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言うに値する人

 仕事上の付き合いの人がなぜか怒っていて、話を聞いていたら共通の知人についての憤りを聞かされました。

「もう、あの人にはなにを言っても無駄だ」とへそを曲げていました。
「言う価値もない」とは、わかりあうことの拒絶なので、聞いていて悲しい気分になりました。

 それとは別件で、最近行ったワークショップについて立て続けにご意見をもらいました。ワークショップで新しいことに挑戦した結果に対するフィードバックでした。
 フィードバックは必ずしも良かった点ばかりとは限りません。中には、課題の指摘も含まれます。僕としては、改善点が浮き彫りにならないフィードバックは信頼性が低いと思っているので、どれも非常に有意義な意見であり、ありがたかったです。

 ただ、指摘する側としては少なからずリスクがあります。
 特に空気を読む文化の日本においては、真っ当な指摘でも揚げ足取りのように受け取る人もいます。そうした人が指摘を受けると、攻撃されたと感じて怒り出す場合があります。
 そのため、「こうなったらいいのに」と心の底では思っていても、匿名ならともかくリアルで付き合いのある人だと、言わずに去っていく人がいます。
 実際、関係がこじれるのを恐れて言わなかった経験がありませんか?

 今回、僕がどう捉えるかわからない以上、相手側にとっても逡巡があったでしょう。その上で、語ってくれたということは、「言うに値する人」だと認識してもらっていることだと思います。
 少なくとも「なにを言っても無駄だ」とは思われていない。

 それは、非常に嬉しいです。意見を取り入れるかどうかは別としても、言うに値する人では居続けたいです。

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