。

久しぶり!と声をかけてくれるオンラインのやさしい友達がたくさんいる。うれしい。たった1ヶ月でできた仲だとはとても思えないほど。いや、オンラインだからこそ、肩肘張らずにいられたのだと思う。

社会人になってから、職場以外での友達がほとんどおらず、まず職場以外で、利害関係がない友人がいることがまず貴重。

そして、standfmユーザーには幅広い年代層の人がいて、普段生活していたら、街なかですれ違わないような方に出会える。このサービスがなければ、人生はずっと平行線で、きっと交わることのない人たちと出会えたのだ。

4. やさしさのむつかしさ。サービスから離れる時を思う。

standfmは、やさしい世界のプラットホームだ、と思った。

やさしいって確かに広義だ。人によって意味づけが異なるし、考え方も違う。配信者にとって、何がやさしさなのか、考えて配信をする方もいる。だからこそ、よいのだと思う。

デジタルネイティブじゃない世代にとっては、インターネットは世界を広くしてくれたもの、そのものである。生活に欠かせないものであることに間違いはない。

そんなわたしがインターネットから離れる時がきたら、そのサービスが、悪意に満ち溢れてしまったものになった時だ。

悪意には、意識的な悪意と無意識的な悪意がある。誰しもが意識的な悪意を受け取りたくはない。

ただ、もし今回のように、現実で接触する機会を阻まれた時、かつ、インターネットが悪意に満ちてしまった世界になった時、ひとは絶望するのではないだろうか、という危惧がある。

誹謗中傷について議論がなされているこのご時世では、サービス運営が主体となって、運営側が取締りを強化していく手段が取られている。サービス自体も、悪意を含まされるサービスなど求めていないのだ。

そうであってほしいと思う。

そうであってほしいと強く思う。

ユーザーが急増すると、どうも治安の悪化を心配してしまうのだけれど、サービスを利用するユーザーを信頼したいなぁと思う今日この頃。

5. さいごに。

一気に新規ユーザーが増えたような印象があり、きっとこれからユーザーの入れ替わりがあるだろう。その後にきっと思うんだ。さよならがくるとわかっていても、オンラインで一緒に過ごした時間はたいせつな、かけがえのない時間だったと。時間を共有してくれて、ありがとう。と。

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