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意味の追尾

 ある程度継続していくと、かつてわからなかったことが意味がわかる瞬間がある。僕はヨガをやっているのだが、最初は師匠の言っていることが意味不明だった。特に感覚的な話は、言われるがままやってみるものの手応えは全くなかった。
 けれど、数年前の言葉の意味が、徐々にわかるようになってきた。もし自分が他者に伝えるならば、同じように伝えるだろう。

「それはどんな意味があるの?」

 最近そういう言葉をよく目にして、耳にする。
 行動を起こす際には必ず意味が必要で、意味がないならばやりたくないと暗にほのめかす。もしその意味が納得できければ不満をいだく。

 その一方で、僕達は自分の行動1つ1つに意味付けをしていない。だから、実は意味の有無はそれほど重要ではないのだ。それでも意味を求めてしまうのは、時間が圧倒的に足りないからだ。

 限られた時間に、趣味も仕事も勉強もSNSも詰め込まなくてはいけない。だから、無意味なことに費やしたくないし、いつ意味がわかるかもわからないコスパが悪いものは後回しにされる。

 でも、僕は人の話を聞く大切さを実感するためにも、時間をかけて意味を理解する体験が必要だと思う。

「人の話を聞け」とだれしもが一度は言われた経験があるだろう。言う通りにするかは別にして、フィードバックとして他者の意見に耳を貸す姿勢は持っておいたほうがいい。
 子どもと関わっていて、「話を聞かずに悔しい体験をした子」よりも「話を聞いてみて上手くいった体験をした子」の方が、その後で、話を聞く姿勢を持つと感じている。痛い目を見るだけでは人は変わりづらい。
 だから、意味不明でもとりあえず素直に言われた通りにやってみる。そして、継続した先に意味がついてくる。

 もし、なにも意味が見出せなかったら「無駄だったね」と笑えばいいのだ。


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