学校

 むかし読んだ小説に、「暴力教師は学校の用心棒」みたいなことが書かれていた。なるほど、小学生程度なら言葉よりも拳で分からせるのが楽、みたいな短絡的思考の嗜虐嗜好の大人がいてもおかしくない。一人か二人、この国の何処かにそんなサイコパス野郎がいても驚きはしない。本性を隠して表では良い先生を演じているマッドなやつが、今日も教壇か校庭、体育館などで罪悪感なく弱者をいたぶる日々に明け暮れているだろう。
 学校で学んだこと。暴力と恐怖で支配するのが手っ取り早い。余計な時間も労力もかからないから。
 従順であれば、特に大きな問題は起こさないだろう。社会の縮図とも呼ばれるこの場所では、個性を捨てた無口のほうが評価が高い。扱いやすいからだ。
 学生よりも先生のほうが偉い。学校では当たり前のこと。
 管理教育というものが存在したこの国。生徒は学校の傀儡だった。
 奴隷、サンドバッグ、いけにえ扱いする底辺校、進学校もある。

 妄想が過ぎるか?妄想といいきれる証拠はあるか?

 話は変わるが、体罰に対する学校側の謝罪は本心なはずがない。
 とりあえず謝れば許されるとか思っているだけ。容疑者からの直接の謝罪がない時点で誠意がない。反省などしてる筈ない。「俺を怒らせたアイツらが悪い」と自宅で責任転嫁して逆恨みするやつもいるだろう。
 本気で反省しているなら、最初から即死級の一撃など喰らわせない。
 被害者が適応障害になれば、腹の底で嗤うだろう。「その程度のメンタルなら辞めて当然だ」と自分を正当化するやつもいる。
 優勝経験という過去の栄光をいつまでも掲げ、裸の王様であることを自覚せず、己の悦を満たすべく自分より下のものを虐げることに躊躇いも迷いもしない
 「すべてが正しい、自分がやることは全て正しい。暴力も暴言も、この無力で馬鹿で愚鈍で青二才な役立たずどもを鍛えるための躾、すなわち正義だ、俺のいうことは絶対だ」という傲慢で身勝手極まりない哀れな思考で破滅するか、しぶとく生き残り別の場所で害悪をまき散らす。
 そして学校は身内には甘い。体罰を隠蔽している学校なんて限りなくある。軽い処分でおしまい。用心棒を手放したくないからだ。
 生徒なら、毎年代わりがいくらでも入ってくるが、用心棒は難しい。いや用心棒ではなく、犯罪者だ。
 生徒の夢を奪ってもなお、別の生徒の夢を奪おうとする悪者を野放しにする学校という機関に、自分の心を削ってまで行くべきだろうか。
 裁かれず罪を免れた悪者はまた同じ罪を繰り返し、否認し、正当化する。得意の怒り、暴力、傲慢、憤怒で捻じ伏せるように全てを自己正当化。誰が糾弾しても、「俺の言うことを聞かなかったあのゴミどもが悪い」と逆ギレ、責任転嫁も大きな可能性。
 こんな悪魔がいるかどうかも不確かな生地獄で自分を見失うくらいなら、窓ガラスを叩き割り逃げ出せばいい。誰も責める権利はない。それがあなたの意思で決めた、選んだ道なら。

昔に比べ、その闇は明るみになっているが、それでもまだ氷山の一角だろう。

 我々が学校で学ぶことは一つ。暴力が最も簡単な手段。


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