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福祉労働160号元稿 『当事者スタッフ』とはナンなのダ いったいナニ者なのダ    『当事者主体』とは、ドウ云う意味なのかを、前進友の会やすらぎの里の歴史から、そして、「病」者集団等々の団体との比較から考えてみた。三年かけて完成、と云うわけなのですが、ナニが書きにくかったと云うか、公表しても良いと、想うまでに三年掛かった、と云うべきか。

福祉労働160号元稿
『当事者スタッフ』とは
ナンなのダ
いったいナニ者なのダ

  『当事者主体』とは、ドウ云う意味なのかを、前進友の会やすらぎの里の歴史から、そして、「病」者集団等々の団体との比較から考えてみた。三年かけて完成、と云うわけなのですが、ナニが書きにくかったと云うか、公表しても良いと、想うまでに三年掛かった、と云うべきか。ドンなコトが書きにくかったのか、ご想像のとうりである。それは自分たち自身の実際と歴史を、ジッサいのセーカツとして書き記すのは、ツラいコトであった。40周年をやってみて、書きにくいことも書き残しておかねばと、想うようになった。患者会としての、セーカツにもとずくモロモロの赤裸々さを、言いにくい書きにくいコトも遺していかなアカンと想うたと云うコトなのですが、、、、それに、コウ云うコトが、『発達障害論』に立つ精神医から見れば『イマジネーションの障害』『コミュニケーションの障害』に見えるなら、患者会の悩み苦しみのジッサイの全体の中での流れの中でドウしようもなくアッタ出来事の一環でアり、悩み抜きつつ、その一環を患者会として、なかまとともになかまとして、矢玉の下を潜り抜けてきたのだ、と云う意味合いも含めて遺しておかないと、、、とは、想うたのです。さもないと、このようなことも、個々人の患者の疾病や障害に、診断や鑑別に取り込まれて行ってシマウと云うコトが、腹の底から分かったからなのでした。
 さぁ、それでは、『当事者スタッフ』とは、いったいナニ者なのかを、語ってみよう。語るとなると、スパンと結論からである。

なかまの上に君臨することによって、自分だけは自己実現を図り、
暮らし向きを良くし、病気を楽にするヤタラとヤカラな腐ったヤツ等、
そりゃ、クスリも減るワナ、飯も喰えるワナ、
世間サマも親側もナットクやワナ
ヤタラとヤカラなハンパ者半端者センセイ五職の五食とは、このこった。
五職の中でも、
特に医療職福祉職を目指しますってかぁかっカッカッカッカッカァァァァーー
当事者スタッフ目指しまっすってカッカツカツカツッッッッカァァァーーー
研究職教職目指しますッテカッカッカッカッーーーーーー
いやいや、創造職、小説家絵描きマンガ家ミュゥージッシャン
ゲージツ家を目指しまっすってカッカッカッカァァァッッッッーーー

しかも、運営側というか、健常者専門職スタッフ側というか、
世論側というか、世間様側、というか、親側というか、
家族会側というか、行政側というか、障害学側というか、
そういったヤタラとヤカラな連中は、
それが、当事者主体だ、ピアナントカだ、
と勘違いをワザとにして、してして、して、
いいことをやっているつもりなので、余計始末が悪い。
せいぜいがとこ、
当事者の意見も聞いていますというアリバイにしているだけである。
状況によっては、そのアリバイにすらならない。
当事者の方も、ホイホイとこう云うのに乗っかって、
自分は何とか当事者スタッフになろうとする。
さてそこで現実化するのは、
想像を絶する能力主義競争、社会貢献競争、社会復帰競争になる、
んデスヨ。
そこに、減薬と断薬と、診断名の変更が、かぶさってくると、ドウナルカ。
笠リロンが、かぶさってくると、どうなるのか
セカンド減薬ハッタツ断薬療法が、かぶさってくると、どうなるのか
誰が、どのように、たくさんの当事者の中から、スタッフ化を決めるのか。
それはもしかしたら、クスリが多いよりも少ない方、さらには、ゼロになった方、
病気が重いよりは軽い方、
診断名も精神分裂病よりは、
才能あふれる高機能性広汎性ハッタツ障害の方がいいんじゃないですか。
精神病当事者や、患者や、障害者の中で、
この手の競争がヨーイドンすれば、それは容易に、誰が見たって、
ハッタツ系か、AC系か、健病者系か、障害学系の奴らが、
健病者風なのが優位に決まっている。
本当に、おもたい病者は、クルシいシンドい病者は置いていかれるだろう。
こんなものはクソだ。
と、えばっちは想うのだが、
みなさんはどう思われるだろうか。
ケッキョクは、内部差別を強化し
障害者間の健常者化競争の熾烈さが増すのである
内部的にも差別され、無能呼ばわりされ
健常者化競争に敗北した者たちには
ドウイウ者たちが為らされるのだろうか
この競争の勝者とは、ドウいうヤツラが為るのだろうか
弱肉強食のセカイが、あらわれることになろうよ。
飯の種にされる、通所者側、通院側、入院側、入所者側は
そういう者たちは、ドウすれば良いのであろうか。
障害者の健常者化を、煽るだけの
いつもの、やりくちなのに、ドウいうわけだか、
そこに、ハッタツ障害だの、当事者スタツフだの、障害学だのが、
入ってきて、しゃべくりだすと、ナンダカなぁぁぁーー
とっても、素晴らしい社会復帰美談にも為るので、タマラナいわけです。
シゴト出来ていますよ、と云うワケです。
しかもしかも、クスリゼロに苦労の末ナツテ、社会復帰的就労美談の中に、
当事者スタツフが、どーーんと宣伝され、
ついでに、このあり方こそが、精神医療や福祉や、
さらにまた、障害者全体の改革と向上にツナガル、と云うワケなのです。
いやはや、参りました、マイリマシタ。
こんな在り様が、精神医療や福祉の改革ナンテものに
つなガルハズは無いのである。
逆だ、当事者間に競争を煽られて、当事者間の分断が進むでありましょうよ。
しかも、世の中全体を、本質的なモンダイから、
逸らせて、誤解させたままにシテオケル。

だから、えばっちは、当事者スタッフに反対である。
そうではなくて、当事者が、スタッフになることではなくて、理事になることではなくて、検討委員になることではなくて、参考人になることではなくて、
代議士になることではなくて、医療福祉従業員になることではなくて、
当事者は、そのマンマ、そのマンマ、そのマンマで
通所者のマンマ、通院者のマンマ、入院者のマンマ、
患者のマンマ、
つまるところ、
当事者が当事者のマンマ、
当事者の意向が最大限に発揮できることこそが、
当事者主体なのである。
さもないと、重い者、重篤な者、シンドイ者、置いていかれる者、漏れ落ちる者、が、さらにまた、さらにまたさらにさらにさらに内部サベツの対象として、残るからである。
『発達障害』ナル色物のもう一つの役割である。

健常者の専門職有資格者スタッフ検事者職員は、差別と、競争を煽ればよい。
差別を煽っておいて、ジブンは分率の良い楽ちんなシゴトで、
その場の階層のトップに、居座るわけなのである。
そして、その体制の、最大の擁護者に、当事者スタッフに為り下がった当事者が、健常者の専門職有資格者スタッフ検事者スタッフの手先、太鼓持ち、幇間
アリバイ作り協力者に、為るのです。精神病院の配ぜん係や部屋長ボスのソフト版高学歴ハッタツ系障害学系バージョンと云うトコロですかね。
オソロシイ事なのである。

だから、当事者は、当事者として、そのマンマ、にて、で、
当事者の意向が最大限、発揮できなければならないのだ。
えばっちが、患者会にこだわる意味が、ここにある。
もう忘れられてシマッテいるとは想うが
「極意真伝 第壱章」の意味である。
そもそも、友の会の歴史そのものなんですよ。
前進友の会からやすらぎの里作業所になっていくときに、
なかまから、スタッフが、出たんですよ。
で、通所者役とスタッフ役の
その後の運命が、変わっていったんですよ。
リクツじゃないんですよ。
ジッサイに、あったことなんですよ。

だから、ここで、たとえば、
就労支援継続B型の作業所をイメージしてみよ。
ありていに言って、それは、やすらぎの里共同作業所なのである。
さてそこで、である、
NPOの理事会の中に、通所者の当事者が一人か二人はいることが、
当事者主体が担保できる本筋なのか? 
作業所職員の中に、一人か二人当事者が、当事者スタッフとして入ることが、
本当に、ピア何とかを担保する本道なのか?
運営委員会に、いや理事会に、何人かの当事者が入ることが、
本当に当事者の意向を最大限尊重することになるだろうか?
結局は、健常者や専門職のアリバイに手を貸すことになるだけである。
そしてなかまの中では、社会復帰的能力の高低による、もしくは、
クスリのミリ数の高低による、もしくは、職業能力による、
激烈な競争と、妬みと、
そして、一人か二人の定員のその枠に漏れた大多数の病者が、
余計、ワタシたちはダメなんだと思い込まされていく、
それが、当事者スタッフ為るものナノである。
従ってえばっちは、当事者スタッフを名乗っている、
ハッタツ系や、AC系や、障害学系や、健病者系の当事者諸君を、
エラい差別的な連中やなと、想ってみているわけである。
そしてそういうことを積極推進している、全家連や、全精連や、専門職や、
障害学系大学院の博士者ヤツ等のことを、
えばっちは、
エラい差別をあおるヤツラやな、と想ってみているわけ、ナンである。
ヤタラとヤカラなレンヂュウなのである
この文脈の中で
笠リロンをセカンド減薬ハッタツ断薬療法路線を、考え直してみたらよい。
えばっちが、ナニをドノように、危機感を抱いているのかが、
わかろうと云うモノである。

リクツで言っているわけじゃないんですよ。本当にそうなのです。
前進友の会と、やすらぎの里共同作業所が、そうだったんですよ。
そう、なんと前進友の会がやすらぎの里作業所になっていく
80年代後半から90年代全般にかけて、この問題は、我々の最大のニクマンのタネだったのである。
しかも、患者会が主体で患者会が母体で、患者会が、決めて、職員をスタッフを決めるのだ、だから、患者会からもスタッフが出ることがあり、それは、みんなの世論が決めるのだ、という作風が、ある種表面上は、いきわたっていたのだから、タイヘンなのだった。これがピアナントカとか、当事者主体ドッタラコッタラと云うような、カタチだけで、実際は、専門職の職員会議が、もしくは、所長が決める、と云うのだったら、当然ながら、また、チガッタだろう。
実は、当事者主体こそは、本当に担保されていれば、その度合いに応じるかのように、実に言語に尽きない、イロイロなタイヘンなことが、多くなってくると云う、ことなのです。そうなんですよ、当事者主体とは、本当に担保されたなら、その度合いに応じて、実はタイヘンに時間と気力と体力と労力を消耗するものなんですよ、ソレをキレイ事にシテ、形式だけを取り繕うな、って言うんですよ。だからこそ、患者会と云う取り組みが拡まらなかった、ある種『失敗』していったワケなのですから。

 そもそも、最初に作業所になるときに誰をスタッフにするかで、大揉めに揉めて、何人かが辞める、来ないという騒動にまで発展したと聞いている。そこに、また、このまま作業所所路線でいいのか、作業所が99で、友の会は1や、と云う、議論も、あったのだから、タイヘンだった。ところが、また、そのへんは、不思議なことに、そさんの独断で、進んでいくのだった。そのそさんが、い病院の看護助手として、勤めていたのだが、やすらぎの里作業所の所長手当も欲しい、と、言いだして、それは、確か、いくらか、出すようになったのかならなかったのか、みんなで議論した記憶がない、一部で議論していたのか、しかも、どう決まったのか記憶にない、だから、そこは、みさんが独断で決めて、支出したのダッタのか。
 最初から、その、みさんがスタッフということではなく、てさん、と、かさんもだったと聞いている。てさんは元精神病院のソーシャルワーカーだったということや、かさんが京大の院出で、「病」者集団の理論家活動家ダッタということも理由だったようである。その2人が辞め、みさんになった。みさんは出産、子育てがあって、なかなかスタッフとしての役割を果たせなかったということもあるらしかった。しかも、そのとき、あの、弱い病者にタカルきちゃんまでもがスタッフだったかスタッフ志望だったかで、もめにもめていた。
 そのうち、そさんが、アルコール依存で、ムャクチャなことに為ってしまい、それは、想像を超えるような事態となってしまい、とても、ここでは、語りきれない仕儀となったのだ。それで、そさんは、辞めていった。そさんと、みさんの、アルコール問題を含まないムカシからの軋轢も、あったようだった、と、そう想う。
 新所長には、うちゃんが、就任した。一時、離れていたうちゃんがスタッフになって戻って来てくれていたのだった。そして、所長に就任したのだが、これで、少し安定感が、出た。ただ、うちゃんが連れてきたトモダチのほさんが、スタッフになりたくてなりたくて、しまいには、通所者の中で車を運転できるものが運転したときは、工賃とは別に運転手当を出そうということを提起しはじめた。うちゃんのもう一人の友人と云うか恋人だった、むさんも、スタッフになりたがり、てさんと、連絡を取りながら、ナンダカそれとなく、ソンな事を始めたので、むさんと、みさんの、軋轢が、生まれようとしていた。むさんも、みさんも、女性解放運動の経験があったので、うまくいくかと想いきや、そこは、逆になったのだった。みさんの、激烈な反応が出そうになっていた。
 加えて、通所者としてだったか、遊びに来ているのだったか、ともかく新しく入ってきた女性のやさんとおさんは、世代交代を旗印に、みさんを辞めさせて、自分たちがスタッフになろうという動きを見せはじめていた。それが反映して、今度はみさんが私が辞めたらいいんやね、ワタシを辞めさすんやね、みたいなカンジになっていき、通所者の男性陣がひたすらなだめすかして、「みさんだから、ここが持っているんだから、みさんがここの扇の要なんだから」と言って必死になだめすかして慰留していた。おさんだって、実は病気になる前は有名大学の心理学専攻だったので、なんとかスタッフになってみたかったんだと想う、し、それは、やさんも一緒で、非常に有名な国立大学で、なんとかスタッフになりたいという気が満々だった。やさんは、うちで駄目だとなると、他の作業所へも行って、やっていた。だから、このやさんとふ君の結婚生活にだって、実はやさんとみさんの対立が、結果としては、相当強く暗い影響を与えていたものだと想う。結果的には、やさんとふ君は、関東の方へ引っ越していくことになる。ところが、さらに後日談があって、そのやさんは、引っ越していった先のとある作業所が当事者スタッフを募集し始めた時、そこへ応募したのだが、その応募先が、なんと研修先として、ウチを指名したからタマラナい。また、ひと揉めあったのだった。
 その後、一息ついて、ACが流行りだしたら、ズバリAC系の屈折したノイローゼ気味の神経症圏のスタッフ志望の青年たちが、どんどん売り込みに来るという状況がうまれてきた。それが不思議なことに、みんながみんな健病者風で、ボランティアかアルバイトスタッフになりたいと次々と来る。当然、当事者性も、若干は、あって、タイヘンなので、あった。そして、しかも、通所者志望は誰も来ないのであった。そうこうしているうちに、2000年代に突入していき、みさんと、アルバイトスタッフのトランスジェンダーを名乗るびさんと、の、例のアノ状況になっていく。ここでは、多くは、語れない。最終的に唯一の、アルバイトスタッフ強制退職となった、びさんの最終局面のキッカケは、なんと、びさんをアルバイトから正規スタッフにシヨウ、と云う、ハナシが、みさんの方から本格化し始めた時なのであった。この時は、かてて加えて、トランスジェンダー的「性の全開放」やら「ほんわりやわらかレズビアンモードによる桃色化」と云うのまで、加わっていてたから、精神病の患者会ではタマラナい、保守的な暮らしぶりの、と云うコトはほとんどの男性病者にとっては、なんだこりゃムチャクチャやな、もう勘弁してほしい、もうココには来たくないと云う状況だった。

前進友の会の、
やすらぎの里作業所のスタッフを巡る
アレコレと云う一局面に絞った、匿名の、しかも、詳しくは、語れない、
ムカシバナシである。
断っておかなければならないのだが、
こんなコトばかりで、90年代の前進友の会やすらぎの里の日々が、
明け暮れていたわけではない。
一つの局面に絞って、えばっちが、観てカンジたことを、ムカシ語りした、
と云う、ダケである。しかも、ジッサイのアレコレは、省いた。
そう、じゃあ、、この間の、
えばっち自身の立ち位置を、書いておこう。
えばっちとしては、一貫して、ずっと、やすらぎの里共同作業所ではなく、
前進友の会という患者会の会員ダケだ、と云う立場を守り通した。
そういうなかまが、ひさん、といって、
第一世代からの古いなかまの中に、もう一人いて、
大体のなかまたちが、
やすらぎの里共同作業所のスタッフか通所者で前進友の会の会員でもある。
いや、逆か、
前進友の会の会員であるなかまたちが、
やすらぎ里共同作業所的には、スタッフや通所者と、に、別れていたのか。
そのなかで、
ひさんと、えばっちだけが、
前進友の会の会員、
ダケ、
と云う立場を守りとうしたのである。
もっとも、やすらぎの里作業所の通所者があまりにも少なくなって、存亡の危機を迎えたとき、特に「自立支援法」をにらんだ時に、とにかく当事者は通所者になろうと云う中で、通所者に手を挙げてきた。しかし、工賃は返上しているのである。エバッチの中では、あくまで飽くまで【キーサン患者会前進友の会】なのである。だから当然理事長ダノ所長ダノ理事会ダノスタッフダノと云う立場には、一度もなったことなぞ無いのである。そもそもNPOの社員ですら無いのである。

リクツだけでは、ないのだ、
我々は、試行錯誤と云うか、なかまとしても、個々人でもヤッテきたのだ、
いろいろ、タイヘンなのだ、なのでアッタ、ジッサイに、キーサン患者会のセーカツしてきたのだ
と云う、ことで、あろうかと、想う。
こんなことを、嫌というほど、見聞きして、きたからこそ、

ヤタラとヤカラな
ヤカラがヤタラと
半端者センセイ五職の再生の物語、批判なわけです。
右肩上がりの、物語、にシカ、過ぎないンですよ。
スタッフ側に回った人達、それは、恐らく、同じ患者や同じ病気だったけれども、何らかの能力があるか、何かが出来るか、学歴が高かったか、
それとも、依存サセ屋傾向が強かったか、
依存サセ屋で、自分だけ楽に為ろうとしてたか、
それとも、そう運よく、最初から薬の量が少なかったか、
最初からちょっとばかりクスリの量が少なかったか、
それで、
『当事者スタッフさまサマ様』になって、
『成り下がって』、というか、
本人と家族と、周りにとってみれば、
『成り上がって』、自分だけは病気や障害が軽くなるように、
大多数のなかまたちを踏み台にして、自分だけは楽になる、
自己実現を図り、世の中に受け入れられていく、
そういうハッタツ系というか、AC系というか、健病者系というか、
障害学系というか、そういったヤタラとヤカラな連中が、
当事者スタッフなるものに、当事者スタッフたらいうものに、為り腐るのです。
ふざけるんじゃない。この外道が。自分さえよければいいのかと想います。

結局それは、当事者の中で、内部差別を拡大強化スルダケなのである、
だって、発言力のある、
高学歴博士者病者運動ボスを、もしくは、
配膳係的就労成功病者ボスを作るだけなのダカラ。
しかも、
当事者スタッフ的就労ボスになりやすい博士者運動ボスとは、
配膳係的病者ボスとは、ピアカンボスとは、
基本的に、制度政策提言型、かつ体制翼賛的である。
牙を、さーーイッショから、持ち合わせていないか、
専門職や医療職や家族に、わざわざ、
牙を抜いてもらいに行って
己も、専門職化、医療職化、福祉職化スルのである
特に、ハッタツ障害者が、ソウなりやすいだろうと、想う
さらに、ココに今日的課題がかぶさってくる
ソレは、当事者の高学歴化、専門職能化、
更に言えば国家資格取得化のモンダイである
有り体に言って、たとえば、
心理職の国家刺客でアルトコロの公認心理師は、
ピアカン為るものに、どのような影響を与えるだろうか
公認公認心理師法は、包括的戦争遂行法とともに、
2015年9月成立したものである
戦争法のドサクサに紛れて成立したのではない
包括的な戦争遂行法の重要な一環として成立したのである
その、まさに、国家戦争刺客化した
最新の国家資格公認心理師は
はて、さて、ハッタツ系当事者たちに、反対を叫ばせるか
それとも、大賛成を叫ばせ、バンザイの歓呼の波と共に、
公認心理師を積極取得して、
国家刺客取得ハツタツ当事者スタツフを目指させるのか
当事者として国家資格化ハンタイにツナガルよりは
まさにまさに、当事者として、
当事者スタツフ公認公認心理師バンざーーいバンざーーい
取りたいでーーーす、為りたいでーーーす、と踊りながら
大賛成に為っていくのではなかろうか
特にハッタツ系当事者、障害学系博士者系当事者は
三歩は前のめりに為りつつ、ナニを仕出かすことやら・・

なんのことはない、半端者センセイ五職として当事者スタッフタラ云うモナにデモ成り下がってなかまの上に君臨して、クスリを減らし、自己実現を果たし、ダブルの背広でも着こんで、与党か政府かシランが、ソンなものの検討委員やら参考人やらにでも成り下がってホクホクと、自分だけは、ビョーキを軽るうぅぅにする、ソンなヤカラとヤタラな連中ですよ、そもそも、ビョーキであったのかなかったのか、とにもかくにも健病者と云うような、山本深雪、関口明彦、加藤真規子などといったヤタラなヤカラの所行を見てみれば良い。しかも、発達系なのかなんかシランが、いやに高学歴のいやに障害学系の精神病院に入れられたこともないような若手が、すまし顔の猿のようにナンカの理事会ポストに座ってござっしゃる。全国精神「病」者集団よ、ソレが、精神障害者解放運動の当然の帰結と成果と云うのなら、、、、ナントモハヤの成果為るらむ、、、トホホホホ

そう、それでも、どうしても当事者スタッフに為りたいのなら、絶対に己が障害の施設に行ってはならぬ、理由は縷々書いてきたとうりである。では、別の障害者の皆さんの施設ならドウだろうか。そう、ドウしてもと言うのなら、ソレだ。精神なら、身体障害者の皆さんや、お年寄りの皆さん、重度心身障害者の皆さんのトコロへ行くのが良い。医療食なら、精神科はダメだ。内科や外科に行くべきだ。まだしも、許される『当事者スタッフ』とは、コウ云うコトだと、想う。

だから、ココで、たとえば、今のトコロの、分かり易い例として
健病者系では、御用団体系では、
山本深雪と加藤真規子を、ならべてみたらよい。
だから、ココで、たとえば、今のトコロの、分かり易い例として
「病」者集団系では、障害学系では、
関口明彦と桐原尚之を、並べてみたらよい。
当事者スタッフとはナンなのか、と、問うとき、ソコには、「病」者集団系と云うか、障害学系と云うかのヤタラとヤカラなおレンヂユウが、学会の理事になったり、区や市や県のドウタラ委員になったり、与党か野党かシランが、のナンタラ委員になったり、国会の参考人になったり、と云うのンモ当然に含まれてのコトである。と云うか、当事者スタッフ的おためごかしの行きついた先の外道の所業であろう。配膳係、部屋長、健病者、病者運動ボス、当事者スタッフのもつ響きと「ユダヤ人警察」の響きのなんとよく似たものか。なんとなれば、ナチス時代ゲットーの中での『ユダヤ人協会』『ユダヤ人警察』の果たした役割とはナンだったのかをじっくりと、考えれば、すぐに了解である。歴史とは、皮肉に満ち溢れている。今次の精神保健福祉法改悪の中で、措置入院の後追い協議会の中に、ケーサツと当事者も入れようと云う動きがアッタようである。その国会の参考人に為るとは、恐れ入った次第である。もし、そのような協議会に当事者が入るのであれば、それはまさしく『ユダヤ人協会』と同じくになるであろう。歴史に学ばないとは、このコトであろう。誰かが、もっと勇気をもって指摘すべきであろう。「病」者集団内において、である。古参の会員はソロソロ気づき警鐘を鳴らすべきであろう、、、さもないと、、さもないと、、、タイヘンなコトになる。しかも、今次の改悪に関しては、廃案にした大勝利であると宣伝にコレ勤めているのである。アホらしい、『権力』は「共謀罪」を最大優先して獲得したと云うダケのコトなのである。『相模原入所施設内障害者大量殺傷事件を利用しての』精神保健福祉法の措置入院強化は後回し、何時でもやれると云う判断をしたにすぎないのである。ソレをここまで大勝利と宣伝するかな、、、カナカナカナ、、、ナサケナい、しかもその過程で、厚生省との団交かナンかシランがソンな場で、当事者から意見を聞くなら、「病」者集団からださせろと言う要求をすると云うオマケまで付いてしまった。いったいナニを考えているのか。ソンなに、エラくなりたいのか、そも、全国ダノ日本ダノの冠が付いた団体には全精連だっているのだし、そもそも、「病」者集団にも全精連にも関係のない当事者団体などもあるのではないか。その中で、コウも抜け抜けと自薦して参考人に為りに行きトクトクと喋った挙句に勝利したと云う宣伝をしまくると云う愚かしさに、何故気づかないのか、、、、、
流石にコレは余りにも酷いと云うので、最古参の会員は軌道修正を掛けざるを得ないだろうが、その踏ん張りを見守りたい、と想う。
頑張ってもらいたいと想うのである。

2014/11/7起稿   2017/10/5  脱稿
 精神病患者会前進友の会 コテコテの躁鬱病患者 56歳 5回の入退院歴
あくまでキーサン革命の鬼えばっち  江端一起


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