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「やりたいこと」に固執しても仕方ない

「らくだメソッド」という、算数プリントをやっています。1日1枚のプリントをやるという簡単なようで難しいものに取り組み、その中で感じたこと、考えたことを3ヶ月ごとに振り返る試みをしています。
 これはその3年目の振り返りです。

 空欄だらけの記録表。

 これが今の僕の状態である。

 すっかりやらないことが日常化してしまった。以前は「プリントやっていないな」と思いながらやらなかった。今では意識のはしっこに引っかかることもないまま布団をかぶる日々。
 けれど、罪悪感は感じていない。

 言い訳に聞こえるかもしれないけれど、実はやろうと思えばいつでもできるのだ。これまで「150日やる」と決めたらできたように、自分でそれを決めれば僕はできる。少なくとも、途中でくじけてしまうことはないだろう。
 それは僕が行っている寺子屋塾(※)の井上さんも保証してくれた。

「プリントをやる」という行為を通して、自分の特徴に気づき、学び、変えていく。その一連のサイクルをある程度回してきた。困難も、喜びも、もどかしさも一通り経験した。
 これまで自分というものを、縦軸にひたすら深く掘り進めてきた。もちろん更なる深みへと掘り進めることもできる。ただ、この先は大差ない気がしているのだ。いくつもの地層が重なっている中で、深部には到着した。

 ここからは横軸に広げていく段階に入ってきている気がする。

 それはすなわち日常生活の他の場面へと活かしていく。らくだメソッドのシステムを分解し、仕事や日常へ流用していくということだ。

 教材としてのらくだメソッドの凄さというのは、要するにそこに成長感が内包されている。小4の単元から小5の単元に移るということは、誰から見ても明らかなステップアップだ。
 けれど、世の中において、そういうわかりやすい段差は用意されていない。仕事や専門によって、まったく求められるものも違うために比較もしようもなく、だから唯一の共通言語である年収によって、それを把握しようとしている。
 けれど例えば、接客業において接客のスキルが上達していくというのはどういうことか?
 個人の営業成績がわかるような形ならまだしも、そうではなかったらもうその周囲の人の評価によってしまう。すると自分とは関係のない、評価する人の考えに右往左往することになってしまう。

 そういうものに混乱している人はたくさんいる。
 つまり、自分が止まっているのか、進んでいるのか、そして進んでいるのだとしてもその方向がわからない。
 らくだメソッドにおける算数・数学学習はその流れが明確にされているため、自分の動きがありありとわかる。そして、流れのリモコン(どのプリントをやるのか?)が自分の手元にあるために、いつだって戻ることができる。それがいわゆる自己効力感を、知らぬ間に育んでいくのだろう。

 このように、自分なりに分析して、教材の中に組み込まれたシステムを流用する取り組みを僕はもうすでにそれは始めていて、最近ずっとやっているグラレコ がそれだ。

 今の僕がプリントをやらない最大の理由は、グラレコ にあると言っても過言ではない。試行、記録、振り返り、修正。らくだメソッドでやっているそれらは、グラレコ でこと足りてしまう。そして描くことや構造化がまだまだ苦手な僕にとって、グラレコから学べることの方が多いのだ。

 それでも、まだ週に1枚くらいはプリントをやっている。
 中途半端に続けるよりも、やめてしてしまえばいいという考え方もある。それでも続けるのは、一体なぜなのか?
 自分でも不思議だった。

 考えて、行きついた先は原点だった。
 僕は高校数学をちゃんと学び直したくて、らくだメソッドを始めたのだ。小学校3年生だったかのプリントから始め、今は高校2年生の単元に入っている。
 今の僕は、らくだメソッドの学習を始めた頃の自分が望んだことをできている。だから、やめるという選択肢が自分の中で出てこないのだ。

 ただし、自分が望んだことをやっている充実感はない。
 こんなものか。難しいな。そんな陳腐な感想しか出てこないのが本音だ。

 そこからわかるのは、案外「やりたいこと」「好きなこと」と思っているものは、自分の中心点よりも少し離れたものなのかもしれない。
 例えば、見知らぬ土地の目的地に行く時に、まず大きな目印を探すことから始まるだろう。大きな施設や看板などを見つけ、そこからどちらに向かえば目的地に辿り着けるのかを探る。
「やりたいこと」というのは、大きな目印みたいなものだ。それを見つけるまでは必死に探している。でも、見つかったからといって目的地に辿り着けるのでもなく、また大きな目印そのものへの関心はなくなってしまう。

 だから、「やりたいこと」「好きなこと」に固執しても仕方ない。むしろ、本当にそれが好きなのか? を問い続けることこそまだ見ぬ目的地への近道だと感じている。

 ただし、それでもまず「やりたいこと」をやってみなければ目的地に近づくこともできないのだ。

まとめ

 前回まではプリント1枚やるごとメモからの引用を行なっていたが、そもそもプリントをやっていないのだから書きようがないので割愛する。

 かつて、就職活動をしていた時期に「3年は同じ会社に勤めろ」と口酸っぱく言われたことを思い出す。

 3年続けたらなにがわかるのだろう?
 そう思って、僕は首を傾げていた。

 仕事とは違うけれど、らくだメソッドを3年続けてみて、「1周したなぁ」と感じる。なにをもって一周というのかはさっぱりわからないけれど、1つ区切りがついた。

 先のことはいつだってわからないけれど、今後はこれまでと一線を画すような展開になっていくのではないだろうか。

※寺子屋塾=下は5歳上は60代までが通う、愛知県の名古屋市中村区にあるセルフデザインスクール。

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ほんだ
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