もっと自分の弱さを知った方がいい
「できない」と言っている人の方が失敗の数が少なくて、
「できる」と口にする人の方が失敗している。
それが僕には不思議だったし、歯痒かった。
なぜなら、僕もまた「できない」と思っていたからだ。
「できない」と言っている人は、自分の弱さを知らないのだ。
だから、無謀なことに突っ込んで根元から折れてしまう。
「できる」と思っている人は自分の弱さを知っている。
だから、着実に失敗を重ねながらも、稲穂のようにしなるだけで折れはしない。
逆説的に思えるけれど、自分の弱さを実感していた方が、傷つかずに失敗するという体験をしやすい。なぜなら、自分の弱さを踏まえた段取りができるからだ。
たとえば、ダイエット中に友人から食事に誘われて「自分は食べないからね」と約束した上で、一緒に行く。その時、本当に食べないでいられるだろうか?
少なくとも僕は無理だ。目の前で美味しそうな料理を食べている人がいるのに、自分は飲み物だけで我慢するのはできない。「一口食べる?」なんて甘い誘惑に乗ろうものなら、その勢いでメニュー表に手を伸ばすだろう。
そして後で「できなかった」と肩を落とすのだ。
「自分を律することができる」と思い込んでいるから、痛い目にあってしまう。しかし、自分の弱さを知っていたら、食事を断ることができるはずだ。
「行ったら食べちゃうからやめとく」
前に進みたいと願いながら、逃げ道を用意しておく。
そうやって予防線をとる人は言う。
「だって、進めるメドが立っていないんだもの」
決して容易ではない道と楽な道。どちらに行くか問われたら、僕は後者を選ぶ。楽な道があるなら、わざわざ困難な道を選ばなくたっていい。
自分の弱さを知った上で、本当に前に進みたいと思うならば、時には逃げ道を断つことも必要だ。ただ、それは誰かによってではなく、自分によってふさがなければ心が追い詰められてしまうけれど。
「頑張る」と曖昧なことだけを言っていたら、「できた」のか「できなかった」のかもよくわからないままだ。やるからには具体的に決めた方が結果も明確だ。だから、次の手も打ちやすくなる。
そう考えてみると「できる」と思っている人の失敗は挑戦した失敗で、「できない」と思っている人の失敗は挑戦しなかった失敗だ。そもそもの質が違っているのかもしれない。
もっと自分の弱さを知った方がいい。
そうすれば、自分にも他人にも優しく、建設的になれるから。
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