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【一緒に勉強】文章力を高めよう・第三講④

こんばんは、如月伊澄です。
第3講の続きになります。

参考文献はこちら

【読者はどんな姿勢で読んでいるか①】

【読者は意外と読んでいない】

今この文章を読んでいるあなたは、どんな読み方をしているだろうか?

熱心にパソコンやスマホの画面に噛り付いて読んでくれているだろうか、それともコーヒーを片手に?
スキをつけるためにながら読みしているかもしれないし、なんならこの文章まで到達する前にプラウザバックしているかもしれない。

そう、読者は書き手と違って「ながら読み」していることがほとんどだ。

逆に文章と書く時、書き手が「ながら書き」することは少ないだろう。(あっても作業用BGMを聞くとかその程度のはずだ)

また、文章にかける時間も大きく異なる。1時間かけて書いた文章を読者は10分で読むかもしれないし、1年かけて書き上げた超大作も、読者は1,2時間で読み終わってしまうかもしれない。

ともかく、書き手と読者では流れる時間も集中力も違う。
ここに書き手と読み手の認識ギャップが生まれるのである。

集中して書いたものが読者にも集中して読んでもらえるという考えは、今この場で捨ててしまった方がいい。

文章を読むにあたって、特に多いのが「読み落とし」だ。

仕事で「メールで伝えたはずなのに伝わっていない」「企画書は通ったはずなのに、後から文句をつけられる」「会議資料は配っているのに、一から説明させられた」こんな経験はないだろうか?

もちろん、読者の理解力の問題もあるだろう。

しかし、すべてが読者の責任ではない。文章で伝わらない責任は書き手の方にもある。

ということで、今回のテーマは「どうすれば読者の読み落としや誤読を避けられるか」だ。

【説得と納得】

読者の読み落とし、誤読を避ける。
真剣に読んでもらう。

そのための答えは「読者の“姿勢”を変えること」だ。

遠くから傍観しているだけの読者を、こちら側に引きずり込んで読者の椅子に座らせる。そうすれば、もはや他人事ではいられない。集中して内容に目を通してくれるはずだ。

さて、前講において「文章を書く目的は、読者を動かすこと」と述べた。
今回のテーマはこれが前提となるため、もう一度復習しておいてほしい。

文章を書くことは、他者を動かさんとする“力の行使”なのである。

古賀史健(著)20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社 e-SHINSHO)2012 p.99

簡単な例を挙げよう。

「ラブレター」というものがある。

これを他者に渡す目的はなんだろうか?

「自分の気持ちを伝えること?」

それは違う。

それを読んだ相手が「自分を好きになってくれること」、あるいは「自分の告白を受け入れてくれること」が目的となるはずだ。

文章を書く目的は、自身の主張で「他者を動かす」こと。
すなわち、肝となるのは“説得”となる。

しかし読者の立場で考えたとき、上から目線で説得するような本を読みたいと思うだろうか?

あまりそうは思わないはずだ。

その矛盾を解消するために、主張には「論理」が必要となるわけだが、実はもう一つ別の方法がある。

読者を“説得“するのではなく、”納得“させるのである。

ここでポイントとなる部分を引用させていただく。

①    説得……押しのアプローチ(読者を押しきる)

②    納得……引きのアプローチ(読者に歩み寄ってもらう)

古賀史健(著)20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社 e-SHINSHO)2012 p.136

それぞれ「読者を動かす」という目的は共通しているものの、アプローチ方法は真逆である。

両者の違いを把握するために、わかりやすい例を挙げよう。
前者は「歴史の教科書」後者は「時代小説」だ。

例えば「織田信長」という人物について学ぶために、歴史の教科書を読んだとする。

教科書は知識を学ぶためのものであり「これを覚えろ」「これが大切だ」「こっちも忘れるな」と、一方的な知識の押し付けになりがちだ。

まさに“説得”のアプローチである。

逆に時代小説はどうだろうか?
教科書のように「何かを覚えろ」というアプローチはしてこないはずだ。

物語を通じて読者が彼の人物について理解し、納得させるアプローチをとっている。

読者自ら、文章に歩み寄るイメージだ。

これら二つの違いは「当事者意識」である。

知識だけを並べられても、人は「他人事」としか思わない。
物語の中に入っていくことで、まるで自身がその世界に生きる一人かのように、共感あるいは憎悪し、当事者として参加してもらうことができるのだ。

【次は“あなた”の番だって】

読者が“説得”に応じない理由は簡単である。

基本的に人間は、他人事に興味がないからだ。

例えば、自己啓発本を読んでいてそこに立派な教えが書いてあっても、自分にとって違う世界のことだと捉えてしまえば、その教えはあまり響かないはずだ。

むしろ、立派なことが書いてあればあるほど一方的な“説得”だと感じて、反発するかもしれない。

「ご立派なことを言ってるけど、結局才能でしょ?」とか「環境に恵まれていただけだよ」、どうしてもそんな考えが生まれてくる。

逆に「これは他人事じゃない!」と感じたとき、読者はようやく、素直に内容を受け入れる姿勢を取り始める。

この境界線は「当事者意識の有無」にある。

いかに「正しい」「素晴らしい」ことであっても、人の心は大きく動かない。「自分ごと」として物事をとらえて初めて、人の心は動き始めるのである。

一般論ばかりの文章は「正しい」かもしれないが、読者にとっては他人事である。

主張のどこかに「これは他人事じゃない!」と思われる要素が含まれていないと読者の心は動かないし、読者に文章を集中して読んでもらうためには、「他人事」を「自分事」に変換するための、なんらかの仕掛けが必要となるのだ。

今回はここまで。

次回は、読者の当事者意識を引き出す方法を見ていきましょう。

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